『「組織と人数」の絶対法則:人間関係を支配する「ダンバー数」のすごい力|トレイシー・カミレッリ/サマンサ・ロッキー/ロビン・ダンバー/鍛原多惠子』
# 「組織と人数」の絶対法則―人間関係を支配する「ダンバー数」のすごい力
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### Metadata
- Title: 「組織と人数」の絶対法則―人間関係を支配する「ダンバー数」のすごい力
- Author: トレイシー・カミレッリ、サマンサ・ロッキー、ロビン・ダンバー、鍛原 多惠子
- Book URL: https://www.amazon.co.jp/dp/B0DF7B29DB
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- Last Updated on: 2025年6月1日 日曜日
### Highlights & Notes
組織自体は何かを決定するということはなく、それは個人によってなされることである。だが、組織の構造が違えば決定がどのように示されるかが異なってくる。たいていの組織は、とくにそれが巨大である場合には、人の心理がきわめて小規模な社会に対応している点に注意を払わない。だから、問題が生じがちなのだ。
今回のプロジェクトにともに取り組んで対話を重ねるうちに、私たち 3 人は共通の関心事を抱いていることに気づいた。それは組織が持つ知られざる社会性の力、人が集団の中で生きていくための前提条件、そして人の変化する集団行動と変化しない集団行動だった。  職場環境は一見すると合理的に思えるが、じつはヒトが過去から受け継いできた生物学がその奥底に潜んでいる。本書では、そうしたヒトの生物学的側面をもっと知る必要があることを述べていこう。生物学のすべては多次元の連続体なのだ。絶対的なものはないとはいえ、たえず私たちに影響を与えている進化の力が存在する。私たちはとかく新しいものに目を奪われがちだが、人類の社会行動は遠く祖先の時代から変わっていない。脳の大きさ、時間、ホルモン応答など、避けようにも避けられない制約というものがあるのだ。たとえば、人間関係を広げる能力は脳の大きさによってあらかじめ定められている。
良好なリーダーシップは優秀なフォロワーを生み出す。本書では、リーダーとは何事かをなす人というより、多くを理解する人を指す。自然な流れに身を任せ(樹木は葉を茂らせるのに 褒美 を必要としない!)、派閥形成や偏狭な考えにつながる場合にのみその流れに逆らうことで、リーダーは未来に目を向けることができる。未来こそリーダーの領分なのだ。
この考えは、組織は機械とは違うという単純な事実にもとづく。組織は個人の集合体であって、人間社会の賢明さと限界の双方から影響を受ける。組織は日常の社会関係の上に成り立っているので、人間中心の視点から構造や管理を考えたほうがはるかに首尾よくいくはずなのだ。  ここ 1 世紀ほど主流だった経営管理は、かならずと言っていいほど組織を正確な機械になぞらえてきた。効率を上げるには正しいボタンを押せば足りると考えられたのである。この傾向はおもに 20 世紀初頭の行動主義に端を発する。行動主義者は、人間の行動は際限なく変えられると主張した。アメとムチの使い方しだいで効率はどこまでも上げられるというのだった。  しかし、行動主義は、すべての組織はどのようなものであれ社会的なものであって、人類の社会性は進化によってもたらされたことを考慮していない。人間社会のもっとも顕著な特徴に目を向けないのは、歴史の流れにことさらに逆らうようなものだ。けっして賢明とは言えない。
要するに、プログラム開催中の社会関係と会話に支障が生じたのである。かつては強力だった同じグループに属しているという仲間意識と 互いへの関与 が失われた。ある日の夕食後、誰かがクラスの半分をパブに誘ったことを知って、講師たちは驚いた。その人物によれば、 1 軒のパブでは全員入りきれないからだという。それに、いずれにしても、「酒をたしなまない人もいれば……部屋に戻って子どもとネットで話したい人もいる」とは彼の弁。グループが分断されたのだ。互いを知る機会をつかむ前に、人々は互いから隔てられたのである。  その週のスケジュールは消化した。ただ、それだけ……。スケジュールをこなしたというだけのことで、いつもの刺激に満ちた双方向の学びの 1 週間とは違った。フィードバックは問題なかったし、予算管理も完璧だった。だが、開催地、事前準備のプロセス、ロジスティックス、部屋の温度などにかんする難癖に近いようなあら探しがあった。強固な個人的関係が形成された過去のプログラムでは、まず問題にもならなかったような些細なことだった。プログラム終了後、修了生が再会する機会も通常よりはるかに少なかった。以前には見られた修了生どうしの強力な仲間意識もほぼなかった。
したがって、本書はある警告を与えてくれる。私たちの行動の心理学的な基盤と、それを支える生物学的な要因は、強みにも弱みにもなるということだ。どちらにも転ぶということは、組織がどう機能するか、あるいはよりよく機能できるかについてヒントを与えてくれる。また、この点を考慮してシステムを構成しなければ、組織全体の構造に亀裂が入る可能性があることもわかる。その亀裂はヒトが持つ自然な力によってつくられる。私たちの心理と行動は、進化によってやや小規模な社会集団に適応してきたのだ。
人は他者を知り、他者からも知られていれば活躍する。
私たちは社会的活動に充てる時間の 60% をわずか 15 人に費やす。この事実のみを考慮しても、誰をこの 15 人に選ぶかについては慎重になるべきだとわかる。
私たちは、親しい間柄以外の人とも、握手する、食事をともにする、経験を共有するなど数種の社会的習慣を発達させた。これらの行為によっても同じホルモン応答が確認される。
私たちの経験によると、適切な時点で工場を分割すれば、大きいままの工場よりも小規模の部分でさまざまな経験の機会が増える。
つまり、大規模な組織がヒトにとって自然な状態ではないことを思い起こすべきなのだ。他のアフリカ類人猿(チンパンジー、ゴリラ、ボノボ)からの分岐後の 800 万年にわたる進化の大半において、ヒトはわずか 30 人から 50 人のきわめて小さな集団で生きていた(「人類の進化史──概論」 参照)。私たちが種として定住しはじめたのは、ほんの 1 万年前という最終氷期末期だった。そして、これらの定住地のいずれかに 1 万人以上が暮らしはじめたのはやっと約 4000 年前のことだ。 4000 年と言えば、ヒトの系統が大型類人猿から分岐してからの進化史のわずか 0・05% にすぎない。
パンデミックは、人が互いの何を尊重するかを再発見する憂鬱な実験室だった。
ロビンの研究によれば、私たちは日常生活において社会的活動に充てる時間の 40% をたったの 5 人に割いていて、これらの 5 人はほぼ入れ替わることがない。この 5 人こそ変化しつづけるこの世界においても一定の安定感を与え、支援や助言を与えてくれる人々なのだ。  また、私たちは社会的活動に充てる時間の 20% を別の 10 人に割く。この 10 人は楽しくてかつ重要な社交の利点を与えてくれる。彼らの社会環境はより動的であって、場所、プロジェクト、興味、状況が違えば変わる。一般に仕事の集団は同じ種類のパターンと力学を示す。仕事(そして家庭!)においては、この 2 つの集団内の 15 人が適切な人間でなくてはならない。このことは、とりわけリーダーに当てはまる。
それに、互いの演奏をきちんと聴くには遠く離れすぎています。だから、演奏中に自分の音楽家としての直感に頼ることができず、演奏にとって理想的な範囲を越えて『管理』される必要が生じてしまいます」。
ただ、大規模な集団の場合は孤独感が先鋭化し、関係性の弱さをエネルギーとカリスマ性で埋め合わせねばなりません。
4 人から 6 人で構成されるチームやグループでは、正式なリーダーシップは不要であり、自分たちで進むべき方向を決めることができる。
非常に小さいグループの投票行動は、その人の本心を反映する可能性が高いからだ。グループが大きくなるにつれて、個人の意見が他の人の意見やその時点のトレンドに影響されがちになる。「協調性がない」と思われるのを避けるためだ。
・会話に参加できる人数には 4 人という上限がある。この上限をすぎると、会話が 1 人か 2 人の非常に押しの強い人の独擅場になる ★ 25。
もっとも頻繁に接触し、互いに子どもの世話を頼めるような人の数だ。この層の人は、もし明日亡くなったらひどく悲しい思いをする人と定義されることが多い。
・私たちの社会活動全体の 60% がこの 15 人に向けられている ★ 27。
1982 年に地元の新聞に掲載されたインタビューで、次のように述べている。「組織の人数がある上限(典型的には 150 人)を超えると、人々は『私たち』ではなく『彼ら』の視点からものを見るようになります」。この自然な分断によって「内集団」と「外集団」が生まれ、互いに対する信頼が薄れていくのだ ★ 34。
ここで覚えておくべき重要な教訓は、自分が属している円に課せられた要件を満たす努力を続けなければ、中心にいる人との関係は急速に弱まるということだ。そうなると友人関係はゆっくり坂を転げ落ち、やがては友人の円から抜け落ちて知り合いの層に入ってしまう。この変化は 3 カ月から 6 カ月以内に起きる。
小さなグループは迅速な意思決定に向いているが、創造的な仕事や厳しい締め切りにも向いているだろう。「顧客は私たちが少人数のチームであると不安がります」。数多の賞に輝く発明家で建築デザイナーのクララ・ガゲーロ・ウェスタウェイとエイドリアン・ウェスタウェイ夫妻が教えてくれた。「それでも、集中的な設計プロジェクトに取り組むときは、 5 人を超えると効率が上がりません」。「おかしなことに」とクララが言い添える。「顧客は大勢の人がプロジェクトに参加していると安心するらしいのです」。だが、彼女が指摘するように、それは誤った安心感なのだ。
に対して、「 4、 5 人で取り組めば最大限の効率が得られます。互いに他の人が何をしているか直感でわかるのですから、連絡や説明に時間をつぎ込む必要がありません。互いの強みも弱みも知っているし、相手の判断を信用してもいて、その人が十分に貢献してくれるとわかっています。全員が同じ土俵に立っているのです。それはすばらしく生産性の高い集団サイズです」。
彼女が考え出した解決法は、自然発生したグループ間を水平につなぐ、人為的な構造をつくることだった。「私たちはこれを『グロース・グループ(Growth Group)』と呼びます。これらのグループをつくっては壊すことを繰り返し、水平なクラスターをいくつも形成するのです。組織が硬直するのは何としても避けなくてはなりません。水平な要素を次々に付け加えて自然発生したグループを串刺しにすることで、異なるグループの人々がつながり、その状態が維持される状況をつくろうと試みているところです」。  言い換えれば、彼女はダンバー・グラフのグループが自然に発生するようにするとともに、発生しないようにもしていることになる。自然なつながりが生じるための空間をつくるとともに、グループが形づくられる傾向を意図的に妨害し、つねにダイナミズムの感覚や創造性がもたらされるようにしているのだ。この手法は小さなグループの利点を最大化しつつも、その潜在的な欠点から守ってくれるのである。
パフォーマンスコーチのオーウェン・イーストウッドによれば、ニュージーランドのラグビーチーム「オールブラックス」に加わる新人は、デビュー戦の前にクラブの役員会議室に案内され、 1907 年に結成された初のチームから現在のチームに至るまで、過去のプレイヤー全員の写真を一人ひとり丁寧に見せられる。彼らはいわばクラブの祖先なのだ。この儀式によって、新人プレイヤーはこの家族とその歴史の世界に招じ入れられる。
新人の受け入れに際して、これほど相互関係を重視した対応をする組織はほとんど存在しない。大半の企業の入社セレモニーでは、何はさておき新人より組織に重きが置かれる。受け入れ(induction)(この言葉はラテン語で一方通行の「~へ引き入れる」を意味するinducereを語源とし、「人を招じ入れる」という感覚にはほど遠い)は、さまざまなコンサルティング会社の力を借りて、新人に効果的なオリエンテーションと教育プログラムを提供することであるという考えがあまりに広く流布している。  新人は「理念と価値観」のビデオを見せられたり、物事を数字で見るようになるためのプレゼンテーションを受けたりすることも多い。創業者について少々紹介があるかもしれないが、新人のアイデンティティと背景をその会社のアイデンティティと結びつける双方向の試みがあることはまれだ。そのような試みをすることが新人のためになるばかりか、組織の業績改善にもつながるという考えはあまり聞かない。  従業員の帰属意識より企業への同化に重きが置かれるのだから、経営学の専門誌が次のように残念がるのも驚くに当たらない。「企業が社外から戦略上のアドバイスを得るために多大な財源を費やす一方で、もっとも有益な戦略の源泉である従業員を利用しないというのは皮肉なものである。残念なことに、戦略のアイデアに耳を貸してもらえない従業員は早々に退職するかもしれない。そのアイデアとともに ★ 5」。
大企業においても、細かいスケールにおいては、実際に血縁関係にあるかどうかより、「家族」という感覚が大切なようだ。ところが、あまりに多くの組織で人々は個人として昇進する。チームとして培った信頼と関係性にかかわりなく特定の人が引き抜かれ、組織内の友人関係とまではいかなくとも仕事上の関係を台無しにしてしまうのだ。したがって、チームとしての昇進あるいは再配置を、もっと活用するべきではないだろうか。そうすれば、互いをよく知る人たちのチームがプロジェクトで得た共有経験を生かせるだろう。しかも、新たなサポートネットワークの立ち上げや、会ったばかりの人との信頼関係や相互理解の構築に必要な途方もなく長い時間の節約にもなる。チームが成功すれば、その経験はあらゆる人や考え方に共通の基盤となるのだ。
友情が与えてくれる恩恵を考えれば、仲間や友人のいる職場環境の整備はぜひとも実現すべきだ。長期にわたった新型コロナウイルス感染症の流行による在宅勤務が終わって、ある保険会社で対面による文化交流会のために準備を始めたとき、私たちはこのことを肝に銘じた。散り散りになった人々を元に戻さなくてはならないけれども、異質な才能が放つ創造的なエネルギーの邪魔をしてもいけないと考え、 7 本の柱の手法を使ってアンケートを準備した。  アンケートで得られた結果にもとづいて、元の同僚を 4 人ずつの会話グループに分けた。グループのメンバーは大半の柱を共有しているはずだったので、容易に共通点を見つけられると踏んだのだ。ロックダウンの期間中にはオンラインでしか会っていなかった人、あるいはもっと極端にオンラインの面接によって採用され、同僚とは対面では一度も会っていない人にとって、この試みはとりわけ有益だった。最初の出会い(画面ではなく生身で会うことに不安を覚えた人もいる)が柱(興味、世界観、ユーモアのセンス)を共有する相手だったことで、互いに慣れるのがたやすかったようだ。おかげで、次に対面で人に会うことにあまり恐怖を感じなくなったという。  試みがかなり進んだところで、アンケートの答えを正反対に使って「友情の 7 本柱」を 1 本も共有しない「遠いいとこ」の小さなグループに分けた。たとえば、裁縫好きを熱心なランナーと、画家をコンピュータプログラマーと、楽天家を終末論者と同じグループに入れ、それぞれの共通点を見出すよう促した。一致点ではなく互いの相違点を出発点にしようというのだ。  意図的に彼らのホモフィリー的な傾向を排除することで、世界をいつもと違った目で見たときに感じる活気と価値を経験するよう勧めた。特別なトランプを何組か用意し…
デイビッド・ハリソンや同僚たちは異なる視点が発揮する力を次のように説明する。「知識、技能、能力の違いを最大化し、仕事にかかわる信条、姿勢、価値観の違いを最小化することで、非常に効果的なチームをつくれるだろう ★ 20」。
・起源の物語  アイデンティティの物語や起源を祝う儀式は、トライブの一員であるという共有された帰属意識を育むための基盤である。
パフォーマンスコーチのオーウェン・イーストウッドが自らの仕事の中で観察し、洗練させてきた、語り継がれるアイデンティティの物語や起源を伝える儀式は、彼がコーチをするスポーツチームにおける共有されたアイデンティティの土台となる。スポーツチームが「文化コーチ」を抱えていることを考えれば、パフォーマンスを上げるには帰属意識が大切だとわかる。物語や儀式も企業において重要な位置を占める。それらはアイデンティティを映し出すばかりか、過去、現在、未来を統合し、特別なレンズを通してアイデンティティをつくり上げる。  酒造会社 SAB ミラーは、最盛期に先人たちの創業物語あるいは創業譚を通じて一致団結していた。あえて遠く離れた場所に醸造所を設立したエピソード、大胆不敵な行為のエピソード、現地に自分たちのコミュニティを連れていったエピソード、みなで自社製品への情熱を共有したエピソード。幾度も繰り返して語られたこれらの物語は同社の文化の接着剤となり、社員の自己像を形成した。  昨今、メディアによって個人のアイデンティティばかりが強調され、帰属意識と共有された歴史の重要性は忘れられがちだ。オーウェン・イーストウッドが、ラグビーチームのオールブラックスのあるサモア人選手に目標は何ですかと尋ねたことがある。すると選手はその言葉は自分にとって何の意味もないと答えた。それはただの言葉にすぎないという。彼にとっては、チームとトライブがすべてなのだ。
伝統的な管理構造は階層的でトップダウンだ。トップレベルで意思決定がなされ、指示や方針が底辺の社員にまで順次伝わっていく。基本的には、個人的な関係性に依存できる人数を超えた社員を統制するには階層構造がいちばん容易ではある。  だが誰かに管理を託した場合、経営陣の意思が間違いなく実行されるためには執行者(中間管理職や監督者)が必要になる。組織が大規模になり敷地も広くなれば、監督者の監督者、監督者の監督者の監督者と層数が増える。これはコスト増につながり、層が加わるごとに距離が増え、リーダーと周縁や底辺との親密度が下がる。硬直した階層構造は、自然なひび割れや破損部のある脆弱な構造になり、わずかなストレスがかかっただけでも崩壊につながりかねない。  私たちが知る限りにおいて、階層構造のモデルが効果的に機能するケースはただ 1 つ、軍隊である。近代の軍隊が生まれてから(約 300 年前)、軍隊組織の立案者は膨大な数の互いに見ず知らずの人(手に負えない人もいる)を統括するメカニズムを進化させてきた。
呼ぶ。「中心となるのは、誰もが誰にでも直接アクセスできるべきであるという考えです。ゴアは 1 万 1000 人の組織ですが、非常に少数の層しか存在しません。ゴアの初期の文書が『スポンサー』について触れていて、私たちはすでに 60 年以上にわたって管理職ではなくリーダーについて論じてきました。明白な違いは言葉にも表れています。たとえば『スポンサー』は、アソシエイト(社員)がゴアで成功するように支援するという非常に特殊な(自発的な)役割を担っています。リーダーとは別の存在なのです。アソシエイトにはリーダーと『スポンサー』の 両方 がいます。リーダーとは、チームが成功するためにある種のタスクを遂行することを組織(そして個人)から認められた人です。でも、アソシエイトには『 スポンサー』 もいます。その人は『学習仲間』であり、アソシエイトの成功請負人です。各アソシエイトが、その人独自の技能を必要とする責任を果たし、その人独自の関心事を全うするように支援するのです。『スポンサー』はアソシエイトのために代弁し、フィードバックを与えるなど、種々の教育的な役割を果たします」。
人間関係の持つ力を存分に利用する優れた方法をデザインし、その方法が内向きになった場合や、過度に自己強化した場合に介入するには、リーダーはダンバー層の安全で揺るぎない安心感を理解していなくてはならない。
同じ重さで比較すると、エンドルフィンはモルヒネの 30 倍強力な鎮痛剤として働く ★ 2。
ここに、このシステムの欠陥がある。一定の強さの友情を形成するには最低限の時間が必要であり( 図 2‐4 参照)、一個体が毎日グルーミングに費やすことのできる時間にも限界がある。また、このような方法で絆を深められる相手の数にも上限がある。したがって、サルが安定したグループを維持できるサイズも自ずから限られてくる。このグループサイズの限界はおよそ 50 個体であり、この数字がサルや類人猿のグループサイズの自然な上限となる(これより大きなグループも観察されているが、そうしたグループは小規模なグループよりまとまりに欠け、例外なく不安定である)。これが私たちが普段よく経験している時間の制約の問題なのである。
より重要な目的に向かっているなら、些細な間違いにこだわらなくていいのだ。
人は同調性のある活動や真剣な遊びを通して絆を深めるものであり、その場にいることが重要なのだ。  プラトンは、「ある人について知るには、その人と 1 年会話するより 1 時間遊ぶほうがいい」と言った。だが、遊びは明確なビジネス上の成果ももたらしてくれる。「真剣な遊びの目的は位置エネルギーをつくることにある。このエネルギーはチームメンバーが動き始めたとき、つまり仕事を始めたときに運動エネルギーに変わる ★ 11」。
ここで受け取るべきメッセージは、村の居酒屋、カフェバー、あるいはレストランであっても、それは一種のコミュニティセンターとして機能するということだ。
ここで注意すべきは、人々がただ飲食しているだけでない点にある。彼らは会話し、笑い、昔を懐かしむ ★ 15。そのとき、絆や仲間意識が生まれて強化されるのだ。興味深いことに、日中のイベントより夕方のイベントのほうが効果は高いようだ。暮れゆく時間の交流イベントには何か正体の知れない、原始的なものがある。昼間のイベントより夕方の演劇やコンサートのほうが心が躍るし楽しめるのと同じで、夜の食事はランチより人を引きつける。オックスフォード・ストラテジック・リーダーシップ・プログラム( OSLP)では、最後の夜をかならず森の中で大きな焚き火を囲んで終える。たとえ、寒い 11 月であろうとも。それは驚くほど深い、原初の絆につながる。
食事の効果は、食べ物の提供の仕方や食べ方によって高めることができる。 OSLP では、私たちはみなが打ち解けるために小さな丸いテーブルをかならず用意し、食事をどれくらいの時間で終えるかについても念入りに検討する。人々が親しくなるためのメニューまで考える。たとえば、最初の日の夕食はいつもカレーにする。カレーはたくさんの小皿で出すので、誰もが他の人に皿を回してもらったり、取り分けるのを手伝ってもらったりすることになる。つまり、会話することが必要になるのだ。同時に、カレーに入っている辛いスパイスがエンドルフィン系を活発にする。辛いスパイスは微弱な疼痛を引き起こすからだ。   2 日目の夜はかならず世界各地の屋台料理を出すことに決まっている。外国からの参加者は自分の国の料理のフレーバーに気づき、自国の文化や代表的な料理、飲み物について話したがる。このとき、どのテーブルにつくかは決まっていないため、参加者は自由に動き回って食べたり飲んだりする。会話がスムーズに進むように 5、 6 人用のテーブルが選ばれている。
何と言っても、「会社(company)」と「仲間(companion)」という言葉は、いずれも「食事をともにする人」を意味する、後期ラテン語の「コンパニオ(companio)」を語源とする。
能力の違いは、会話の場面で何人に対応できるか、何人の親友を持つか、どれほど複雑な文章を使うか(少なくとも、 1 つの文章にいくつの節を組み入れ、意味の通る文章にできるかが指標になる)、小説の醍醐味をどれだけ味わえるか、どのくらい複雑なジョークを楽しめるかに直接の影響を及ぼす。
この点について興味深いのは、会話に参加できる人数はメンタライジング能力の限界によって上限が定まると、シェイクスピアが本能的に理解していたことである。彼の戯曲では、 1 つの場面で 4 人を超える人物の台詞があることがない(登場人物たちが、その場にいない人物について話しているときには 3 人)(「シェイクスピアの『ハムレット』におけるメンタライジング」 参照 ★ 10)。シェイクスピアは、観客のメンタライジング能力を本能的に悟っていたらしいのだ。人が同時に把握できるのは最大で 5 人の心理状態であり、その人自身の心理状態も考慮しなくてはならないので、舞台上の登場人物の数が観客の認知力に負担をかけないようにしたかったと思われる。これは紛れもなく心理学の上級セミナー並みの知識である。
女性どうしの友情は主として会話によって成り立っている。これに対して、男性の場合は活動がおもな共通の関心事で、会話は互いの絆の強化にほんのわずかしか寄与しない(冗談を飛ばす言い訳ほどにしかならない)(図 5‐3 参照 ★ 19)。
オックスフォード・ストラテジック・リーダーシップ・プログラム( OSLP)では、プログラム参加者の指導グループを 5 人ほどに制限して発言しやすい環境をつくった。すべての人の意見を尊重するため、「ゴシップ」フォーマットを導入し、各人がおもな戦略の問題についてグループ内で発言する機会を最長で 10 分与えられた。発言を終えた人は部屋の片隅に座って自分の発言に対する他の参加者の応答に耳を傾けた(そのあいだ、応答している人の発言を遮ることは許されない)。  これで各自が自分の考えを述べられ(最高裁判所の例と同じ)、それを聞いていた残りの人は戦略を発表した人がそこにいないかのように、発言者の見解にかんして互いに自由に話す機会を与えられる。発言者の主張について考えることで、彼らは発言者の心の中に入り込み、その人の気持ちになり、自分がその人であればどうするかを想像する。彼らはこれまで経験した同様の状況について話すが、部屋の片隅にいる発言者に話を遮られるリスクはない。発言者に、「いや……だめだ」「それは無理だ」「そんなことできるわけがない」などのような普通なら質疑応答で出てくるようなことを言われることがないのだ。このアプローチであれば、アイデアを発展させ、「もし、こうならどうだろうか」という選択肢を探ることが可能になる。真剣に耳を傾けてくれた人からの直接的なフィードバックはきわめて貴重だ。
だ。「人や文脈から切り離された数字に依存することには危険が伴います。ビッグデータばかり見ていると、相関関係が因果関係に見えてくるのです。
子どもは、事象が起きた順番を記憶に刻む(したがって、テレビのリモコンのボタンをどの順番で押したかを正しく覚えている)。だが、成人は自分が見たことや行ったことを一般的な原則に変える(あとになって何が実際に起きたかをこれらの原則にしたがって再現する。法廷で証人の陳述が実際の出来事と食い違うことが多いのはこのためである ★ 35)。
信頼は、約束は果たされるものという簡単な前提にもとづいている。
言葉と行動を一致させる ──信頼にかんする限り、言葉はなまくらなツールである。言葉と行動が一致しない場合にはとりわけそうだ。信頼が生まれるのは、ときを経てあなたの発言がその通りの意味を持っていたという証拠が見つかる場合だ。あなたが正しかったと判明する場合も、信用が生まれる。未来への予測がしっかりしたものだったり、実際に未来がその人の予測通りになったりすると、かならず信頼が生まれる。
現代のビルの多くは没個性的で、できあいのレイアウトとパーツの組み合わせで、空港の待合室ほどにも人の快適さは考えられていない。機能が美観に優先する。無秩序な人間に秩序を押しつけたいという願望によって設計が決まるからだろう。結果として、個人のアイデンティティと関係性が失われる。
共有空間で起きる何気ない会話の重要性は、ハーバード大学医学部の研究シンポジウムで参加者を対象に行われた実験によって証明された ★ 11。実験の開始直後、研究者たちは異なる部屋に無作為に分けられ、他の参加者と 90 分の非構造化ブレインストーミング〔訳注 制約や規則のないブレインストーミング〕に参加するよう求められた。実験の前に研究者どうしが協力する確率は低かったが、同じ部屋でこれほど短い時間を一緒に過ごしただけで、偶然出会った 2 人がのちに共同研究の補助金申請を提出する確率が 70% 近く増えた。共有空間は生産性の高い空間なのだ。
一般に、イノベーションとは 1 人の天才による孤独な活動の成果だと考えられがちだ。だが、科学や工学における歴史上の偉大で画期的な発見の多くは、象牙の塔にこもって熱心に働く一個人によって成し遂げられたわけではなく、別分野の誰かによる偶然の洞察から生まれたものだ。
人生にかんする真実に、私たちは少なくとも平日には、目覚めている時間の大部分を自宅より職場で過ごしているということがある。したがって、職場は必然的にさまざまな出来事が同時に起きる社会的コミュニティになる。
私たちが持つ友人の数を制限するのはデジタルコミュニケーションの技術的な限界というよりは、むしろ私たちが維持できる人間関係の数の上限のようだ。
こうした定期的な連絡が必要とされるのは、たとえ問題のない時期であっても、友情や仕事上の関係は社会関係にかかわる投資が継続されなければ急速に衰退するからだ( 図 2‐5 参照)。
「星は私たちに与えられた。だが、星座をつくるのは私たちだ」 ──レベッカ・ソルニット ★
私たちが組織にかんして抱く想像上の構成概念は、私たちがそこでどう行動し、どのようにつながるべきと考えているかを知るカギとなる。
ロボットのように働く予測可能な世界という概念には、人間の仕事は不完全であるという前提がある。何か問題が起きたなら、人間に落ち度があるはずで、システムのせいではないというのだ。実際には人は四角い穴に詰め込まれた丸い 杭 だ。問題は四角い穴のほうにある。組織の構造と設計にあるのだ。
今こそ組織の総力を結集し、巨大な機械ではなく小さな人間のスケールで考えるべきときではないだろうか。
残念ながら、時間の制限とオフィスの間取りのせいもあり、あまりに多くのリーダーシップチームが幹部のオフィスエリアに引きこもる。そこにいると、リーダーは実際の仕事が進行する「 1 階や周縁」とのかかわりが希薄になる。中国にこんなことわざがあるのをご存知だろうか。「天は高く、皇帝は遠い」。日常の人間関係の力学や、それを教えてくれるヒトの生物学にほとんど注意を向けることのない人には、リーダーシップの理解はとても難しいだろう。
リーダーシップは、「綱引き」のような状況に陥ることがある。この状況は、北極探検隊が「ネガティブ・ドリフト」と呼ぶ現象に近い。探検隊の犬ぞりはある方向(たいてい北極に到達する方向)に進もうとするが、犬ぞりを載せた浮氷が海流や風の影響で別方向(たいてい北極から離れる方向)に動いてそりを押し戻すのだ。あなたはうまくすれば同じ場所にとどまっていられるが、すっかり疲れ切ってしまっている。長年にわたる組織との仕事や組織内の仕事で私たちにわかったことは、このような力学の変化を理解し、この力学が高い生産性と見返りにつながるように管理するのがリーダーの務めであるということだ。
組織のサイズと広がりは人間が生み出したどんな組織にとっても大きな問題だ。それがとくに問題となるのは、組織は成功を成長と拡大によって測定するので、私たちが大きいことはいいことだと想定するからだ。
階層構造を持つ伝統的な組織において、リーダーが大勢の従業員に対処する唯一の現実的な方法は、これらの従業員を類別化・単純化することだ。真の意味での個人的な人間関係を結ぶにはそもそも人数が多すぎる。こうして従業員のグループは、「マーケティング」「アメリカオフィス」「幹部候補」などのラベルをつけられ、個性を奪われる。文字通り「人的資源」となり、工場の入り口に搬入された原材料のように扱われる。  リーダーも一緒に働く人々と遠く離れてしまい、やはり個性を奪われる。従業員は自分が考えるリーダー像を彼らに投影し、リーダーに対する先入観を抱く。そのリーダー像は組織を率いる人の真の姿ではなく、従業員の希望や恐れを反映しがちだ。このような状況は、信頼や社会資本を生み出すための理想的な条件にはほど遠い。
ヒトは、各自がすべてのメンバーを知っている小さなグループを形成して生きるように進化してきた。こうした小グループでは信頼にもとづく絆が生まれる。この普遍的な生物学的欲求を大きなグループで再現するには、同心円── 5 人、 15 人、 50 人、 150 人など、三脚の椅子のように奇妙に安定する「 3 倍の法則」に支配される数──で考える必要がある。
グループや委員会のサイズを大きくしたいという気持ちの根底には、誰も除外しないという 包摂 を実現したいという思いや、いつか自分が除外されるかもしれないという無理からぬ恐れがある。だが、人を喜ばせるためにグループに参加させるのはよくある組織の罠だ。それをしてしまうと、組織の効率は一気に下がり、本来そこにいるべきでない人々の時間をも無駄にする。また多すぎる人数と限られた時間という条件がそろえば、いちばん強引な人の意見が通りがちになる。こうなると、組織の生産性は損なわれてしまう。
組織は同心円の波状の構造によって最高に機能するということは、それはリーダーシップが柔軟で融通の利くものでなければならないことを意味する。つまり、リーダーシップは効果的に配分されていなくてはならず、リーダーシップをあらゆるレベルで深化させることが必要になるのだ。  個人や組織が成長する環境を実現するためには、リーダーを──しかも大勢のリーダーを──在職権や地位にかかわらず育成する能力が最重要課題となる。たとえば、オーケストラのサブセクションをまとめる人、目的と価値観を共有する 15 人のチームを率いる人などの育成である。効果的な経営は、あらゆるレベルに信頼できる人がいてこそ可能になる。これらのリーダーは自身のネットワークにつながってそのネットワークを活性化させ、未来を築いていく。彼らには仕事が円滑に進むように支援する能力が求められる。他者に共感しつつ、状況を判断して適切な決定を下す能力である。  あまりに多くの企業に、特定分野の知識を持つ人を昇格させる文化がある。言い換えれば、好奇心を持ち、新しい問いを発し、組織外のものを組織内に取り入れる人より、技術的な答えを出す人が重用されるのだ。一般にリーダーシップは、本来そうあるべき意味合い(よい未来へと導く役割)ではなく、地位の問題として捉えられる。だが、明確な目的と共通の価値観があれば、分散型のリーダーシップ構造によって広範囲に及ぶ関連組織の経営を支援し、その結果に責任を持つことができる。しかも、昔日の帝国のように供給路が絶たれたり、遠隔地の支部が孤立したりする恐れもない。  私たち(サマンサとトレイシー)は、 2 人合わせて 50 年ほどにわたって世界各地のリーダーとともに仕事をしてきた。そうした経験から、リーダーシップを地位というより職責や関係性と捉えている。…
人事部やリーダーは、ある特定のグループを成功に導いた力学を正しく認識できず、従業員の昇格や配置を個人単位で決めてしまう。
しかし、これらのツールの多くは個人がグループをどう支援できるかに焦点を合わせている。反対の方向からものを見て、グループがどう個人を支援するかに的を絞ったツールはあまりない。
ある種の産業では、有能な個人の雇用や企業買収とは別の効果的な早道があることが知られている。いわゆる「リフトアウト」である。すでに形成されて機能しているチームを企業がそのまま買収するのだ。この手法は、とりわけ投資銀行、コンサルタント会社、専門医療機関、広告代理業、その他の専門的なサービス関連企業でよく見られる。競争相手を無力化する強力な方法でもある。
複雑系では(自然に振る舞おうとするグループはすべて複雑系であると言える)、すばらしいアイデアは中央ではなく周縁で生まれる。周縁あるいは末端にいる人は、未来がどう変わろうとしているかを肌で感じ取っているからだ。銀行の窓口で働く職員は顧客の行動変化に最初に気づくし、靴の販売員はどんなスタイルの靴が売れるかを誰より早く感じ取る。顧客と話すことで、その理由も知る。組織のあらゆるレベルで起きている人的交流は、その組織の活力の源泉なのだ。
私たちが行ったあるインタビューで、さきごろある大手の組織を退職した最高経営責任者( CEO)が、現在の自分が持っている知識を当時の自分が身につけていたなら、在職中に変えただろうと思うことについて教えてくれた。「引退してから時間が経つにつれて、私は助言が欲しいときにわずか数名の人のみの意見を聞いていたことに気づいたのです。自分がつくり上げた心地いい 反響室 にいたんですね。今にしてみれば、この習慣を止めてもっと多様な意見を聞きたかったと思います」。シェイクスピアは多様な意見の必要性を理解していた。たとえば、『リア王』や『十二夜』に登場する「賢い道化」は、外の世界の考えを持ち出し、権力に対して恐れを抱くことも媚びることもなく真実を語る。
ピラミッドの頂点で全員を統括する地位にいるリーダーに代わり、他の人を通してあるいは他の人とともに働くリーダーは、チームの正当な一員でありながら組織の方向性を決める。他の人とは異なる仕事をしているが、その仕事はかならずしもより重要ではない。ここで問題となるのは、リーダーの地位にいる人が(もう一度言うがこれらの人はかならずトップにいるわけではない)時間と注意という限られた資源をどう使うかである。
著述家にして社会運動の活動家であるジェレミー・ハイマンズとヘンリー・ティムズは、共著『 NEW   POWER ──これからの世界の「新しい力」を手に入れろ』で、リーダーが持つ力を水あるいは電気の比喩を使って次のように説明する。リーダーは力をある方向に導くが、お金のように貯めたり人に渡したりしない ★ 8。つまり、力はけっして個人の所有物ではないのだ。力をそのようなものと考えると、リーダーシップはリーダーとフォロワーの関係性に負うもので、地位、個人、その資質に負うものではないことがわかる。命令を出すがそれにしたがう者のいない独裁者はリーダーではなく、サッカーの試合で「人間の波」を始めても誰にも両腕を上げてもらえない人もリーダーではない。
組織にかんする逆説は小規模のまま大きく成長するというものだが、時間管理にかんする逆説は目的達成のためになすべきことを減らして多くの成果を出すというものだ。
たいていのリーダーは最新モデル、テクノロジー、フレームワークに触手を伸ばし、この不確実な時代にあって堅固に思える環境を構築しようとする。理解はできる。だがそうすることで、表面下で人の基本的な部分に働きかけている、太古から受け継いだ生物学的な力をややもすると見落としてしまう。表面で起きている現象や測定可能な現象(目標、コスト、物的生産性)に注目するのはいつの時代でもたやすい。しかし、はるかに測定しづらいものでありながら、これらの測定可能な業績を左右する重要な要因となるのは、グループ内や個人間における相互作用、そしてこれらの相互作用を起こす力である。あらゆる場所で作用するこうした力は、人の目に触れることなくたえず働いていて、組織の存続を可能にしたり、不可能にしたり、狂わせたりする。これらの力が本書の焦点であった。
組織文化が最適なときには、組織は人に属し、人もまた組織に属す。
帰属意識が目的と意味の共有、すべての人が経験できる有意義な方向性と焦点からも生まれる点にある。ただ組織の使命や理念を記した文書を読んだだけでは十分ではないのだ。
文化にかんしては、感覚はデータである。
帰属意識の概念はなぜこれほど強力なのだろう。「多様性」は標準からの逸脱を、「 包摂」は強いグループから弱い部外者に対する誘いを暗示する。ところが帰属意識の概念は、力のありかを暗示することはない。現在のメンバーも新人も力の関係なくその組織の一員なのだ。
ダンバー・グラフは、ヒトが持つ認知と時間にかんする制約を明確にする。これによって、帰属意識より多様性と 包摂 に焦点を合わせ、階層構造を採用する組織の問題を浮き彫りにする。
帰属意識は、新人がドアを入った瞬間に始まり、以降その人がつねに感じられるものでなくてはならない。ところが、新人を迎え入れるプロセスは、採用プロセスの延長と見なされ、見過ごされがちだ。しかし、そこがいちばん大切な部分なのだ。適切な歓迎は記憶に残る。うまく事が運べば、新人はこれらの歓迎の儀式によって早い段階で仕事に慣れることができる。また、自分をただの従業員ではなく個人として認めてくれるコミュニティの一員になりたいと願うようにもなる。
考慮すべきなのは物事の始まりだけではない。終わりもそうだ。人は職を辞すると長きにわたって蓄積してきた知識、物語、豊かな経験とともに組織を去っていく。一方の組織は、ともすると彼らが何を成し遂げたかに十分な敬意を払わず、また彼らが学んだことを他の従業員と共有してもらうことなく別れを告げる。
人を解雇するのはとくに難しい。既存の絆を維持したいという自然な願望が、その人はすでに組織に合わなくなってきているという気づきをなかったことにしてしまう。リーダーはつねに好成績を挙げてきた社員が組織を離れるのがつらい。たとえ、その社員の行動(多くは測定されない)がもはや組織の価値観にそぐわなくとも。とはいえ、その社員がどれだけ会社に対して忠誠心を感じていようと、組織の価値観や目的と一致しなくなったら決断が必要だ。望ましくない行動が目立つ社員が容認され、引き立てられる組織は内側から腐っていくものだ。
組織による意思決定はその価値観から生まれるので、実際に下された決断はいずれも価値観にフィードバックされる。
オックスフォード大学法学部長のルース・チャン教授が、難しい意思決定をしなくてはならないとき、私たちが一般にどのような行動をするかを教えてくれた。たとえば、正誤あるいは善悪がはっきりとはわからない意思決定の場合、私たちは明確な答えが出てくるか、自然な成り行きでいずれかの道を選択するようになるまで待つことを望みがちだという。しかし、私たちの価値観が強力な場合には、異なる選択肢があっても自分の価値観にいちばん近い道を迷うことなく選ぶ。意思決定のためのデータは自分の内側から得られるのだ。その後に直面する障害や挫折は、自分が誤った選択をしたためというより、克服すべき問題と見なされる。つまり、未来が私たちを形づくるのではなく、私たちが未来を形づくるのである。
リーダーシップの専門家ジェニファー・ガーベイ・バーガーによれば、リーダーが効果的であるか否かの基準は、人がどれだけそのリーダーの真価を認めるかではなく、そのリーダーがその場にいる場合に、人がどれだけ自身の真価を認めるようになるかだという。
組織の文化はたえず外部の状況とグループの変わりゆく構成にもとづいて変化するが、成功する文化(ここでの「成功」は組織の目的および戦略の支援における成功を意味する)とは、組織の内部に一本筋が通っているような状況のことだ。文化の一貫性は、物語、儀式、グループの集合的な象徴と習慣から生まれる。文化は共有された価値観に支えられ、広くすべてのメンバーに理解できる言語で書かれている。組織に組み込まれた仕事のプロセスは、文化を蝕むことがなくむしろ支援する。とくにリーダーは、その話し方のみならず行動においても組織の文化を体現する。
本書に書かれていることの多くは常識の範囲内に思えるかもしれない。「私たちは大きな集団の中でうまく機能するのを苦手としている」「集団の中の孤独は惨めな経験だ」「気の合う同僚がいるのはいいことだ」などなど。しかし、こうした常識を裏づける研究成果は一般に組織では活用されていない。おそらくそれが、あまりに直感的で、主観的で、「なすべきこと」というより、「できればいいなと思える程度のこと」だからだ。私たちはこれまでに世界各地の何千人というリーダーと仕事をしてきた。その中でも最高のリーダーのみが自分の組織を人間らしい観点から眺め、いかにも人間らしい問題に取り組んでいる。
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