『生き方|稲盛和夫』
「有意注意」という言葉があります。意をもって意を注ぐこと。つまり、目的をもって真剣に意識や神経を対象に集中させることです。たとえば音がして、反射的にそちらをパッと向く。これは無意識の生理的な反応ですから、いわば「無意注意」です。 有意注意は、あらゆる状況の、どんな些細な事柄に対しても、自分の意識を「意図的に」凝集させることです。したがって前項で述べた観察するという行為などは本来、この有意注意の連続でなくてはなりません。ただ漫然と対象を眺めていたり、注意力にムラがあるようでは有意注意にはならない。
ただし知足の生き方とは、けっして現状に満足して、何の新しい試みもなされなかったり、停滞感や虚脱感に満ちた老成したような生き方のことではありません。 経済のあり方にたとえれば、GDPの総額は変わらないが、その中身、つまり産業構造自体は次々と変わっていく。古い産業が滅んでも、つねに新しい産業が芽生えていくようなダイナミズムを有したあり方です。すなわち、人間の叡智により新しいものが次々に生まれ、健全な新陳代謝が間断なく行われる、活力と創造性に満ちた生き方。イメージとしてはそういうものです。
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