【引用】さて、そうした精神分析がどういうふうに現代思想とつながっているのか。
さて、そうした精神分析がどういうふうに現代思想とつながっているのか。
改めて言うなら、現代思想は精神分析批判を行いますが、そもそもは精神分析からインスピレーションを得ているわけです。
前の章でニーチェ、フロイト、マルクスを通して見てきたように、19世紀において、表面の秩序の下に隠されている力の次元が発見され、20世紀になってそういう脱秩序的なもののクリエイティビティが言われるようになった。
表面の秩序というのは二項対立的な組み立てです。
そこから逃れるものは、デリダであれば脱構築によって問われるグレーゾーンであり、ドゥルーズだったら逃走線の先の外
部ということになります。
人間の思考や行為には整序されたものだけでなく、不合理な力の流れに任せている面があって、本当の人間理解に至るには、秩序をはみ出すようなディオニュソス的で禍々(まがまが)しいものを人間に見出すのでなければならないのです。
精神分析は、ひとつの人間の定義を与えます。
過剰さ、あるいは秩序からの逸脱性。
僕はよく「人間はエネルギーを余している」と言っています(これは方言っぽいですが、「余らせている」より「余している」という言い方がなんとなく僕には自然です)。 /icons/hr.icon