幸せの冗長化構成
最近深夜の妄想でできるエンジニアとは何かを考えてる。
エンジニアにおける生産性は、その時の精神的状況にもかなり影響される。
その時”幸せ”なのであれば、他の外的影響が働く可能性はあるかもしれないが、少なくとも内的には生産性の向上が期待される。
では、できるエンジニアの構成要素の1つとして「幸せのマネジメントができる」も含まれるのではないかと考えた。
では例えば「彼女がいるから幸せである」とか「お金がいっぱいあるから幸せである」というのは本当に正しいのか?
それは「幸せの生産」はできているが「幸せのマネジメントはできていない」
もしも突如彼女に振られたら?テスト用で建てたRDSインスタンスを切り忘れて300万請求されたら?
つまり、幸せの生産をするだけでは”幸せのリスク管理”ができておらず、”もしも”の時に幸せじゃなくなり仕事の生産性が落ちてしまう。
それは”できるエンジニア”と言えるのか
だからと言って不倫・脱税などは幸せの分散とはいえず、発覚した際の社会的影響を考えるとむしろ全くリスク管理ができていない
今僕は年齢的に高校生であるが、個人的にそういうつもりはないが恐らく僕は客観的に見て「意識が高い学生エンジニア」の界隈に属している。
そこで考えた僕なりの”幸せのマネジメント”は、意識が高い学生エンジニアの傍ら、普通の高校生生活をすることである。
一部の学生エンジニア界隈の方々は、「同級生、意識低すぎw」「これからは〇〇の時代なのに、なんで学校の人たちは何もしてないの?」と考えているかもしれない。
別に良い。別に良いが、もし君がローンチしたサービスに深刻な脆弱性があり、個人情報が漏洩してTwitterでぶっ叩かれたらどうなるだろうか。
そんな時に他の”幸せ”の享受元として意外と優秀な性能を誇るのが”普通の高校生生活”ではないかと考えた。
放課後プリクラを撮ったり、昼休みに缶蹴りしたり、休み時間に好きなアイドルの話をしたり
別にそれらは何でも良いが、1つ~2つの要素だけを”幸せの生産源”とするのではなく、複数の幸せの生産源を用意し、幸せの冗長化構成を取ることでできるエンジニアとしての道を1歩進められるのではないかと、最近の深夜の妄想の時に考えてる。