2025年4月の日記
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おばけ、いなすぎる
今まで生きてきて、おばけに会ったことがない
これは霊的ななにかだろ!と思ったことすらない
小さい頃は電気つけないと夜廊下も歩けなかったんだけどな
起こること全てが自然科学や帰納で予期される範疇に収まっていることのほうが怖い
好きな作品を繰り返し見る、レコメンドされるままに同じ動画を惰性で見る、自分が過去に作った作品を眺める、昔の日記を読み返す、今作っているものを眺める、そういう「反芻の快」の奴隷になるときがある
知ってるものだからカロリーが低い、しかも自分の好みであることが確定している
新しさがない後ろ向きな行為ではある
でもまあ他で得られない豊かな時間ではあるし、やめるべきとは言い切れず、休憩として割り切った距離感をなんとか保つのがいいと思う
今まで奇跡的な鈍感さで気づいてなかったんだけど、高い製品って梱包を開ける体験込みでデザインされているな
早起きと夜更かしでは明らかに夜更かしのほうが強い引力を持っていて、健康ってハードモードだなと思う
夜更かしは「今」を延長することで、早寝早起きは来たるべき明日のため今に句点を打つこと
夜更かしは朝までほぼ無制限に時間を前借りできるが、早寝早起きで得られる時間はせいぜい1、2時間なのも苦しい
起きることより寝ることのほうが難しいし
我々ができることは、環境を整備して早起きせざるを得なくして、習慣化で継続コストを下げることくらいしかない
朝の空気は本当においしいので、早起きはしたほうがいいです
掃除機の音が苦手だと気付いた。聞いていると心がざわざわする
怒鳴り声を聞いたときと同じ心の動きになる
地上戦と空中戦があって、リアルの対話は地上戦で、文章ベースのコミュニケーションは空中戦
求められるスキルが全然違う
空中線がいくら強くても地上戦での戦闘力(説得力)は大差ないし、逆も然り
何千文字書いて説明できるみたいなときも地上戦ではうまく伝えることができないことがあって、しかも同様に私は相手の100%を受け取れていないだろうし、ままならないなあと思った
去年あたり「冷笑」という言葉がすごくカジュアルになった。Xで23年末から爆発的に用例が増えている。
「嫌な人だな〜」と思った相手を簡単に刺せることばということでニーズにフィットしたんだろうなあ
さまざまな「嫌な人」をひとからげにして一方的に封殺できる点でとても便利な言葉だと思う
「露悪」 とか「嘲笑的」とか普通の言葉で形容するより「冷笑=共通の敵」のブームに乗っかったほうが手軽で強い
今までは「冷笑」側が一方的に不快感を撒き散らしてきたので、この言葉がカウンターとして出現するのもやむなしという感じ
ただ、冷笑指摘には低コストなレッテル張りという1段上のねじれた精神性が確実に潜んでいるので、こぞって飛びつく動きもあまり関心しない
気高くあれ、人類……
「エグい」にも文句言ってるし、老害に着々と近づいている
みんなみんなが「冷笑」みたいな新興の言葉をサラーっと自分を構成する言葉として接ぎ木しているのを見ると、そんなことしていいの?って思っちゃう
私も前はちゃんと流行の上で踊るタイプだったのだけど、「逆張り」のフェーズを通過し、「魂を磨け」のフェーズに入っている
私だってもっと普及した言葉には素直に従うけど、「エグい」や「冷笑」は叩けばまだ音がすると判断してるから叩いている
このまま行けばとんでもない老人になると思うので、楽しみに待っていてください
Bluesky静かで好きなんだけど、ゆるやかに滅んでいくのではとも思う
Xで規約を雑に読んだ人が扇動してパニックになるみたいなショックがまた起こらない限りユーザ母数が増えないし、徐々に閉鎖的になっていかないかと
あんなショックが起きたとそれで来る人は芳ばしい人が多いだろうし……
カートゥーンの絵柄が怖い
カートゥーンというか、アメリカ的な目のデフォルメが怖い 他の要素はわりと大丈夫
白目がパキッとついてて丸っこく、三白眼四白眼みたいなやつ
セサミストリートとか本気で怖い 考えうるすべての造形のなかでも上位に怖いと思う
人間や生き物の目に籠もった「理解できなさ」みたいなものが強調されているように感じて、何されるかわからない恐ろしさがある
全部嫌いではなくて、かわいさと本能的な怖さを同時に感じるときもある
パペットスンスンとかよくわからないけどわりと好き
アドベンチャー・タイムの主人公とかeテレの人形劇みたいな点目はすごく可愛いと思う
萌え絵が怖いという人の気持ちもこういう感じなんだろうな
コミュニティだろうがコンテンツだろうが究極的に提供してるのは「居場所」だ
ただ生きるというのは退屈で、孤独で、居場所がないと耐えられない
ラジオって独特の居場所としての質感があるよなあと思っていて、生配信にも似た質感を感じるから「(安全な)人がそこにいる」って本当な大事なんだなあと
生きることに伴う「可能性の収束」が恐ろしい
未来に広がる無限の可能性を手繰り細い一本に収束させていくのが人生で、どう長持ちさせようが最後は老人ホームや病院あたりに集結していって途切れる その流れが怖い
他の道がよかったとかは全く思わないけど(満足してはいないが、これしかないんだからしゃーないやろと思う)、一本を選ばされて、後悔を抱えて生きて、抗えないものに流されながら生きて死ぬこと自体が嫌だ
どうやったら良くなりますか、とずっと思ってる
夜見る夢はあんなにくにゃくにゃしてるのに、現実はいつもびくともせず良さも悪さも停滞してる 閉塞感
体感7割の人間はもっぱらスポーツとドラマとアイドルの話をしている
全部興味ないから話振られてもにっこりすることしかできない
みんながそこに収束してってるわりに導線がわからない ハマるきっかけがない
鉄道とかも興味ないわけじゃないけどこの年で「今日から鉄オタになります」となるルートが想像つかない 鉄オタもいっぱいいるのにどこから来たのかわからない
これは普通に私が不登校だったからな気がする
オタク趣味って他と比べて持続が難しくない?
そもそもユースカルチャーだし、老いても萌え萌えしてるのは、さすがに、キツい
何を好きになるか自由なのは前提として、一般認識として「カッコいい」の逆側に配置されてるのは確かだよねという
じゃあオタクやめて何やりますかとなっても同じ強度がある趣味そんなにない
「道路」というシステムに納得いってない
「ただ立ってる」だけで轢かれても文句言えないというルールは全員が共同体の一員として振る舞ってくれることを信用しすぎている
考えてることを公開するのって恥ずかしくてたまらない
なんか……考えを表現しようとしたときの拙さが生み出す質感ってあるじゃん……あれを晒すのが恥ずかしい……
リアルで言っちゃいけないことはネットでも書くなと言うのはよくわかるんだけど、公共の場では絶対にやらないレベルの自己開示も道化もやってる私は、どうなんだろうね
外では誰が敵か分からないからスンとしているけど、ネットではもう過去にはっちゃけすぎて吹っ切れている
カッコつけてるわけじゃなく「敵に見られるかもしれない」から外ではSNS見ないし音楽も聴かない 自意識過剰
歌詞見るだけでその曲が好きかどうか半分くらいわかるな
ヒップホップ、音は好きだけど「あれ、これラッパーの自己顕示のための枠組みでしかない……?」と思ってしまうときがある
音楽は「風景」だと思っていて、言葉でそれを増幅してほしい感じがあり、人間性が露骨すぎると飲み込めなくなる
一方で自我が生み出した、他ではできない表現というのもあって、それが好きになっちゃうこともある