経済危機が個人のせいにされるのはなぜか
https://youtu.be/XcIwN_uZy3c
社会学者として私は、社会政策が国家と市民の間での重要な意思疎通のひとつだと知っています。
このプログラムのメッセージは トレーナーの一人の言葉を借りれば 「とにかく行動しろ」 ナイキのキャッチコピーですね。
象徴的に国は、職を失った人々にこう伝えていたのです。
もっと行動的であれ。もっと努力せよ。自己研鑽せよ。心の中の悪魔と戦え。もっと自信を持て ―まるで失業したのが個人の失敗のせいであるかのように、経済危機による苦境が個々人のストレスによるものだとされ、深呼吸と瞑想によって体内でコントロールするものとされたのです。
個人の責任を強調するような、こうした社会プログラムは世界中でどんどん一般的になっています。これらは社会学者のロイック・ワカンが 言うところの 「新自由主義のケンタウロス国家」の台頭によるものです。
ケンタウロスというのは古代ギリシャ文化における神話上の生き物で、半人半獣の存在です。上半身が人間で下半身が馬の生き物です。
ですからケンタウロス国家というのは、社会階層の上位にいる者たちには人間らしい顔を向けておきながら、社会階層の下位にいる者たちは踏みつけられ追い払われる国家です。
富裕層や大企業は税負担カットなどの支援策を受けられるのに、失業者や貧困層は国の支援を受けるに値すると証明することを求められ、道徳的に罰せられ無責任だとか受け身だとか怠惰だと非難され犯罪者扱いさえされます。
(中略)
ですから言葉―個人の責任を語る言葉が、集団での現実逃避となっていたのです。失業が個人の失敗であるとする社会政策が行われる一方で、人々に実用的なスキルをもたらすプログラムや雇用を創出する ― 十分な資金がないのに政策立案者らの責任には 気づかないままなのです。
貧困層は受け身で怠惰なのだと非難を浴びせる一方で、国外移住以外に貧困を脱せるような実際の手段を人々に与えない限り、貧困の真の理由からは目を背けたままです。そしてその間、私たち全員が苦しみます。
なぜなら社会科学者らの研究による詳細な統計データによると、経済格差が高い社会であればあるほどに、精神的・肉体的健康に問題を抱えた人が多いとされているからです。社会格差は持たざる者だけでなく、全員にとってよくないのです。
なぜなら格差の激しい社会に暮らすということは、社会的信頼が低く不安が大きい社会に暮らすことだからです。
そうやって私たちは自己啓発本を読んで習慣を改めようとしたり、考え方を変えようとしたり瞑想をしていました。
もちろんそれも一応役には立ちます。自己啓発本を読めば気分が明るくなりますし、瞑想することで他人との精神的な結びつきを感じられます。
私が必要だと思うのは、私たちは社会的にも結びついているという意識です。社会格差はあらゆる人の害になるからです。
私たちには道徳的教育を 目的とするのでなく、社会的正義と平等を目的とするような思いやりのある社会政策がもっと必要なのです。