『「良い質問」を40年磨き続けた対話のプロがたどり着いた 「なぜ」と聞かない質問術|中田豊一』
ただし、「なぜ分析」が有効に作用するときもあります。それは、相手が問題分析への強い意欲をすでに持っているとともに、聞き手に対する信頼と尊敬があるときです。
つまり、「なぜ」と聞いた時に出てくるのは、「理由」ではありません。第一に「その人が理由だと思い込んでいること」、第二に「理由に見せかけた、自己防衛するための言い訳」なのです。
一般には、コミュニケーションギャップは、立場や世代や文化的背景の違いから生じると考えられていますが、それもまた間違いです。 コミュニケーションの基本は対話です。その対話が適切になされないために、聞く人と答える人の間に、ズレやねじれが生じることが、コミュニケーションギャップの出発点なのです。
こういうことが特に起こりやすいのは、 質問する側が、相手を補助したり指導したりする立場にある場合 です。上司と部下、指導担当の先輩と後輩、教師と生徒、医師と患者、ボランティアと支援対象者、などがこれに当たります。相手の問題を巡ってやり取りする関係が前提となっている場合、どうしても前のめりになって問題を聞き出そうとするからです。
ただここで特筆すべきは、他ならぬ当事者である 新入社員自身も、そのことに自覚的ではなかった ということです。
では、「いつも質問」それ自体がダメかというと、そういうわけではありません。問題は、「この聞き方で、事実を聞ける」と勘違いしていること にあります。自分が事実だと思っていても、相手は「思い込み」を答えているのに過ぎないとしたら、それが致命的なズレとなります。 しかも厄介なのは、回答者(この場合は、新入社員) も、事実を答えているつもりでいて、実は自分が思い込みを答えてしまっているということに無自覚な点です。
例えば、私がガラスのコップを床に落としてしまい、割れたとしましょう。ここでは、「落としたら割れた」が事実です。「落としたので割れた」は事実ではありません。
「なぜ質問」は、原因や理由を聞いているようで、実は、「なぜだと 思う?」というふうに相手の「考え」を聞いています。
しかし人間である以上、とっさに思い込みが出てくるのは自然なことです。ゆえに、「なぜ?」と聞くことで本当の原因が明らかになると思っているのであれば、それこそがたいへんな思い込みです。
ここで特に注意したいのは、「 力関係は常に固定されているとは限らない」という点です。
先に断っておくと、「なぜ質問を使うべきでない」のは、あくまでも「会話の中で」ということです。前述の通り、「解釈のずれ」を引き起こし、会話のねじれを発生させるからです。 したがって、個人の日記やメモの中で使うのは、問題ありません。一人で思考を深める過程なので、誰かと解釈のずれが起きることはないからです。 また、理科や数学など、科学的なメカニズムを扱うやり取りの中で、「なぜ?」と問いかけるのは、「なぜ質問」の正統的な使い方です。例えば、理科の教師は、生徒を連れて山を登りながら、「標高が高くなると気温が下がるのはなぜだろうね?」などと問いかけ、生徒に考えさせながら、科学的な対話を通してメカニズムを解説していきます。こういった場合には、自由に考えたり、様々な解釈をぶつけ合うことそれ自体に価値があるので、問題ありません。
対話 と言った場合、質問と答えの応酬を柱にしたやり取りを指します。基本的には1対1で向かい合って行うのが対話です。本書で扱うのは、問いと答えの応酬を柱とする対話の手法・技術です。当然ながら、質問術がその中心となります。対話は質問から始まるのですから。 一方、 会話 は、自慢話や愚痴など、相手が聞いているかどうかはおかまいなしの、勝手なおしゃべりも含む、人と人との言葉を通したやり取り全般を指します。人数も二人に限りません。可能な限り膨らんでいくこともあるでしょう。
これらは一見事実を尋ねているように思えますが、よく考えてみれば、どうとでも答えることができる、一般的な質問に過ぎません。私は、相手が私の知りたいことをそれなりに教えてくれることを期待していたわけですが、現実は、そんなに甘くありません。 相手は、私や周りの人の顔色をうかがいながら、私たちを喜ばせる優等生的な答えを適当に作り上げるだけでした。あるいは、援助が増えることを期待してのことでしょう、事態を大げさに伝えてくることも頻繁にありました。
そこで必要になるのが、 改めてもう一度、事実を淡々と確認すること です。自分が事実と思っていたことが、実は事実ではなかった、という確認をひとつひとつ重ねていくにつれて、人はやっと事実と認知の違いに向き合うことができます。
時間経過によって、人の認知はズレていきます。しかし、 事実は時間が経っても永久に変わりません。つまり変わらない事実さえ確認すれば、 当時と同じ認知が浮き上がってきます。同じ人が同じ事実を再度見ているわけですから、これは自然なことです。
「なぜ?」と聞かれると、人は思い出す前に考え始めます。すると、そこには、都合のいいように改変された思い込みが侵入してくるため、「なぜ」の答えは、その改変によって歪められたものになります。 それに対して、事実を尋ねられた場合は反応が異なってきます。例えば「 いつ?」に代表される単純な事実を聞く質問に答えようとすれば、人は、思い出すことから始めざるをえません。
こうした仕組みに立って事実質問術の本質をひとことで表すなら、「 考えさせるな、思い出させよ」という大原則に集約できます。この原則を、ぜひ覚えておいてください。
会話や文章の中で、これまで混同して使っていた、事実、考え、気持ちを瞬時に区別できるようになり、目的や場面に応じて使い分けられるようになります。同時に、人の話を聞いたり、文章を読んだりする場合も、明確に区別して読む癖が付くので、理解力と把握力が増します。
ます。「刑事の取り調べみたいで怖い」と思うかもしれませんが、実は、やってみると意外とそうでもないことがわかります。
同様に、問題の原因や状況を手っ取り早く知ろうと、一般化された言葉を使って聞いたところで、本当のことにたどり着けるはずがないのです。
これから事実質問の使い方を具体的に紹介していくのに先立って、先ほど紹介しなかった事実質問術の最終的なメリットについて紹介しましょう。それは、「自己観察と自己制御の訓練方法として優れている」という点です。
ここで改めて強調しておきたい大事なことが1つあります。それは、いつもなら思わずやってしまうはずの「なぜ質問」や「いつも質問」をその場で控えることができるようになるという行動変容が、コミュニケーション不全の改善のために、最も大事な要素だということです。
なお、感覚的な判断基準としては、自分が聞かれて、思い出して答えられるものは事実質問、あれこれ考えないと答えられないものはだいたい事実質問ではありません。
ます。「いつ」を思い出しているうちに、何が決め手だったのかも付随して思い出してきて、「こちらから尋ねないのに、相手から話してくれる」ことも期待できます。
私たちの記憶は基本的に当てにならないものです。都合のいいことだけは覚えていて、一方いいことであれ、そうでないことであれ、自分が作ったストーリーに合わないものは、思い出さないようにできています。ネガティブ思考の人が物事をネガティブにばかり捉えようとするのは、突き詰めれば、そのほうが自分のストーリーに合っていて、ある意味で心地よいからだと言えます。
つまり、過去の経緯を正確に思い出しているうちに、相手は、それに基づいて再分析を始めるということです。今の曲がった記憶をもとに考えさせてしまってはいけないのです。
そうしているうちに、相手はその出来事について正確に思い出して、原因や動機、あるいは事態の捉え方についての自分の思い込みと現実の間のギャップに気づき、自らそれを語り始めます。
この問いかけに対して、相手が答えをはぐらかすなど、しっかり答えてくれないのであれば、あっさり引き下がるのがお互いのためです。相手はその気持ちを聞いて欲しいだけで、あなたのアドバイスなど、はなから求めていないのですから。
この「他は質問」の効果は、対象のことからいったん離れる点にあります。これまでの質問は基本的には時間軸(いつ) に沿って深掘りしていく質問でしたが、この「他は質問」はいったん今のトークテーマから離れ、 似たようなものを思い出す道をさりげなく提案する、「空間軸」に基づく質問 です。つまり、視野を広げてみてはどうですか、という投げかけをこの質問によってできるわけです。
私は、相手が答えられる簡単な事実質問をすることが、 敬意を伝えるために最高の方法 だと確信しています。簡単な事実質問に答えているうちに、相手の自己肯定感が高まり、自然、互いの心が開かれてくることを無数の実践を通して体感しているのです。
ただし、この自己肯定感、あるいは自尊感情(英語のセルフエスティームの訳語) というのはなかなかやっかいな感情です。一見「人にどう見られるか」を気にするプライドや羞恥心と似ているようですが、自尊感情の場合は「自分で自分をどう見るか」にかかっているという点で視点が違います。だから、いくら褒めようとおだてようと、簡単には上げられません。 他方、事実質問は「思い出すだけで答えられる」というその性質上、すばやく正確に答えやすいので、相手も答えているうちに自信がついてきます。同時に、そういうことを聞いてくれている 相手に対する信頼感が「無意識のうちに増してくる」というのが、その仕組みと考えられます。 「自己肯定感に配慮する」と言うと、何か特別なことをしなくてはならないように思われるかもしれませんが、そうではありません。見下さず、へりくだり過ぎず、小細工を弄せず、相手と正面から向き合うことです。事実質問は、その姿勢を表現するために最適な手段なのです。
ただし、税理士や医師や教師、専門分野を持つカウンセラーやコンサルタントなど、専門性と豊富な経験を持った方であれば、少し聞いただけで筋道を描ける場合も確かにあります。そういう場合でも、やり取りの最初のうちは、この「終わり方は考えなくていい」という格言を肝に銘じて、淡々と誠実に相手の話に耳を傾けるための事実質問に集中することを強くオススメしています。
・相手の答えの上に次の質問を継ぐこと
この働きかけから気づきに至るまでの間の時間的なずれの存在を理解し、意識することが重要です。働きかけられてから、何らかの気づきに至るまでには、ある程度の時間が必要なことがある、つまりその間にはタイムラグが存在しうるということです。
解決は、外部のあなたがするものではありません。あなたにできるのは、その人の思い込みを取り去り、事実を示すことにより、その人の内的対話を促すことまでです。そして「信じて待つ」「解決してくれるのを待つ」ほかないのです。
やり方の基本は事実質問術であることは言うまでもないのですが、コツは「 過去の具体的な事例を基に、ありたい姿を描き出す」ことです。 定量化が難しそうな問題・課題を解決しようとする際には、「以前○○さんとは、こういうことがあったが、次に同じような場面になったら、こういうやり取りができるようになりたい」と言う具合に、過去の具体的な事例をもとに、こうありたい姿を描き出していきます。
この「誰が決めたんですか?」という質問は、団体や組織相手のコンサルティングにおいては、とても強力な質問になります。決めるプロセスに関与していない人、あるいはそのプロセスを共有されていない人にとっては、その決めごとは極論すれば、自分ごとではありません。頭では理解していても、自分ごとと捉えて行動するのは容易ではないのです。皆さんも、自分のことを振り返ればおそらく納得がいくはずです。
外から刺激を与えることはできますが、変化は常に内側から起こるもの。
試しているうちに違ったパターンが生まれ、それがいつの間にか身についてくる、という以外に行動変化の道はないようです。
/icons/hr.icon
https://gyazo.com/487e028737507a56a66ab11bac681f67