行為功利主義的なガソリン車廃止運動について
SDGs
SDGsにおける17の目標はどれも素晴らしいものである。実現できるのであればぜひ実現するべきであろう。
SDGsの概念は様々な国で広まり、多くの活動がなされている。この活動について考えていきたい。
功利主義
「最大多数の最大幸福」という言葉が有名
社会における行為の目的や義務、良し悪しの判断基準として、社会全体の効用を第一とする考え方
何をもって幸福とするか、例えば幸福度合いを最大10として、度合い2の人間が10人いる場合(合計20)と、度合い1の人間9人と度合い11の人間が1人いる場合(合計21)では、後者の方が良いとされるのか、そもそも幸福とは量的に測れるのか、等々様々な議論がある。
行為功利主義
規則功利主義
選好功利主義
行為功利主義的な環境活動(既にされ尽くされた議論を書くので、あまり面白くはないと思う)
SDGsの中でも、環境に関する活動に焦点を当てる。考えやすいからだ。(17の目標の中では、7と13にあたるだろう)
例えば、ガソリン車を廃止して電気自動車を使おうだとか、そういった活動が行われている。
ここで論点となるのが、人間は地球を構成している1つに当てはまらないのか、である
ガソリン車を廃止したことによって発生した雇用・技術力の損失は、最大多数の最大幸福に含まれないのか?
未来の地球の環境を守ることによって、同時に未来の人間も守れるだろうが、その功利主義的な考えに現在の人間は含まれないのか?
要は、ガソリン車を廃止するだとかの活動は、あまりに行為功利主義的で、行為功利主義の問題点について数百年前に行われた議論の内容をそのまま行っているようなものだ。
行為功利主義の問題点
様々ある。その例をいくつか挙げる。
基準となる個体がいない
「最大多数の最大幸福」の最大多数って具体的になに?
学生を不快にさせているアカハラ教師がいて、その教師を殺害して学生みんながハッピーになったら、その行為は正しいの?
人間の心理と整合が取れない
心理学的事実として、全ての人間は自分自身の幸福を最大化しようと行動している。①
しかし、功利主義では、より一般的・社会的な幸福を第一とすべきと主張している。②
①と②は整合がとれていないのでは
ではどうすればいいのだ?-弁証法的止揚-
ガソリン車は二酸化炭素などの環境に悪い物質を発するので、未来の地球のために廃止するべきだ。(正)
ガソリン車を廃止することによって雇用の損失や今まで培われてきた技術を失う。その経済的・社会的影響は大きく、廃止するべきではない。(反)
では、ガソリン車の技術をそのまま応用可能で、かつ二酸化炭素などの環境悪化に繋がる物質を排出しない車を開発すればいいのでは。(アウフヘーベン)
実例として、トヨタが開発を進めている水素エンジンがある。