【引用】ここで注意せねばならないのは、こうした構文の存在をもって「英語にも中動態がある」と主張してしまっては、中動態をめぐる諸問題には接近できなくなるということである。
ここで注意せねばならないのは、こうした構文の存在をもって「英語にも中動態がある」と主張してしまっては、中動態をめぐる諸問題には接近できなくなるということである。そのような主張には、ある時点での言語状態を取り上げて、それを一つの完結した体系として描き出すことができるとする言語観が透けて見える。言語を均衡のとれた体系として見ていると言ってもよい。  言語は不均衡な体系である。言語は常にさまざまな要求に対応しながら、抑圧と矛盾を抱えつつ運用されている。人の心や社会と同じである。だから、矛盾が甚だしくなれば、抑圧に対する反発が強くなることもある。
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#2025/10/22
『中動態の世界 意志と責任の考古学|國分功一郎』