現代ポピュリズムの誕生
https://youtu.be/uMNwUh0X5eI
ポピュリズムという言葉は古代ローマ時代から存在し、ラテン語の “populus” つまり “the people (大衆) "に由来しています。
それ以来ポピュリズムは、様々な政治活動を表す言葉として用いられ、多くの場合違和感のある時には矛盾するような目標を掲げます。ポピュリズムの運動として、君主制や市場の独占や権力を持つ様々な機関への反抗がみられます。
第2次世界大戦直後、多くの国が全体主義的イデオロギーから抜け出したいと願っていました。ここで求められた新政治体制は 個人と社会の権利を優先し、政治的コンセンサスを目指し、法による支配を尊重する体制でした。
その結果ほとんどの欧米諸国は、古くから存在する政体を採用しました。自由民主主義です。
ここでの“liberal (自由主義の)” は 特定の政党を指さず、3つの重要な要素で構成される民主主義の1つです。
自由民主主義の3要素の1つ目は、対立の元になる領域をまたいだ分断に満ちた社会を受容すること。
2つ目は多くの対立しあう勢力が分断の壁を越えて共通の基盤を求める必要性があること。
3つ目は法による支配と少数派の権利の保護をよりどころにしており、憲法や法令にそう定めていること。
つまりこれらは、私たちを不寛容から守る寛容や制度を提案しており、機能的で多様な民主的社会の根本となっています。
自由民主主義は採用した国の安定に寄与しましたが、どんな政治体制にも言えるように万能ではありませんでした。問題の中でも特に貧富差の拡大は行政が行き届かない層を生み出しました。富裕層と政治家へ不信感を抱く人々です。
時には腐敗した政治で国民の信頼はさらに失われていきました。そんな政治家への疑念や怒りが膨らみ、国民が新たなタイプの指導者を求める土壌が生まれました。現行の体制を疑い国民の要望を最優先してくれる新しい指導者です。
色々な意味でこのような反応は、民主主義を体現しているといえます。もし国民の大多数が自分たちの利益を代弁する声が足りないと感じれば、既存の民主的な仕組みを利用し現状打破のため新たな指導者を選出できます。
しかし自己主張の強い現代ポピュリストに、民主主義が打ち負かされる局面にもなりえます。
現代ポピュリストたちは 「民意」の体現者を名乗り、個人や社会の権利を保護する制度よりも大衆の利益に重きを置きます。
またこれらの制度を利己的な少数の支配者層が牛耳り、道徳的な大衆のコントロールを試みているのだと主張します。
その結果政治は、寛容な民主主義制度を通じて妥協案や合意を探るという本質を失ってしまいます。
それどころかポピュリストは自分たちが破綻しているとみなす制度の転覆を試みます。
つまり自由民主主義は、法廷、報道の自由、憲法などの制度に対して、最大限の敬意を払う制度であるのに、現代のポピュリストはいわゆる「共通の意思」に沿わない制度は、全て否定するのです。
現代ポピュリストの政党はあちこちで誕生していますが、そういったポピュリズム運動の指導者たちはおどろくほど類似しています。
多くが自らを「民意」の体現者と称するカリスマ的な人物なのです。支持者に対し実現不可能なほどの行き過ぎた公約をし、反対勢力に対しては国を蝕む反逆者呼ばわりします。
彼らが本当に信念に従って動いていようが、人の心を巧みに操る日和見主義者であろうが、彼らの勢いに押されて自由民主主義がひどく弱体化してしまう可能性があります。
仮に現代ポピュリストの指導者が 過激な公約を果たさなかったとしても、世論や法の支配、そして国民の信頼に及ぼした影響は、在任期間が終わっても 長く後を引くのです。
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