『人事と採用のセオリー 成長企業に共通する組織運営の原理と原則|曽和利光』
Highlights & Notes
セオリーと言うと、昨今もてはやされている組織論や人事制度を思い浮かべる方が多いかもしれません。実際、多くの企業は、アメーバ組織やティール組織といった成功企業の組織論、成果主義やフリーエージェント制といった人事制度を表面的に導入しようとします。 しかし、そうした組織論や制度をそのまま導入するだけでは決してうまくいきません。すべての会社にとって理想的な組織論や制度など存在しないからです。会社の置かれている状態で最適な組織や制度のあり方は変わってきます。逆に言えば、成功企業は、事業モデルや市場環境、人員構成や企業文化に基づいて、自社にフィットする組織や制度を選んでいるのです。
では、セオリーとは何でしょう。それは、人事や採用の考え方であり、その背景にある心理学と組織論をベースにした人の行動科学です。
一般に、人事の世界では「内部流動性(異動) と外部流動性(転職) はトレードオフ」と言われています。人は、異動して仕事環境や業務内容が変わると、気分一新また頑張ろうと思います。しかし同じ仕事をずっとやっていると、仕事のスキルや業務生産性は上がるものの、成長は鈍化します。すると、外部に成長できるところを求めて転職するのです。 つまり「内部流動性=異動の頻度」を高めれば、「外部流動性は減る=社内に定着する」わけです。逆に、異動させなければ、「外部流動性は高まる=転職する」ことになります。即戦力採用重視型は、若手人材の異動を減らすことで、彼らの目を徐々に外に向けさせ、自然な転職を促すのです。
企業が成長することで、売上だけでなく、組織の構成員が増えます。そして人数の増加に伴って、企業は人事の方針を変えることが求められます。その理由は、人の「認知限界」に由来します。
なおベンチャーのなかには、人数も少ないのに会社の体をなそうとして、むやみにかっちりとした人事制度を作ろうとするところがありますが、これはお勧めしません。近い将来、株式公開するのであれば別ですが、そうでなければ、認知限界を超えるまではむやみに制度など作る必要はありません。社長が自ら全体を見て、考え、判断すればいいでしょう。ベンチャー企業には、社長を超える能力を持った、事業を任せられる人などいないからです。
ですから「背中でマネジメント」する組織には、組織運営に関する公式のルールがありません。
組織はルールを守るためではなく、社会に価値を提供するために存在します。その意味で、この段階の組織は一つの理想形と言えるかもしれません。
ベンチャー企業などがよく陥る落とし穴が、「[Step2]を飛ばして、[Step3]に行く」ことです。しかし残念ながら、このアプローチは多くの場合、失敗します。多くの人は、単に自由を与えても、自律的に行動しません。「自由」とは、多くの人にとって、ある種プレッシャーであり、負担なのです。真に自由を享受できる自律的な人、勝手に自発性を発揮できる人は、あまり多くありません。自発性がない人、自由を活かすスキルがない人に、「自由に仕事をやってくれ」と言うと、ただ手足が止まってしまいます。
[Step2]を飛ばそうと経営者が考えるのは、第一に経営者自身、「自由が大好き」だからです。経営者の多くは、上司にあれこれ言われるのが嫌で、自由にやりたいから独立しています。そういう人は、会社が成長して自分ですべてを見られなくなると、組織に自由な気風を持ち込もうと、「自由と自己責任」などと言い始めます。しかしこれは、多くの人にとってありがた迷惑です。職場で働く人の大半は、むしろ「細々と指示して教えてほしい」と考えます。こうした人が自由を享受し、自律して動くには、いきなり自由を与えるのではなく、最初は型にはめることが必要なのです。 こうした人の行動は、「熟達化(人はどうやってエキスパートになっていくか)」と呼ばれる心理学の分野でも研究されています。同研究によれば、人は熟達するために、最初はまず型通りにやってみて、型通りにできるようになったら、自分らしいやり方を徐々に模索するのが良いとされます。つまり、組織が成長する上で、[Step2]は飛ばせないのです。
いわゆる「官僚制」「官僚主義」という言葉は一般に、計画でマネジメントのスタイルを採る組織に対して使われます。官僚主義という言葉は、事前に決まった計画や規則で行動が縛られるため、批判的に使われがちです。しかし、官僚制は大きな組織を動かす上でのマネジメントの基本であり、それ自体が悪いものではありません。むしろ、世のほとんどの企業が、官僚制の組織形態を採っていると言っても過言ではないでしょう。
文化でマネジメントする組織では、孔子の「心の欲する所に従えども矩を踰えず(自分の思うがままに物事を行っても、正道からは外れない)」という言葉に似て、「やってはいけないことを定める(OBラインを引く)」「トラブルや例外が起こったときにだけ管理者が介入する」など、全体としては緩く統制されているものの、個々人は自由な創造性を発揮できます。
組織の「文化」というものは、宣言しただけでは、実現できません。一貫性のある人事を長い年月実施することによってはじめて作り上げることができるのです。
また[Step5]の組織には、経営学者ジム・コリンズが著書『ビジョナリー・カンパニー』で「カルトのような文化」と評したように、やや宗教がかった「価値観の統制」が生じます。そのため、人によってはこの理想的なマネジメントスタイルを「気持ち悪い」と感じます。強い文化を持つ組織よりも、ドライで機能的な組織の方が好きな人も一定数存在します。
多くの場合、一つの企業内にステップ2~4の組織が混在しているためです。
特に、「ステップアップしないままでも成長できる」点には、注意が必要です。業種によっては、Step2~4のまま巨大企業になることもあります。また、「文化でマネジメント」ですぐに思いつくグーグルも、確かに中核部門はStep5ですが、末端組織はStep2~4です。これは、その組織の業務がその段階に適していて、そこに留まる方がマネジメントしやすいからです。 つまり、グライナーモデルは、あくまでも組織の成長に応じて人事の方針を変えていく上でのヒントなのです。その限界を理解した上で、グライナーモデルを活用すれば、人事の方針を変えていくときに役に立つでしょう。
「採用」「配置」「育成」「評価」「報酬」「代謝」という人事の6つの役割のなかで、人事担当者が最も重視すべきは採用です。これは、採用の重視が、経営層、従業員、顧客などにとって最も望ましい結果につながるからです。 具体的には、人事業務全体の重要度を100%としたとき、採用の比率は 50%、もしくはそれ以上です。それに続くのが「組織内での採用活動」とも言える配置で 25%、残り 25%が育成、評価、報酬、代謝などとなります。 採用を重視する理由を端的に言えば、「人は大人なるほどに変われない」からです。多くの能力には、「臨界期(その年齢を超えてしまうと容易に獲得できなくなる時期)」が存在します。優秀な人材を採用できなければ、配置を工夫したり、育成したり、評価や報酬でモチベートしたりしたところで、多くが徒労に終わります。逆に、良い人を採れば、能力を発揮する適切な場を与えるだけで勝手に成果を出します。
育成・配置・評価・報酬・代謝と採用との最も大きな違いは、「採用」だけが「未だ見ぬ人材」に対する活動であることです。その他の領域は、すでに「目の前にいる」人々に対する活動であり、解決すべき問題点も顕在化しています。一方、「未だ見ぬ」人材を獲得する活動である採用は、課題や成果が顕在化していません。 人は顕在化している課題にはすぐに対応しますが、「重要だが顕在化してない課題」は後回しにしがちです。そのため、採用に注力する企業が増えないのかもしれません。しかし、顕在化した課題の多くは、採用に注力していないことに起因します。「重要だが顕在化してない」採用をおろそかにする愚かさは明らかなのです。
こうしたベースがなければ、社内転職制度は、ローパフォーマーたちの「逃げ場」になるだけです。
ます。「制度によって人が変わる」ことはなく、「人が持っていた潜在的な志向や能力を、制度によって発揮させる」ことしかできないのです。
本来、最初に醸成すべきはそうした制度を「渇望する」風土であり、それには人材が必要です。人材は理屈上、育成できますが、先に述べたように人は容易に変わりません。そのため、風土醸成で最も有効な手段は採用となります。採用によって、企業の求める風土を志向する人材を集め、そうした人材が自然と風土を醸成し、風土を加速させる「触媒」として制度を作るのが正しい順番なのです。
リクルートの社員にとって、制度は邪魔しなければそれで構わないものであり、モチベーションの源は彼ら自身の中にありました。そして、「そういう人」を集めたからこそ、リクルートの風土は生み出されたのです。
このような状況を打開する上で大きな役割を果たすのが、人事担当者です。様々なプレッシャーを背負って頑張る経営者や現場リーダーは、決して視野の狭い人ではありません。「今」がなければ「未来」はないので、今の業績を大事にするのは当然です。しかし彼らは、「今」を大事にし過ぎると、継続的に成長できないことも理解しています。 重要なのは、「今」と「未来」の投資バランスです。人事担当者は、そのバランスを検討し、納得感のある具体案を提示することで、配置転換を提言しなくてはなりません。そのためには、現在の組織の構成員が持つポテンシャルや可能性をきちんと把握する必要があります。その上で、成長に向けた配置を推進するのです。
一般に配置にあたり、人事担当者が考慮するのは、個人の「能力」や「志向」、そして職務の適性です。しかし実際には、それでは不十分です。何が足りないのでしょう。 実は、配置において最も重要なのは、「配属される人と配属先の構成員・チームとの相性」です。これは、多くの日本人が「役割意識」を重視し、場やチームの状況に合わせて自分の役割を変化させることを 厭わず、それを「貢献」と考えるからです。つまりチームへの貢献をモチベーションの源としているわけです。
では、人間関係における「相性がいい」とはどういうことでしょう。 実は、相性の良さには、2種類あります。一つは、「同質な相性=同質関係」です。「一から十まで教えようとする細かい上司に、丁寧な指導を望む部下が就く」といったケースがこれに該当します。高い退職率などが問題の場合、同質関係の配属は特に有効です。同質関係は互いに似ているがゆえにコミュニケーションコストが低く、出会ってすぐにわかり合えます。また「類似性効果(自分に似た人に好感を持つ心理バイアス)」から、友好関係を構築しやすいでしょう。 ただし同質関係は、慣れるとマンネリ化して生産性低下を招きがちです。そのため、もう一つの相性の良い配置である「補完関係」の方が適している組織も少なくありません。補完関係では、互いが互いを補完します。たとえば、「自分の信念に基づいて部下を引っ張る上司に素直で従順で受容タイプの部下が就く」など典型的な補完関係です。補完関係では、互いに「異質」なため、理解し合うまでやや時間がかかります。しかしその段階を乗り越えられれば、異質な意見を組み合わせられるので、互いに刺激を感じて、チームの生産性が高まると言われています。どちらを選ぶかは、解決すべき組織の課題などに応じて判断するといいでしょう。
相性の良い配置の実現では、「パーソナリティの可視化」が必須となります。
しかし、たとえ相性の良くない配置でも、それを認識しておくことが重要です。認識してさえいれば、サポートできるからです。
社内転職制度があってもインフォーマル・ネットワークがなければ、転職希望者には、社外の人と同様の情報しか入りません。当然、プロジェクトと人材のミスマッチも多く、本人にとっても組織にとっても不利益です。
一つ気を付けていただきたいのが、メンター制度とOJTは異なることです。OJTの主目的は「仕事を教えること」であり、メンター制度の目的は「会社に馴染んでもらうこと」だからです。OJTの指導者はメンターではなく、上司や先輩の役割を果たします。メンター制度をOJTの一種と捉えると、メンティの納得感や満足感よりも「仕事の効率」が優先され、メンターはただ「即効性の高い解決法を指示する」だけの存在となります。そうなると、「信頼関係の構築」という本来のメンター制度の意義が曖昧になるので注意しましょう。
しかし、場所を移動し、時間を費やさなければなかなか得られないこともあります。それは、「人の心に火を付ける」ことです。具体的には、「頑張ろう!」と思うきっかけをつくったり、「自分たちはまだまだ」という自覚やショックを与えたりすることです。「モチベーションを上げる」と言い換えてもいいでしょう。
そのため、評価と報酬とは、「あ、そう言えば、うちの評価や報酬のルールはこんなだったな」と社員がたまに気付く「空気」のような存在であるくらいがちょうどいいのではないでしょうか。空気はなければ窒息するので、必ず必要です。しかし、存在すれば、人はことさら意識しません。評価や報酬も、この程度がちょうどいいのです。「不満を持たれないくらいの納得度を担保する」ことを目標にしてもいいでしょう。
評価と報酬のルールを決めるのは、理想を実現する行為ではなく、不完全であることを承知の上で、最大多数の最大幸福を探る行為なのです。
そのため、能力による評価を重視すべきとする考え方もありますが、「能力」よりも「役割」の方が定量化しやすいために、人事の現場ではよく使われています。また役割による評価を明示することで、各社員に「より重責を担いたい」と思ってもらえます。現在の日本企業では、役割が評価において大きな比重を占めています。
「勝ちパターン」がある程度決まっていれば、行動による評価は容易です。正しい行動、成果につながる行動をどれだけやったかで評価すればいいからです。問題は、勝ちパターンが決まっていないときや勝ちパターンが変化したときでしょう。その場合、社員は、正しい行動を探りながら行動するため、評価が難しくなります。
成果による評価の問題点は、過去の貢献だけを見て、現在あるいは未来の貢献を見ないことです。たとえば、過去の貢献度は高かったものの、現在はローパフォーマー化している人の給与が高止まりする可能性があります。そのため成果による評価は、給与ベースよりもボーナスなどの一時金に反映することが望ましいでしょう。
それを回避する方法が一つあります。評価制度は絶対評価で運用し、報酬制度は相対評価で運用するのです。このように、それぞれのメリット、デメリットも踏まえて現実的な運用法を考えなければなりません。
「目標は何でもいい」となると、設定側は選択に悩みます。これは、「作文のテーマを自由に選んでいい」と言われると筆が止まるのに似ています。端的に言えば、設定側に「テーマ設定能力」がなければ、導入できない制度なのです。目標管理制度を導入すると、各マネージャーの「テーマ設定能力」が明らかになります。
目標管理制度は何でも入れられるハコのようなものです。自由度が高いだけに、運用のレベルで成否が分かれる人事制度です。導入にあたっては、マネージャーやメンバーの育成コストがかかることを覚悟しましょう。
しかし、このリアルタイム・フィードバックは実現できれば利点が大変多いものの、すべての会社で実施できるかは疑問です。GEのような強力なマネジメント体制があれば話は別ですが、半期での人事評価もきちんとできていないマネージャーが多い日本企業において、さらに難易度の高いリアルタイム・フィードバックをいきなり実施するのは難しいからです。それができるマネージャーは言われずともすでに実施しているはずです。
自分自身、日々、この傾向は感じています。部下に好ましくない行動があっても、なかなかリアルタイムに指導できません。「たまたまかもしれない」「誤解かもしれない」「魔が差しただけかもしれない」などと自分を納得させるのです。そして長期に渡りそうした行動が見られた場合にのみ、評価面談という「枠」を利用して「あなたの日頃のこういう行動を改善してほしい」とフィードバックしています。「ネガティブなことも言う場」という共通認識がある評価面談でなければなかなか口に出せないのが、多くのマネージャーの本音ではないでしょうか。つまり定期評価をなくせば、自ら「枠」を作らなくてはならなくなり、苦言を伝えるハードルが上がってしまうのです。
ただ、人事の世界に限りませんが、こうした 流行り言葉は一種の思考停止を生みがちです。「定期人事評価はダメ」と短絡的に考えて一気にリアルタイム・フィードバックを導入すれば、失敗する可能性が高いことを懸念しているに過ぎません。
日本人に意外と多いのが職場型の人で、このタイプは職場に対して一種の「居心地の良さ」を求めます。意外に思われるかもしれませんが、ドライで草食系と言われる最近の若い人たちにも、実はこのタイプが少なくありません。彼らはつねに居場所を求めています。職場だけが彼らの居場所ではありませんが、自分の居る場所を心地良いものにしたい、という気持ちを持っているのです。職場の宴会や社員旅行など、 80 ~ 90 年代以降に廃れた文化が今喜ばれているのも、これが理由です。
では、どのように候補者や自社の社員のタイプを把握すればいいのでしょう。答えは簡単です。面談のときなどに、本人に直接聞けばいいのです。この手の質問に対してガードが硬い人は稀でしょう。「給料が高いほうがいいのは決まっているけれど、あなたは他に何を重視しますか」と聞いてもよいかもしれません。相手のモチベーション・リソースを理解できるだけでなく、相互理解にもつながります。
評価や報酬を伝える場は、いわば「言うべきことを言うチャンス」です。「ネガティブなことを言いにくい国民性」の日本人は、その貴重な機会を逃してはいけません。
一般に、最適な採用チームとは、企業全体の「人材ポートフォリオ」の雛形です。経験上、採用担当者や人事担当者は、心根が優しく、受容性の高いタイプが多くなります。そして人間は自分と同じタイプを高く評価するために、受容性の高いタイプばかりで採用チームを作ると、受容性の高いタイプばかりを採用してしまいがちです。実際、採用担当者のタイプの偏りによって、多くの企業で構成員が同質化しています。 採用チームは、人材ポートフォリオと同様に、多様な能力や性格を持った人材で構成しなくてはなりません。
今後もこの傾向が続けば、人事部だけが採用スキルを磨いても不十分です。ただし、採用業務の専門性は高いので、社員全員にトレーニングを施すのも現実的ではありません。そのため、人事と現場のローテーションが重要になります。つまり、社内に「採用経験者」を増やすのです。 実際、リクルートでは、現場のトップ営業が異動で採用担当になったり、人事担当が各事業部に異動したりしています。このように社内に採用経験者を増やすことで、採用の重要性と難しさを理解している人が増え、企業全体として「採用を中心とした人事」が行われる素地ができ上がるのです。
ポテンシャル採用の候補者の多くは、成長途上で荒削りです。ある種の能力は非常に高い一方で、ある能力は劣り、様々な人物特性をバランスよく兼ね備えた人材など稀なのです。採用時に多くの人物特性を求めると、採用できるのが、小さくまとまった人材ばかりになってしまいます。 現在のような事業環境の変化が激しい時代には、ある時策定した人材要件がすぐに陳腐化してしまいます。そのため、組織内に人材の多様性が必要になるのです。 一般に「組織が環境変化に対応するには、外部環境と同等の多様性を組織内に作る必要がある」と言われます。しかし、採用候補に多くの人材特性を求めれば、当然ながら組織の多様性は失われます。しかも、それらの要件は次の時代に必要とは限らないのです。
抽象的な表現が役に立たない、もう一つの理由は、人物の全体像をイメージできないことです。採用チーム全員が「みずみずしい人材像」をイメージできなければ、候補者の比較対象(ベンチマーク) として利用できません。 これは、生身の人間と抽象的な概念を比較できないからです。「チャレンジ精神がある」と言っても、イチローなのか本田なのかによって、意味もニュアンスも大幅に異なります。同様に、「リーダーシップがある」と言っても、「サラリーマン金太郎」と「島耕作」ではイメージするものは違うでしょう。「この人はあの人と似ているな」「この人はあの人よりもすごいな」と思うとき、人は具体的な人物像と比較しているのです。
もちろん、ペルソナを作ったからといって、「その人とまったく同じ人を求める」必要はありません。ペルソナの具体的な描写に引きずられ過ぎるのも無意味です。どちらかと言えば、ペルソナそれ自体よりも、ペルソナを作るプロセスで、採用チーム全員の頭にあるイメージをすり合わせることに意味があるのです。
しかし残念なことに、現在、多くの会社が選考プロセスをないがしろにしています。選考プロセスがあまりに非合理的で無意味なのです。 例えば、候補者集団形成に困っているのに紙の手書きの履歴書や重たいエントリーシートを課したり、辞退率の多さに悩みながら自社の「会議室の数」に合わせて1日あたりの面接可能数を設定して選考期間を伸ばしたり、優秀層へのフォローに困っているのに適性検査の合格ラインを低くして無駄に多くの人に会おうとしたりなど、すべて非合理的です。手間がかかれば応募者は減り、選考期間が長ければ辞退数も増えるでしょう。逆に、合格ラインを上げて合格者を減らせば、余った時間で優秀層への手厚いフォローも可能になります。良い採用には、合理的な選考プロセスが欠かせないのです。
多くの採用担当者が選考プロセスをきちんと設計しない理由の一つに、「求める人物像の設定」や「採用プロモーション」などと比較して、その作業自体が楽しくないことがあります。しかし、だからこそ選考プロセスの設計には、改善の余地が大きいのです。
答えは、わかりやすいエピソードです。まず、「1人で頑張ったこと」よりも「人と関わって頑張ったこと」を聞きましょう。応募者の人となりを理解できるからです。もちろん、1人で頑張ること自体の価値を否定しているわけではありません。ただ、マラソンのトレーニングや楽器の習得、受験勉強や資格試験などのエピソードからは、勤勉さや忍耐強さなどの性格はわかっても、組織で仕事する上で重要となる、人と関わるときの行動特性や思考特性はわかりません。 また、「順風満帆なエピソード」よりも「苦労した話」の方が、その人の行動特性が読み取れます。順風満帆な状況はあらゆることが追い風になっている「(単に) ラッキーな状況」であることも多く、成果を生み出す上でその人が何にどれだけ貢献したかはわかりません。一方、何らかの壁にぶつかったり、トラブルを乗り越えたりした話には、その人の力が発揮された生の情報が詰まっています。
「好きなこと」についての話もわかりにくくなりがちです。人は自分が好きなことには、頑張るものです。しかし、そこでの頑張りが「好きでないもの」で発揮できるかはわかりません。むしろ、「嫌なことを工夫して楽しんだこと」のエピソードに、仕事で発揮できる特性を発見できます。
最後に、「短期間の出来事」のエピソードよりも、「長期間に渡る出来事(習慣)」のエピソードを聞きましょう。能力や性格は、「行動や思考の習慣」です。そして習慣とは、基本的に「長期間に渡る繰り返し」です。短期間の出来事では、その人に身に付いているものはわかりません。長期間に渡る出来事こそが、再現性のあるその人の特性なのです。
です。様々な会社の経営者や採用担当者と会話した経験から、「地頭」「コミュニケーション力」「論理的思考力」というキーワードは、多くの場合、ある「4つの能力」のいずれかを表すことがわかってきました。つまり、多くの会社が地頭、コミュニケーション力、論理的思考力という言葉を、それぞれ別の意味で使っているのです。 図8-6における上の長方形は「曖昧で具体的な現実世界」、下の長方形は「明確で抽象的な概念世界」を指します。4つの矢印は、その世界間(もしくは世界内) における思考です。 ① は具体→抽象、すなわち「具体的なものを抽象化する力=抽象化力」、 ② は抽象→抽象、すなわち「抽象的な概念から別の抽象的な概念を導く力=展開力」、 ③ は抽象→具体、すなわち「抽象的な概念を具体的なもので表す力=具体化力」、 ④ は具体→具体、すなわち「具体的な事物同士の関連性を見出してつなげる力=連結力」となります。それぞれの意味を解説しましょう。
展開力は、厳密な意味での「論理的思考力」とほぼ同じ意味です。つまり、明確に定義されたある概念から別の明確な概念を導き出す力なのです。
具体化力は、日常的な言葉で言えば「表現力」とほぼ同じ意味です。
なお私見ですが、ビジネスの現場で、厳密な意味での展開力が求められることはありません。ビジネスに求められる論理性は、数学や哲学などと比較して、極めて単純です。論理的思考能力がもてはやされる現状をつねづね不思議に思っていましたが、あるとき、多くの人が論理的思考能力と呼ぶものは実は「本質を読み解く力(抽象化力)」であることに気付き、納得がいきました。
なお、ストレス耐性と密接な関係のある性質に「曖昧耐性(曖昧なことに耐え得る力、曖昧な状況を好む志向)」があります。一般に、曖昧耐性の高い人は「楽観」「変化志向」「多様性志向」「未知志向」といった特性を、曖昧耐性の低い人は「慎重」「秩序志向」「一様性志向」「既知志向」といった特性を持っています。こうした特性は、関わる業務によってストレス耐性との関係性が180度変わります。
主体性はある意味、「自分を取り巻く環境をどう捉えるか」で決まります。「今の環境は動かせない前提条件」と無意識に考える人は主体性が低く、「今の環境は目的に応じていくらでも変えられる」と考える人は主体性が高いわけです。
人材を相対的に判断する最終面接は、少数の担当者で実施するのが理想です。最終面接担当者が多いと、面接官によって、ジャッジにばらつきが出て、優秀層から順に採用できなくなってしまうからです。また1人が一定数以上の候補者を面接しないと、目の前の候補者が全体のどこに位置付けられるかがわかりません。
この時期ズレへの対策として、知っておくべき黄金則があります。それは、「新卒・中途を問わず、ほとんどの採用において、初期の応募者の方が優秀層であることが多く、内定が出る確率も高い」というものです。選考期間全体を通じての面接の合格率が 40%なら、初期は 60%、中期は 40%、後期は 20%というように漸減していくのです。
採用チームは、採用活動期間中、採用可能数の予測をリアルタイムで把握しなくてはなりません。採用可能数は通常、最終面接の一つ前の面接合格者数をベースに予測します。また多くの企業は、1つ前でなく、最終面接での内定者数をベースに、採用可能数を算出していますが、本来、採用可能数は、内定(=最終面接合格) を出す基準をどこに設定するかの検討で使われるものです。そのため、ベースとするべきはその1つ前の段階での数字でなくてはなりません。具体的には、最終面接直前の面接合格者の[その時点での実数]から[その後の発生予測数]と[内定を受諾する割合]を予測し、それらを掛け合わせることで[採用(内定出し) 可能数]を割り出すのです。この数が採用目標数に達していなければ、最終面接の担当者に状況をフィードバックし、「内定出しの基準を下げる」「採用目標数自体を見直す」といった措置を取ります。
内定者をフォローするには、まず採用担当者のパワー配分を見直す必要があります。すなわち、「採用担当者は優秀層のフォローに一番時間を使っている」状態を作るのです。 多くの企業は、これがほとんどできていません。説明会や適性検査、1次面接といった初期選考の作業に多くの時間を費やし、隙間の時間で内定者をフォローしています。しかし、これでは本末転倒です。1次面接で100名の中から1人の内定者に出会うには、学生4人を相手にする1回1時間のグループ面接だけでも 25 時間が必要です。しかもその後、2次面接、3次面接を行っていることを考えると、1人の内定を出すまでに膨大な時間をかけている計算になります。数回のスクリーニングでようやく見つけ出した1人の内定者と2時間みっちり膝を突き合わせて話をすることは、100名規模の会社説明会を2時間実施するよりも価値が高いのです。
採用選考と内定者フォローでは、候補者に聞くべき情報は異なります。 採用選考で聞くべきは、候補者が過去に行ってきた具体的な行動などの「客観的事実」です。「どう思っているか」よりも「何をしてきたか」のほうが重要なのです。一方、内定者フォローで理解しておく必要があるのは、仕事やキャリアに対する内定者の志向や価値観です。つまり、聞き出すべきは「心理的事実」なのです。
中小企業やベンチャー企業が中途採用するとき、多くの場合、採用人数は1人です。そして残念ながら、「1人採用」は紹介会社に嫌われがちです。「ヨーイ、ドン」で人材を探し始めても、1人決まればそこで終わりで、それまでの頑張りが水の泡となるからです。特に、リクルートやパーソルなど、自社より規模の大きなエージェントと競合する場合、中小エージェントは「どうせそっちで決まるだろう」と真剣に探してくれません。
エージェントとの信頼関係を構築する上で重要なのは、不合格とした人に「不合格の理由」を明確に伝えることです。それにより、候補者本人だけでなく、間に入ったエージェントも納得感が得られます。さらには不合格の理由を何度も伝えることで、エージェント側も求める人材像を学習し、徐々にマッチングの精度が上がります。ピンポイントで自社にマッチした人材を見極めて、紹介してくれるようになるのです。その意味でも実は、紹介された人材「全員に会う」ことは、中長期的に採用効率を向上させます。
そこで私は、「日本人採用担当者の語学レベルを上げる」のではなく、「日本語ができる現地スタッフに日本式の人事スキルを身に付けさせる」ことを提案しました。つまり、どれだけ頑張っても現地人のようになれない日本人の語学レベルを上げるのではなく、現地スタッフの人事スキルを向上させる方が効率的であると考えたのです。
そのとき、企業の競争力を左右するのは、「優秀な外国人をどれだけ採用できるか」です。現状、外国人のレベルではなく、採用側のジャッジスキルのために、外国人採用には〝賭け〟の部分が多く、定着率の低下やローパフォーマー化といった問題が起こっています。しかし、そこで「外国人採用はやはり難しい」と判断すれば、この先の時代は乗り切れないでしょう。そもそも外国人に不人気な日本企業が尻込みしている場合ではありません。「やはり難しい」ではなく「どうすればできるか」を考えるほかないのです。 日本式人事のスキルを身に付けた現地スタッフが現地スタッフを採用するというやり方は、ある意味、今後必須となる外国人採用の1つのアプローチだと考えています。
ただし、労使協定には、労働協約・就業規則のように労働契約を規律する効力はなく、労使協定を締結してもそれだけでは労働契約上の権利義務は生じない。そのため、労使協定と併せて労働協約・就業規則などでそれぞれの定めが必要となる。
内定を通知した時点で、企業と労働者の間には労働契約が成立したことになり、この内定を労働者が受諾した時点で労働者は通知を行った企業の社員となったことになる。
こと。内定を受けた労働者が内定を受諾した時点で、労働者はその企業の社員になっているので、内定期間中の労働者が入社を辞退することは、労働契約の解消、つまり「退職」と同義になる。そのため、労働者の退職を企業が拒めないのと同様に、労働者の内定受諾後の辞退を企業が拒むことはできない。
内定受諾後の辞退は退職と同義に扱われるため、そもそも入社承諾書は効力が存在しない。
本採用拒否は解雇にあたり、通常の解雇の場合よりも広い範囲の解雇事由が認められる。
労働基準法では、退職金について特別な定めをしていない。
両者の違いは、休職には法律上の定めがないのに対して、休業には取得する権利が法律で定められていることにある。
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