政治がタイの子どもの夢を奪った日「アンアンーアッカラソーン・オーピラン」
出典:"คุยกับ ‘อั่งอั๊ง–อัครสร โอปิลันธน์’ ในวันที่การเมืองดับฝันเด็กไทย," a day, 2020/10/19
文章(Author):サーリサー・ルートワッタナーキッチャクン(สาริศา เลิศวัฒนากิจกุล)
写真(Photographer):ナッタワット・タンタナキッチャロート(ณัฐวัฒน์ ตั้งธนกิจโรจน์)
*〔〕内は訳者による補足。タイ語でのインタビューを翻訳したが、一部は英語の単語が使われているため、その部分はもとの英単語も記した。
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この文章で、わたしたちはこの16歳の少女を初めて知った。
"I am one of them and I am ashamed."〔わたしもそのうちのひとりで、それを恥じています〕。彼女自身も特権の山の上に育ってきたインター生のひとりであるということ、それに恥じているということを正直に認めた。
この1ヶ月、アンアンの名前がだんだんと言及されるようになってきた。デモ会場で彼女が英語のインタビューに通訳を介さずに答えている映像は、あらゆるプラットフォームのニュースフィードで、数え切れないほどに再生された。
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しかし、ここまで挙げたそういったメディア上だけに彼女の姿があるのではない。彼女自身も、新世代のメディアとしての役割を果たしている。
この4月に時を戻そう。話題になったコラムを書くよりもまえに、彼女はほか3人の友人とともに choosechange.co を立ち上げた。タイ社会と政治に関するコラムを平易で飽きない英語で掲載していくプラットフォームだ。インターナショナルスクールの友人たちに、もっと社会の動きに興味をもってほしいという思いからつくられた。 「はじめは3、4人だけで書いて、編集して、グラフィックをつくって、ぜんぶ自分たちでやっていました。3、4ヶ月してチームを募集するようになって、いまでは13の国から70人のライターが集まっています。グラッフィクデザイナーは20人くらい」。アンアンは誇らしげなほほ笑みとともにそう言った。
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特権、教育システム、そして政治における若者の役割。この3つが、アンアンがあらゆる場所でくりかえし訴え続けてきたことだ。この下に続く会話でも、それは変わらない。
だがこれらの話題に入るまえに、その始まりに戻ってみよう。ひとりのインター生が自分の手にした社会的な資本を恥じるようになり、すべての力と時間を政治に注ぐようになり、彼女の名前がインターネット上であっという間に知られるようになったそのきっかけに。
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(いまより)子どもだったとき、どんな子どもでしたか。
静かな子どもで、本ばかり読んでいました。それが小学5年生のとき、母に中国語のスピーチコンテストに出るように言われたんです。というのは家では中国語をもうひとつの母語として話していたので。
静かな子どもがスピーチコンテストに送り込まれて、そこからどうやって政治に興味をもったのですか。
最初の年は負けたんです。それで毎年続けて出るようになりました。連続して2、3回勝つようになって、学校側が出場させてくれなくなりました。それで模擬国連のディベートクラブに申し込んだんです。インターナショナルスクールの生徒たちが集まって社会問題を議論する場所でした。そこで社会の問題に興味をもつようになって、政治や法律の本を多く読むようになりました。とはいえまだ国内の問題ばかりでしたけど。
それで去年、中3の夏休みに、アメリカでサマースクールに参加したんです。選んだコースは Law Ethics and Democracy〔法の倫理と民主主義〕でした。民主主義と法について、並行して教えていくコースです。
どうしてそのコースを選んだのですか。
そのときいちばん興味があったのが法律でした。大きくなったら人権を守る弁護士になりたいという夢があったので。それで、法律が政治とどう具体的に結びつくのか知りたかったんです。
そこで勉強しているときに初めて、どうして海外ではこんなにオープンに政治の話をしているのだろうという疑問をもちました。向こうの生徒たちがわたしよりもすごく開かれた考えをしていたんです。彼らにとって、政治はすごくふつうのことでした。政治のコースを履修していない生徒・学生、たとえば医学系の子ですらそうでした。政治について聞けば、同じように意見を言ってくれる。ここで自分たちの国のことをふりかえってみたときに、どうして政治は汚いものだと定義されているのかと思ったんです。わたしの友だちとですら、政治の話とか、人間の平等のことすら、話をしたことはありませんでした。
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あなたが向こうで出会った、開かれた考えというのはどんなものですか。
ああ、すごくよく覚えています。わたしが受けていた授業は大学の講義みたいでした。教室には生徒が40人くらいいて、円をつくって座っていました。1日に3時間の授業で。先生がいろいろ文脈〔context〕の話をしてくれるのが授業の40パーセント。残りは先生が大きな質問をひとつ投げかけるんです。それから生徒たちにディベートの場を与える。先生がいっしょになって自分の意見を出すこともありましたが、ほとんどは生徒の全員が自分たち自身の意見を述べていました。
タイでの授業のしかたと比べたときに、わたしがいるようなインターナショナルスクールでも、こういうかたちの授業はありませんでした。先生はただ一方的に教えるだけです。わたしたちが自分の意見を述べるための時間は十分にはありません。向こうのクラスでわたしが学んだことの60パーセントは、まわりの友人たちから得たものでした。だからすごくちがうと思ったんです。生徒の全員がはっきり自分のことを話す。タイでは学校のディベート部で部長をしていたわたしでも、向こうに行ったときには話すのが苦手な子みたいでした。ほんとうにそれくらいちがったんです。とても目を開かれました〔เบิกเนตรมากๆ〕。
それから1年経ちましたが、まだ弁護士になりたいですか。
まだなりたいと思ってます。でも政治への興味が増して、タイの司法制度の問題も見えてきたので、これまであった法への信頼がなくなりはじめています。いま見えている未来の自分の姿も、これまでとはちがいます。それでも、いろいろな可能性を探そう〔explore〕としています。最近はジャーナリズムに興味をもちはじめています。自分で文章を書く機会もありましたし。そこも、同じように社会と政治につながっています。
あなたがインター生の特権について書いた最初のコラム Young, rich and ignorant で、あなたは自分もそういう立場の人間のひとりだと述べていました。いつからそういう認識をもったのか知りたいです。
初めて特権という言葉を意識したのは、ジョン・スチュアート・ミルの『功利主義論』や、アリストテレスみたいな、法律や哲学の本を読んだときです。封建制を通した特権のありかたを学びました。でもそのときは、まだ自分個人の話とは結びつきませんでした。
そのあと、タイでワンチャルーム・サットサックシット*さんの失踪のニュースが出たのと同じくらいの時期に、ジョージ・フロイドさんが亡くなったニュースが流れました。コラムに書いたとおり、インターの学生はだれもがジョージ・フロイドと、アメリカの黒人差別について話してた。けれども、誰一人ワンチャルームさんの失踪の話をするひとはいなかった。そのことで、わたしたちはこの国で特権を与えられているから、ワンチャルームさんの話をする必要がないんだと理解できました。ワンチャルームさんが失踪しても、わたしたちの生活に影響はないんだと。もうひとつは、友人の家庭の多くがビジネスを営んでいて、2014年のクーデターの影響を受けていたことです。あのころから、この社会にある階級の格差を意識するようになりました。そのことで、ひとがツイッターで話していることがわかるようになりました。たんなる中間層とわたしたちのような特権をもった人間たちのあいだに、どれだけのちがいがあるのか、というようなことです。
*1982年生まれの人権活動家。2014年のクーデターののちに、刑法112条の王室不敬罪などの罪に問われ、国外に逃亡していた。2020年6月4日、逃亡中のカンボジア、プノンペンのマンション前で、銃をもった男たちに拉致され、そのまま行方がわからなくなった。その後殺害されたと見られ、タイ政府による介入が疑われている。ワンチャルームの失踪事件は、学生たちの民主化デモが拡大する大きなきっかけとなった。
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あなたは I am one of them and I am ashamed〔わたしもそのうちのひとりで、それを恥じています〕と書いていましたね。その特権を恥じるようになったのはなぜですか。
まず、わたしもほかのひとと同じようにタイ人であるのにも関わらず、どうして国内の政治よりもアメリカの政治の話をよく知っているようなことになるのか、それはちがうんじゃないか、そういう思いが恥ずかしくなったきっかけです。
もうひとつは、自分自身もデモに参加して、たくさんの先輩たちのスピーチを聞いているうちに、すべてがわたし自身と関係しているんだとわかったことです。政治はあらゆるひとのものです。だけどわたしは政治に関わったことがなかった。ただ、わたしが社会的な資本をもっているというだけの理由で。わたしたちだって、社会的な変化を生み出す力をもったひとたちの一部のはずなのに、誰も自分の意見を表明してこなかった。そんな自分をものすごく恥に思いました。
そういう感情とどう向き合ったのですか。
デモに参加することで、助けられた部分もありました。同時に、たくさんの知識を得ようとしています。少なくとも、自分自身の自覚〔aware〕から始めようと感じたからです。最近になって、わたしの話を聞いてくれるひとが増えたり、わたしの書いたものを読んだりリツイートしてくれるひとが増えるようになりました。自分がこんな場所までやってくるとは思ってもいませんでした。自分がそういう特権を与えられてきたのなら、それを活かすべきだと思うようにしています。
ひとが生まれを選べない以上、〔ひとりの人間に〕特権〔が与えられること〕そのものを過ちとすることはできません。だけど、わたしたちは自分のもっている社会的な資本をどう扱うか選ぶことはできる。わたしはそれを正しく使えているのでしょうか。毎日、その資本を使って、社会に最大限の利益を生み出せるように努力しています。そのことで、〔恥の〕感情を和らげることができています。
自分の政治的立場をはっきりと表明することは、怖くありませんでしたか。
初めはまったく怖くありませんでした。最初はインター生と特権についてコラムを書いただけで、政治に直接触れたわけではありませんでしたし。それに、この年齡の若い人たちがもつ炎みたいなものもあって、わたしも、ほかの多くの友だちも、あまりものごとを怖がるタイプではなかったので。わたしたちがもっている夢もそうですね。だから、いま、わたし自身の未来のために戦うのが、わたしじゃなくてどうするんだ、と思いました。
だけどいっぽうで怖いこともあります。それに負わなければいけないリスクもある。たとえば最近だと、とつぜんわたしの家族のプロフィールがソーシャルメディア上に流れたことがありました。これまでそんな話をしたことも、オープンにしたこともなかったのに。けれども、仮にいま自分のプライバシーを犠牲にして、未来に民主主義と平等が返ってくるのなら、そこは犠牲を払う価値があると思いました。恐怖だけを感じていても、その場所にはたどり着けませんし。
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あなたがずっと主張してきたことのひとつに、教育システムの問題があります。自分自身もその問題に直面する学生のひとりとして、いまいちばんあなたに影響を与えているものはなんだと思いますか。
(即座に答える)学校内の権威主義的な思想です。教師と生徒の多くがまだ封建的な思想にとらわれている以上、誤った敬意が生まれます。本来の敬意というものは、わたしが相手に敬意を示したならば、相手もわたしに敬意を示す、というものだからです。
いまタイの学校の多くで起きていることは、敬意〔respect〕ではなく服従〔obedience〕です。この社会は、わたしたちに従順であることを求めて、そういう考えかたを植え付けています。だからタイ人はすぐに「なんでもいいよ〔อะไรก็ได้〕」という。だけどほんとうになんでもいいままにしていたら、わたしたちのひととしての価値が失われてしまいます。
こういう教育のせいでわたしたちは、教師がわたしたちを罵り、暴力を振るって、たとえそこに合理性がなかったとしても、それを問題ないと感じ、それを認めてしまいます。そうではないのです。わたしたちは、だれかがわたしたちの価値を貶めるようなことをするのを、問題ではないと感じるべきではないのです。
校内での体罰について多く話されるようになってきています。どうやったらこの問題は解決できるでしょうか。
わたしひとりに、なにができるわけではありません。ただ、教育制度と権威主義を解体〔deconstruct〕するところから始めなければいけないと思います。そのことで、教師も生徒も、おなじ、平等で、ひとしい尊厳をもった人間なんだということが理解できるようになる。生徒が教師を殴ることができないのに、どうして教師は生徒を殴る権利があるのでしょう。
ただ、それは教師の側をどうにかするだけでは足りません。生徒の側も変わらなければいけない。もしそういう行為が起きたら、立ち上がって、それに逆らわなければいけない、ということを全員が理解しなければいけません。そういう行為をただ認めてしまうのは、教育が、わたしたちを抑圧する道具として使われているということを意味します。
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学校内での抑圧や権利の制限が、わたしたちの価値や尊厳を傷つける以外に、社会の構造にどんな影響を与えますか。
学校はわたしたちの思考をかたちづくる場所です。幼稚園から18歳までが、わたしたちの脳がいちばん成長し、発達する期間です。だから学校で得た価値観をずっともったまま、一生を生きていくことだってある。こういう年齡を過ぎてしまったら、わたしたちの考えや価値観はなかなか変わりませんから。
黙ってひとの言うことに従い、ただ言われたとおりのことをするだけで、反論をしないという価値観が学校で植え付けられれば、社会のひとびともまた黙り込むだけのひとになってしまいます。上に立つ権力者がわたしたちを抑圧しても、それに対して意見を述べたり、疑問をもつ勇気ももてなくなる。そして最後にはただ服従するだけの社会になります。〔政治家の〕汚職が起きても、社会のひとびとがなにも言わず、疑問をもたなくなる。ひとがそういう批判的な思考〔critical thinking〕をもてなければ、社会はまえに進みようがない、ということです。
教育というのが社会問題の根本にあるということですか。
そうです。主要な原因のひとつです。
じゃあ、教育がよくなれば、すべてそれに合わせて改善しますか。
かもしれません。ただ、ほかにもいろいろな要因がありますから。家族や政治の制度も、子どもの能力を助けるべきものですよね。もしそういったものが改善されれば、わたしたちの国は一足飛びで良くなると思います。
けれども、タイの学校すべてをすぐインターナショナルスクールみたいにすることはできません。タイの教育はどれだけ改善されればいいのでしょうか。
どうしたら、インターに通わずに、子どもが、わたしのように英語を喋れるようになるのかと聞かれたことがあります。こういったことも、この社会の格差をはっきりと表しています。なぜなら本来、よい教育というのは全員に与えられた基本的な権利でなければいけないからです。だからまず、脱中心化〔decentralize〕から始めるべきです。すべてがバンコクに集まっていてはいけません。どうして地方の子が、入試を通過してバンコクのトップ校に入りたいと思わなければいけないのですか。どうしてその両親が、自分たちの希望を子どもに託さなければいけないのですか。試験に合格して、バンコクで働いて、両親のいる実家に仕送りをしてほしいと。
もうひとつは、批判的思考力〔critical thinking〕を育てるカリキュラムが重要です。子どもたちが自分の頭で考えられるようにしなければいけません。暗記させるのではなく、子どもたちが自由に問いかけられるようにしなければいけません。「だめだ・できない〔ไม่ได้〕」という言葉で子どもを抑えてはいけません。なにかをしてはいけないのなら、それはきちんと説明されなければ。
いまの教育システムは、子どもをロット単位で生産する機械のようなものです。それぞれの機械が、成績がAの子、Bの子、Cの子をそれぞれ製造する。それはさらに学校レベルで分かれている。インター、私立、国立。そうしたシステムにとらわれるのではなく、すべての子どもが異なる植物の種なんだと考えるべきです。この植物はほかのものより水がたくさん必要だ、こちらはもっと日光が必要だ、というふうに。たったひとつのやりかたで、すべての子どもをなんとかする〔one and done〕ことはできません。学校の役割は、種をまいて、水と光を与えてそれを養い、自分たち自身で育っていくようにさせることです。
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そうです。そういう場所はこれまでありませんでした。社会の問題に特化しているようなところはなかった。学校のなかに、政治に関係するクラブ活動もなかった。多くの学校は、生徒の政治的活動を支援していない可能性もありますし。だから、自分たちでつくることに決めました。学校から支援される必要もなく、こういうニュースを若者に読んでほしいというわたしたちの夢にもとづいて運営しています。若者のための、若者によるニュース。相互理解みたいなものです。お互いに、自分たちの友だちがなにを読みたいかというのがわかっている。
どうして最近の若い人たちは、主流メディアのニュースを読みたがらないのだと思いますか。
テクノロジーの問題もあると思います。いまは、ニュースを書きたいひとがいれば、書くことができる。だからこそフェイクニュースの問題もたくさんあります。だから、正しく、中立的な情報を得ようとして、どのメディアを信じるべきなのかわからなくなる。わたしたちの choosechange は、中立的なメディアではありません。わたしたちの立場は報道局ではなく、リベラルで先進的な意見〔liberal progressive opinion〕のためのプラットフォームだからです。
メディアを運営する人間のひとりとして、中立は存在すると思いますか。
難しい(しばらく考える)。純粋〔pure〕な意味での中立なんてものは存在しないと思います。わたしたちは全員がバイアスをもって生まれてくるから。けれども大事なのは、それぞれのひとがそれぞれの立場をもつように支援することだと思います。自分たちは中立だと謳って、どんな支援もしないのではなくて。
これまでずっとしてきたのは、ひとに、政治に興味をもってもらう、ということでした。能動的な市民〔active citizen〕になってもらって、社会の一員としてどんな役割があるのかということに関心をもってほしかった。あるいは、18歳になったときにどの政党を選ぶんだ、というようなことに。それは、わたしたちと同じ政党に投票しろということではなく、あなたも、自分自身の立ち位置をもたなければいけないんだよ、そして、あなた自身が社会にとっていいと考えることを選ぶんだ、ということを知ってほしいということです。
たくさんのひとが、無関心〔ignorance〕なひとと意見が異なるひとと、どちらのほうがタチが悪いかとわたしに聞きます。そういうとき、わたしはすぐに無関心と無感動〔apathy〕のほうがタチが悪いと答えます。政治的な立ち位置があるのなら、少なくとも未来はどう進んでほしいのかという希望をもっていることになりますから。だけどもしその立ち位置もなければ、ドアは閉ざされてしまったようなものです。八方塞がりです。
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いっぽうで大人は、子どもの役割は勉強で、政治に関わるべきではないと言います。実際のところ、あなたのような世代の学生が政治的要求をするというのは、どの程度必要なことなのですか。
とても大事なことです。あと20〜30年さきの未来は、わたしたち若者の手のなかにあります。あなた自身が出てこなかったら、誰があなたの未来のために動いてくれるのですか。けっきょくは誰もが、自分自身の未来のためにたたかうのです。わたしも含めて多くの活動家〔activist〕が、政治についての発言をすると決意したのは、いまよりもいい未来を望んだからのはずです。
あと10年経ったときに、このことは話していい、これは話してはいけない、ということを怖がらずにすむといいと願っています。あらゆるものを堂々と批評することができればいいと願っています。自分の生活の質のことだけを考えなくてすむ未来、自分の夢のための時間を使える未来がほしいのです。だからわたしたちはたたかっています。
もしもこの国の政治がまともで、あなたがここまで述べてきたもののすべてを主張したり、要求したりする必要がなかったとしたら、あなたの夢はなんですか?
いまのわたしの夢は、すべてのひとの基本的な権利と平等です。これまでずっとそのことを考えて夢見てきたので、自分の夢を本気で考える時間がなかったという感じです。だからいまはそれがわたしの夢です。これこそがこの社会の問題を示しているんですよね。わたしたちのような子どもが国の不安定と、未来の生活の質を心配しなければならないことが。そして最後には、自分の夢を考える時間がなくなってしまう。
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もし基本的な人権と平等が実現されたら、いまある上流階級のひとたちの特権も失われていきます。それを怖がるひともいるのではないでしょうか。
特権をもったひとたちも、最初は怖くなると思います。だけど〔わたしと同じように〕特権をもった友人や他のすべてのひとに伝えたいのは、怖がるのではなく、希望をほかのひとに託すべきなんだ、ということです。あなたたちの抱えてきた特権は、〔なにかのきっかけで〕一瞬で消え去ります。いまあるものが未来には存在しないのだとすれば、わたしたちは今日、いまわたしたちがもっているものを最大限に活かさなければいけません。そういうことを常に考えるべきです。
あなたの入っている殻を開けて外に出て、まわりの世界で起きていることを見てみましょう。あなたは特権をもっていて、いい生活をしている、だからまわりのことに興味をもたなくていい、ということにはならない。ひととして生まれてきたのだから、人間の尊厳のことを考えるべきです。互いを思いやらなければいけない。
10年経って、もしあなたの求めているものがまだ実現していなかったとして、あなたはどうしますか?自分の人生における義務も増えていて、責任をとらなければいけないことも増えているはずです。
たとえ10年先でも、民主主義のためにたたかっている自分が見えます。そのころには自ら道に出てデモをしていることはないかもしれませんが、わたしの心はやっぱり民主主義の心のままです。わたしは市民の責任〔civil responsibility〕ということをよく理解しています。わたしはタイ人だから、ほかのタイ人たちの未来への希望をもたなければいけません。
政治よりも大切なことはたくさんあるよ、と感じている多くのひとに言いたいのは、結局、すべては政治なのだ、ということです。大人になってどんな仕事をしたとしても。家から出て職場に向かうとちゅうで目にするものだって政治です。わたしたちの歩く道路は政治です。BTS〔バンコクの高架鉄道〕は公営ですがこれも政治です。あらゆるものは政治です。政治はわたしたちのまわりにあるのだから、それに関心をもたない、という日など来るはずはないのです。
*インタビュー動画「もしタイの政治が良かったら、子どもは夢を考える時間をもてる」
https://youtu.be/CI2sarIQPlU]