幸福と気分の違い
幸福感とは、「確信」でないとすれば、要するに「気分」である。だが天候が一日のうちで様々に変化するように、われわれの気分もまた高揚したり憔悴したり、一日のうちで喜怒哀楽、様々に変化する。とすれば、はたして幸福をこのような気分と同一視してよいだろうか。アリストテレスはこの点で反対に、幸福を安定した、容易に転変しないものだとしている。徳に即しての活動は、快楽や偶運以上に安定した幸福な生の中核を作っているのである。 確かに幸福(感)が感情のようにコロコロ変わるというのは直感に反する気がする
ただその一方で、ある特定の瞬間において「私は幸せを感じる」という場合もある気がする
上の記述にもある通り、一時的な感情に近いものに「幸福感」という用語を当てて区別するのは良さそう。近い言葉として「多幸感」がある 「今私は幸福だろうか?」とか「幸福とは何か?」とかで問われるような「幸福」は「幸福感」のことではないだろう
確かに部分的に見れば辛い状態の時もあるけれど、全体として「私は幸福だ」と言えるような場合