信頼関係構築のためのコミュニケーション手法
ラポール形成とは
相互に信頼しあっている状態、関係性のこと
よくある勘違い
「コミュ力が高い」とは、いわゆるウェイ系みたいな「うぇーーいwオタクくん喋ってなくない?wもっと盛り上がろうよw」的なものではない
性格や身につけているものを始めとした相手の様々な特徴を意識し、尊重し、その時々に合った適切なコミュニケーションができ、どんな相手でもラポール形成ができることを「コミュ力が高い」というと僕は思っている。自論です。
現実世界におけるラポール形成のための動作的手法
類似性の法則(人間は自分と共通点のある人に親近感がわく)を元の概念とし、ミラーリング・マッチング・バックトラッキングという3つの手法が重要になる
ミラーリング
鏡のように相手の動作をさりげなく真似すること
相手が足を組んだら自分も足を組み、相手がニッコリしたら自分もニッコリする
まばたきの速度などもミラーリングの対象
マッチング
相手の話すスピード、声の大きさ、トーンなどを相手に合わせること
アンチパターン:小さい声の人に大きい声でぶわああと喋る
バックトラッキング
相手が言った言葉をそのまま繰り返すやつ
「最近彼女と上手くいって無くて...」と言われたら「そうなんだ、最近彼女と上手くいってないんだ...」、「やっぱり友人は大切だよね」と言われたら「うんうん、友人は大切だよね」的な
開放性の法則
人は胸襟を開いて自分のプライベートな部分を見せてくれた相手に対して、好感を持ちやすいという心理のこと
ラポール形成までいきたい相手と会話をする場合、あまりにも際どい話は無しとしてある程度プライベートのことも話したほうが良い
「正月は何して過ごしたの?」「ダラダラしてましたね〜」よりも、「正月は何して過ごしたの?」「実家の北海道に帰省してゆっくりしていました〜。北海道ということで寒いし、私冷え性なのでお風呂がいつもより辛かったんですよ〜」的な
話のネタを作るための日常的意識
例えば私服の学校なら、よほどオシャレ意識が高い人じゃない限り「服のパターン」というものが存在する。制服だとしても、アクセサリーや髪型、メイクの濃さなどといった身体的特徴・その関連特徴を観察しておくとその人との会話が広がる
例えば人とでかけた際、「あれ?いつもだけど今日はもっと可愛い/カッコいいね。その服はどこで買ったの?」と言える
普段オシャレで髪の毛もしっかり整ってる人が、珍しく寝癖がついたまま登校してたら「あれ、今朝は急いでたの?」と話しかけることができる
相手にオススメされた事(音楽など)は、オススメされた時はその人が具体的にどんな所が好きなのか、いつから好きかなどを聞いてみる
そして当日中にオススメされたものを履修(音楽ならある程度そのアーティストの曲を聞いて、アーティスト自体の情報も調べておく)し、翌日にその話をもう1度する
この時、前日に相手が好きだと言っていたものを自分も好きだということで、先ほど紹介した類似性の原則で好感を得やすくなる
6W1Hの質問ができるようになる
これは雑談力の話であるが、雑談力も割と大事。最近「雑談力≒質問力」なような気がしてる。
「どんなの?(What)」「誰と?(Who)」「いつ?(When)」「どこに?(Where)」「どうして?(Why)」「どれを?(Which)」「どうやって?(How)」
全部やるとストーカーみたいなキモいやつになるので、量を調節しつつ各質問の回答ごとに生えた新しいトピックについて枝分かれのように話していく
「この前イオン行ったんだ〜!」「お〜いいね!誰と行ったの?」「ママと行ったの!」「そうなんだ!そういえば君のお母さんとまだ会ったこと無いな〜どんな人なの?」的な
相手の性格を理解しておくとコミュニケーションの参考になる
性格には、生まれつきの性格・育てられた性格・習慣化された性格・役割的性格が存在する。
役割的性格は相手の立場(先生、同級生、親など)によって使い分けている性格、習慣化された性格というのは日常生活の中である程度コントロール可能な性格(挨拶など)
役割的性格があまり形成できてない人は精神的な成熟度がまだあまり高くない。
つまり、目上の人に失礼な態度を取ったり、真面目なシチュエーションでふざけてる人みたいな
役割的性格があまり形成できてない人は、僕の経験論なので一概には言えないが、「そんなのどうでもいいじゃん」という感覚派が多い。こういう人ととのラポール形成を目指す場合は、正論を言わずに相手の意見を肯定し、相手が求めてきたノリに合わせておけば事足りる。いわゆる「単純な人」
習慣的性格と育てられた性格で親の教育水準がある程度見えてくる
挨拶の仕方や日常における動作の丁寧度で、幼少期〜児童期にどの程度の教育を受けたのかがある程度わかる
大抵の人は、「ある程度のマナーは心得ているがたまに抜けたところがある」というもの