読書ノート(またはメモ)を取るときにそれが自分の血肉となるような工夫
rashita.iconどうでしょう。何かありますかね。
rashita.iconちょうど本日作成し終えた読書メモのページです。
説明の内容があまりにもわからないことが多かったのと、自分なりに考えたいことがあったので別途ノートを作りました
https://gyazo.com/5e9e4a5e6965b87fbcfd132e2a844117
https://gyazo.com/9bdabad58b36c7db06ae371efc4813e5
rashita.iconまずなんであれ、ただ普通に読み終えるのと、読書ノート・メモを取るのとでは質的な違いがあるだろうということは容易に予想できます。
それがどのような形であれ、最低でも微細な違いは生じるだろう、ということ。
その上で、じゃあその差をもっと大きくするにはどうしたら良いのか、というのが考えたいところ。
その上で、本の内容が「血肉になる」とはどのような状態なのかを考えてみるのがまずはよさそうです。
fuzuki.iconノート画像ありがとうございます。矢印を引いて「とは何か?」「とはなぜか?」のように言い換えや付言をしている印象ですね。
読み終える/ノートを取る(≒理解する)の差分を「大きくする」方法を考える
自分にとって“血肉になる”は「日常でその知識を使ってものを考えられるようになる」に近そうでした。例えば『認知バイアス辞典』を血肉にすると何かの判断に際して「これは単純接触効果では?」と考えられる、といったようにその本から得た知識を自然に使うことができる状態。覚えて・使えるに近いかもしれません。
rashita.iconあと、読むときの姿勢と読書ノートの書き方の二要素がありそう。
fuzuki.icon事象を分割してかんがえるのはとてもいい方策に思えます(でかい案件は頭が追いつかない)
tks.icon血肉にするレベルだと、発表のための資料を作ることが必要な感覚があります
ノート作りで言えば、理解のためのノートではなく、発表のためのノートを作る段階までいかないと結局血肉にはなっていない気がしています
仕事でも必要にかられて一夜漬けで調べたことを資料にまとめて、まるでずっと知っていたように話すことがあるのですが、それの良し悪しは置いといて、話したあとは結構血肉になっている感があります
読書も同じで、読書会で話したりすると自分の中に残る感覚があります
話すために気合いを入れて読むのも影響していると思いますが。
fuzuki.icon発表する・話す“ため”にノートを取る、というのはいいですね。自分は「ノートを取る」ことを目的にして動き始めたから、どうしたらいいのか分からず困ったのかもしれません。
話すと残る、は自分にもある感覚で、例えば飲み会の席で適当に喋った(まさしく「読んでない本について堂々と語った」)あと、話した形で自分の中に残る印象があります。適当に喋っているので良し悪しの悪しよりな感覚が残りますが……
読書会の場で、あるいは誰々に話そう!と思ってノートを取り始めると完璧を求めてしまって終わらない/喋る場を想定せずに読んでしまうと適当にしか喋れない の間を狙っていくノートテイキング…
rashita.iconとりあえず、血肉化を二方向に分けて考えてみます。
1. 「その本」について自由に(主に記憶だけを頼りにして)語れること
誰かと話していて、あの本どんな本だったと聞かれて「あの本は、〜〜が書かれている本で、こういう感触を受けた」というような概要が語れる状態。
2. その本に書かれていたことが自由に(主に記憶だけを頼りにして)使えること
fuzukiさんの「日常でその知識を使ってものを考えられるようになる」の状態
もちろんこの二つは相反するものではなく、重なり合うものですが手法を検討する上で弁別しておきます。
rashita.icon1について
で、その上で「1」についていえば、本を読んでいるとき(あるいは読み終えたとき)に全体としてこの本は何を言おうとしているのか(メッセージと仮に呼びましょう)、ということを意識することが大切です。とくに、小説ではない論説文のようなものであればそのメッセージを捉まえることが読書の一つの目的でもあります。
細部ではなく、全体を意識する。
冒頭でそれが示されている本もあれば、最後まで読み終えないとわからない本もある
また構成が破綻していて、全体がうまく構成できていない本も(もちろん)ある
そしてさらに、全体ではなく細部の中で自分が特に注目した2〜3の話題をピックアップしておくと、本の紹介の語りが肉付けされます。
全体を押さえておけば、その話題が本筋に関係するのか、しないのかも判断できます
「これは本筋には関係ない話なんですが」と言えるなら、全体のメッセージの輪郭線は捉まえられていると言えそうです
rashita.icon2について
2についていえば、興味深い概念を取り上げて、ノートないしカードを作ることです。
そうして書き留め、折りに触れて読み返すこと。
これ以外には方法がありません。
ただし、一つのジャンルの本を複数読んでいると、そうした「興味深い概念」が何度も取り上げられることがあり、そうするとナチュラル復習が発生し(つまり、折りに触れて読み返すが生まれ)、なんとなく血肉になっていくこともあります。
ようするにこれは、外国語の勉強と近似して考えられるでしょう。
単語帳や参考書で、意識的に覚えるようにする
ノート・カード
ともかく新しい言葉を浴びることで、脳が記憶するに任せる
同一ジャンルを徹底的に読む
rashita.icon統合
上記を合わせて考えると、あるテーマに興味を持ってそうした本を複数冊読んで行くだろうなというような目算がある場合は、最初のうちはそこまで本格的なメモを取らずに、まずそうしたジャンルの内容に触れることを目指し、一冊だけ読んで終了したい場合は、その一冊のメモを徹底的に取る、のような条件分岐戦略が考えられそうです。
fuzuki.iconありがとうございます。すごく、理解しやすいです。
1の「全体として何を言っている本なのか」ということ、自分には結構難易度が高いことのようです。
何も気にせず読むと、個別具体の話題や、気を引く例示は拾いやすく覚えているのですが、全体図を把握しているかというと常に否な感触があります。
そういうものは、訓練によって上達するものでしょうか?それとも、人間には得手不得手があって、超えられない壁があるようなものでしょうか。
「この本はこれついて述べている」「いやそれは違う」など人の力を借りることで上達するのか、それともひとりでまとめていて、それを続けていくと、そのうち芯を掴めるようになるものなのか。
2のカード化、概念として書き留めて、他にも使える形で保管すること。アトミックシンキング…
同ジャンル同時期読みで「興味深い概念」に複数回遭遇してなんとなく覚える(使えるようになる=血肉になる)、ということは経験したことがあるかもしれません。でも、なんとなく読んでいるので、正確に・確実には説明できない…堂々と語る何かになってしまっているように思いました。
そうなるとfuzuki.iconに必要なのは、仰っていただいたように「意識的におぼえる」機会を作る必要がありそうです。
分岐戦略、傍らに置かせて頂きます。まとめ読みと徹底読み。
fuzuki.iconありがとうございます!拝読します。