【引用】ところが不思議なことに、自動詞表現と受動態表現という兄弟関係にある表現を、われわれが現在用いている能動対受動の対立図式のなかに持ち込むや、とたんにこれら二つの表現は、能動態と受動態として対立してしまう。
ところが不思議なことに、自動詞表現と受動態表現という兄弟関係にある表現を、われわれが現在用いている能動対受動の対立図式のなかに持ち込むや、とたんにこれら二つの表現は、 能動態と受動態として対立してしまう。たしかに、"I appear" は能動態で、"I am shown" は受動態だからである。 この事実は、能動対受動の対立図式がどれほど行為の帰属という観点に取り 憑かれているかを実に分かりやすく示すものである。もともと大差のない表現であるにもかかわらず、「その行為を誰に帰属させるべきか?」という問いが作用するや、両者は対立させられる。同じ しぐさ が、行為の帰属をめぐる尋問を受けると、 自発的に姿を現したのか、何かによって姿を現すことを 強制 されたのか、どちらかを選ばねばならなくなる。
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