唯物論的歴史観は本当に正しいのか?-パレスチナ問題を唯物史観でどう説明するのか-
学校の授業で習った唯物史観と僕の疑問
唯物史観(唯物論的歴史観)を「歴史は生産力と生産関係の矛盾によって進歩する」と習った。
なるほど、確かに荘園制度における貴族と農民の生産関係や、都市における絶対君主とブルジョワジーの生産関係は矛盾による革命が起きてきた。
しかし、マルクスの言うような「資本主義社会の没落」は、数百年たった今でも変わらず続いているし、プロレタリア革命が起こっても失敗しているではないか。
それよりも、「歴史は生産力と生産関係の矛盾によって進歩する」は本当に”歴史”という一般化されたものに対して導入できるのか??
導入できるのであれば、パレスチナ問題は唯物史観でどう説明するのか?
マルクス『経済学批判』序言の一部
社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階にたっすると、いままでそれがそのなかで動いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法的表現にすぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。このとき社会革命の時期がはじまるのである。経済的基礎の変化につれて、巨大な上部構造全体が、徐々にせよ急激にせよ、くつがえる。
僕の妄想①〜革命のプロセスを歴史と定義付けているのか?〜
マルクスの言う歴史とは、ブルジョワ革命、プロレタリア革命などについて、その革命のプロセスを”歴史”と定義付けることによって、特殊条件下で唯物史観を定式化しているのでは。
であればパレスチナ問題は説明できないし、する必要がない(なぜなら前提条件が違うので)
問題
であればなぜマルクスはわざわざ”歴史”という一般化された用語を用いたのか?
これは全て僕の妄想にすぎなく、実際マルクスがどう考えていたかはもう少し本を読む必要がある
僕の妄想②〜唯物史観は弁証法的唯物論を歴史に導入しただけなのでは〜
「唯物論的歴史観」という言葉をそっくりそのまま信じるならば、唯物史観(唯物論的歴史観)というのは弁証法的唯物論を歴史というものに導入しただけのもの?
であればパレスチナ問題やその他の歴史的な出来事は説明できうるだろう。
問題
じゃあ『経済学批判』や『資本論』における社会革命のくだりはなんだったんだ?
これも僕の妄想に過ぎない
学校の先生に聞いてみた
もちろん、1つの答えは出せない。あくまで様々な解釈ができることを前提とする。
先生のアドバイス①「ミクロな視点ではなくマクロな視点で見てみては?」
確かにパレスチナ問題の発端(イギリスの三枚舌外交)やその他歴史的な出来事1つ1つを見たら、唯物史観で説明できないかもしれない。
しかしそれはミクロな視点で歴史を見た時で、マクロな視点、つまり視野を広げて見ると経済が絡んでくるのではないか。
なぜイギリスは三枚舌外交をした?なぜロスチャイルド家は資金援助をした?1つ1つ紐づけて最後に全体を見通すと、マクロ的な歴史に”経済”というものが絡んでくるのではないだろうか。
先生のアドバイス②「資本主義社会を前提としてるのではないか」
マルクスの言ってることは資本主義社会を前提としていると考えれば、割と説明がつくのではないか
イギリスは三枚舌外交をした。では、イギリスがもし社会主義国家だったとしたら、同じことが起こるだろうか?