2022年8月読書会メモ(まさきいずみ)
(2022年7月30日以降分はここに追加する)
読んだ
新書ということで一般向けにわかりやすく調査事例と理論・考察が述べられている。
どう繋がっているのかわからなかった、タンザニアとチョンキンマンションと言う二つの調査地の繋がりが見える。
はじめに
Living for Today ——その日暮らし——の社会を分析することで、我々(現代日本)の社会を再考する。
プロローグ Living for Today の人類学に向けて
勤労主義と怠け者主義のねじれ
未来のために現在を犠牲にする?
イソップ童話の「アリとキリギリス」は古代ギリシアでできたお話だから、未来に重きを置く「アリ」が良きものとして描かれているのでは? インフォーマル経済、海賊行為と Living for Today
「その日暮らし」は新自由主義的な市場経済を否定するものでない。
「下からのグローバル化」や「非覇権的な世界システム」
周辺領域からのの隆盛は歴史上よく見られる。
「その日暮らし」は新しい社会の可能性に開かれてる。
第一章 究極の Living for Today を探して
直接体験の Living for Today
ダニエル・L・エヴェレット『ピダハン——「言語本能」を超える文化と世界観』(みすず書房、2012)
ここで重要なことは、未来や過去を前提とした生産主義的な生き方は普遍的なものではなく、またそのような生き方は当事者たちにとって必ずしも「不幸」で「貧しい」ものではないということである。p.40
最小限の努力で生きる農耕民の世界
不均衡なもてなしともてなされ。
分け与えることの道徳?
特別な野菜を育てると他人に持っていかれる。
分け与えることの拒否は妬みを生む——異人殺しのフォークロア。
富とは時間とわたしの関係に紐づいている?
直線的な時間なら富を貯めて独占することは有用性があるが、円環的な世界はシェアすることも有用。
直線的時間——縦軸、円環的時間——横軸
シェアのための生産、二倍つくって不作の農家に分け与える——アソビ:群馬県多野群上野村の事例
Living for Today とアソビ
「最少努力」で生きる。備えるのではなく「どうにかなったらそのとき対処する」
具体的には民族誌を紐解いていただきたいが、わたしたちの均質的で直線的な時間認識一つを括弧に入れてみると、わたしたちが思い悩んでいる問題——貧しさや能力、効率性、他者に対する妬みの感情——には別の解決の方法が開けているように感じる。p.51
文化人類学とグローバル化の微妙な関係
第二章 「仕事は仕事」の都市世界——インフォーマル経済のダイナミズム
仕事さがしの日々
ジェネラリスト的な生き方と生計多様化
近代的な工場労働者的働き方、専門性を売りにした固定化した働き方。現代を生きるナレッジワーカーもこの固定化から逃れ得ない。一般的に現代の企業出で働く場合、ジェネラリストと言っても全く違った分野を越境できているわけではない。
つまり、このような状況では、計画的に資金を貯めたり、知識や技能を累積的に高めていく姿勢そのものが非合理、ときには危険ですらある。友人のジョニは「明後日の計画を立てるより、明日の朝を無事に迎えることの方が大事だ」と語ったが、この言葉は、筋道だった未来を企図することの代わりに、いま可能な行為には何にでも挑戦すること、そのためにはつねに新たな機会に身を開いておき、好機を捉えて、いまこのときの自分自身の持っている資源をかけていくこと意味している。p.65
「前へ前へ」の暮らし
チャンスを見逃さず機敏にトライする姿勢は、先進諸国に見れれないダイナミズムがある。「隣の芝生は青い」的な憧れかもしれないが。
「仕事は仕事」の人生がもたらす豊かさ
私たちは、自己を経済に強く紐づけられている。「仕事は仕事」という割り切りには近代資本主義的経済をはみだす視座が見られる。
第三章 「試しにやってみる」が切り拓く経済のダイナミズム
東アフリカ諸国間交易の活性化
「仕事は仕事」と「殺到する経済」
(略)「殺到する経済」とは、「『儲かる』と思われる業種にドッと、大勢の人びと、会社が押し寄せて、すぐにその商品が生産過剰に陥り、価格が暴落して、参入した企業が共倒れになる経済のこと」を指す。p.81
ジェネラリスト的な商売戦略
ネズミの道と小商い
商店街のインフォーマル化
「わたしの運」がみんなの運に変わるとき
ジェネラリスト的態度は、個人だけでなく「世帯」をこえた生存戦略として存在する。一見個人主義に見えるがそうではない。
(略)「仕事は仕事」の人生が「仲間の仲間はもしかしたら仲間」として成立するなら、見ず知らずの人も含めた「みんな」を一つの生計単位として考えてもおかしくないだろう。p.96
第四章 下からのグローバル化ともう一つの資本主義経済
中国へ——香港のチョンキン・マンション
「ローエンドなグローバリゼーション」「下からのグローバル化」の中心
新自由主義にはほど遠く見えるチョンキン・マンションの事例は、いくつかの理論に反しているものの新自由主義に則っている。
香港から中国本土へ
アフリカ人交易人と中国商人との関係
コミュニティの定義は様々だが、一般的なコミュニティ研究の視点から、ホスト社会と移民コミュニティの文化交渉、文化接合などに着目し、長期滞在移民や交易人、仲介業者に積 極的な意義を見出そうとすると、 「下からのグローバル化」のダイナミズムを捉えられない。その枠組で、彼らの関係性を相互理解や信頼に回収することにより、異文化接触・交流の頻度に基づく知識・経験の蓄積、親密性の濃度が問題になり、操作可能な他者が目的になる。確かに、異文化を知り互いに仲良くなることはある。しかしだからと言って、その異文化理解や信頼に基づき「操作可能になった他者」と彼らが商売の交渉をすることはない。彼らの信頼とは大胆な言い方をすれば、その時々の交渉により発現する「誰も信頼しないことによる、誰にでも開かれた信頼」であり、どちらかと言えば、「反コミュニティ的」なものである。p.114-115
仲介業者としてのアフリカ系交易人
「騙し」を含む実践知
無条件の信頼ではなく、交渉をし互いの利害を調整した上で「信頼」を勝ち取る。
インフォーマリティの再考
個人的能力で渡りきれない不条理な社会に対して、ままならなくても生き抜いているという自信を、社会に対する確信を得られる。
第五章 コピー商品/偽物商品の生産と消費に見る Living for Today
法的な違法性と道義的な合法性
「法的な違法性illegal」と「道義的な違法性illict/合法性licit」
山塞文化とLiving for Today
著作権等、模造品を許さないのは西洋的価値観に基づくものである。
中国のゲリラ携帯と山塞革命
ピラミッド型のブランド企業と水平的ネットワークで動く山塞群団
山塞企業の極限戦とインフォーマル経済
極限戦
薄利多売を可能にする特有の価格設定
スピード
セールスの仕方:広告を打たず、安さとスピードを極限まで高める
まがいものとしての中国製品
コピーや偽物がないと困る
中途半端なオリジナルよりも、最低限機能を満たしたコピー商品
いまあるお金で買えるモノ
機能性が重要であって品質やブランドが重要なのではない。
「必要性」と「偶発性」
「必要になるまで買わない」
だらだらとした衝動買いとコピー商品
貯金を困難としている社会ではお手軽なコピー商品に衝動的に飛びつく。
「使い捨て文化」をどう捉えるか
長持ちしない安物なら、遊び心あふれる商品やすぐに飽きる奇抜な商品を購入してもいい。最貧国の一つに数えられるタンザニアで、遊び心やウィットにあふれたモノは今を楽しむこと可能としているとみるか、モノに生活をコントロールされるジレンマを生み出しているとみるかで、模造品やコピー商品の道義的な合法性と違法性との境界はまた動くだろう。p.155
お祭りの屋台で手に入れるオモチャと百均のオモチャはどう違う?
アフリカン・ドリーム?
中国系商品とコピー商品
顔の見える範囲とインフォーマル性
国系の商売人が忌避されるのは殴り返されない場所から、殴っているから。現地の商売人はあまりにも不出来なものを売った場合、クレームが押し寄せる。空間を超えた中国だと限度を超えた詐術を駆使できる。
「法的には違反しているが道義的には許せる」——下からのグローバル化を構成する人々の文化的な多様性、経済的な不均衡がいかに折衝されるか。
コミュニティの定義は様々だが、一般的なコミュニティ研究の視点から、ホスト社会と移民コミュニティの文化交渉、文化接合などに着目し、長期滞在移民や交易人、仲介業者に積 極的な意義を見出そうとすると、 「下からのグローバル化」のダイナミズムを捉えられない。 その枠組で、彼らの関係性を相互理解や信頼に回収することにより、異文化接触・交流の頻 度に基づく知識・経験の蓄積、親密性の濃度が問題になり、操作可能な他者が目的になる。 確かに、異文化を知り互いに仲良くなることはある。しかしだからと言って、その異文化理解や信頼に基づき「操作可能になった他者」と彼らが商売の交渉をすることはない。彼らの信頼とは大胆な言い方をすれば、その時々の交渉により発現する「誰も信頼しないことによる、誰にでも開かれた信頼」であり、どちらかと言えば、「反コミュニティ的」なものである。
第六章 <借り>を回す仕組みと海賊的システム
<借り>の哲学
ナタリー・サルトゥー=ラジュ『借りの哲学』(太田出版、2014)
二つの対立
(1)贈与する側に返礼がある、返礼への期待があるなら贈与ではない
(2)贈与する側が返礼を求めるのがあるのが贈与である
いまこそ資本主義が排除しようとした〈借り〉の概念を復活させる必要がある。ここで、彼女はまず人間は生まれながらにしてそもそも〈借り〉を負っており、生きることは〈借り〉をつくることであり、人間はどうあがいても〈借り〉からは逃れられないことを認める必要があると論じる。そのうえで、〈借り〉の正の側面を生かし、「過度な負い目を与える」負の側面をコントロールすることが可能な「返さなくてもよい〈借り〉」を中心としたシステムを構築する必要があると主張する。p.174
「借り」から「負債」へ
テクノロジーによっって不可視な「借り」は、可視の「負債」になるのか。
画期的な送金システム
無心や返済を拒否する状況の喪失
小さな贈与と返済猶予時間
携帯を使った詐欺
<借り>を回すシステム
銀行から借りるより、知り合いから借りる方が心理的障壁は少ない。
また、返済を迫るより新たに借りるようが良いようだ。
送金システムは少額で大勢から借りることを可能にした。
知人からの借りは今は返せていない(いつかは返せる)を意味する。
日本で言うところのクラウドファンディングみたいなものか? あるい講?
エム・ペサが受け入れられたのは旧来の「借りを回すしくみ」をそのまま応用できるから。
資本主義から海賊的システムへ
上からの押さえつけは 、Living for Today ・海賊的システムを資本主義の運動内部に吸収していく。人々を新たな形でつなげ、<借り>を機能させていく。
(略)現代的な贈与システムは Living for Today を活力にすることができるのであろうか。
エピローグ Living for Today と人類社会の新たな可能性
Living for Today が織りなす経済のかたち
取るに足らないインフォーマル経済が主要派経済に無視できなくなってきている。
国家を単位としたインフォーマル経済の視座ではトランスナショナルなダイナミズムは捉えられない→「下からのグローバル化」
しかし、草の根の経済活動のモデル化、固定化はダイナミズムから乖離していく。
インフォーマル経済と Living for Today
(略)トム・ルッツが豊かに例示するように、 わたしたちは勤労主義と怠け者主義の両極を揺れ動きながら、どちらに立ってもつねに満たされない思い、不安と不満を抱え、両者のスペクタクルのなかで特定の労働観を築いてきた。ただ現在の日本の社会状況では、 現在のおこないが将来の安定やリスクに直結するものだという価値観から逃れることは困難である。子どもの頃は「将来についてきちんと考えなさい」と言われることに反発した人も、大人になるにつれて未来に備えるために、現在を消費する生き方を身体化していく。みずからの「自立性/自律性」を獲得するため、あるいは家族や社会に対する責任を果たすために。しかし、現在の延長線上に「未来」があるという認識は、特定の場所と時代において成立したものであり、資本主義経済システムに組み込まれた主流派社会から零れ落ちたり、あるいはそれによって周縁化されている世界では、 Living for Today を身体化することこそが生き方の出発にある。
しかし、人間はみな Living for Today である。 主流派社会は Living for Today の世界に囲まれ、主流派社会には至るところに Living for Today を喚起する陥没があり、 Living for Today の輩が巣食っているのである。繰り返すが、人間はみな Living for Today である。いつ誰が陥没を生み出し、いつ誰が巣食う住人になるかはわからない。その不安や焦りが、主流派社会を駆動している。 主流派社会は Living for Today を恐れている。 その恐れは社会システムのためなのか、自己の実存のためなのか、それさえもわからずに恐れているのである。
あとがき
彼女にとって「敵(てき)」とは誰だったのか
なぜ「敵」は「てき」であり「かたき」ではないのか
登場人物がややキャラクターチックに描かれているような気がします
雰囲気は映画の『太陽に灼かれて』『戦火のナージャ』で読みました
三部作最後の『遥かなる勝利へ』を見ていないのを思い出しました。今度観よう
行動
「死人テスト」
「具体性テスト」
行動の前に原因がある「レスポンデント行動」
行動分析的なものの見方
行動(オペラント行動)の原因は、行動の先にではなく後に続く結果にある
table:四つの基本随伴性
出現 消失
好子 強化 弱化
嫌子 弱化 強化
FTスケジュール
FT(Fix Time)とは「時間を固定させて提示する」という意味で、これまで本書では行動に随伴して好子を出現させる話をしてきた。でも、FTスケジュールでは行動に随伴させるのではなく、時間ごとに好子や嫌子を提示するのである。つまり、行動に無関係に好子を提示するのであり、たとえば5秒ごとに好子を提示するといった方法である。もちろん、ちょうどその好子が出現する直前のタイミングで、特定の行動をしていると偶発的にその行動を強化することになるのであるが、これらの偶発性によって行動がどのように変わるのかという実験研究も山のようにある。
さらっと読めましたが、何度か読んだ方が良い感触がありました
ちょっと時間をおいて再読します
あと、描かれたメソッドは実践してこそなので、実践中
読んでいる
マンガ
昔の大阪の空気は感じました
といっても実際に見たことあるのは90年代〜2000年代のミナミですが
「少年キャプテン」の連載で雑誌休刊に伴い最後まで読めなかった思い出
まあ、書き下ろしでも結局完結しなかったんですけど
めちゃくちゃ刺さりました
結局、自分は人がどう生きるかということに興味があるのだなぁと再認
主人公二人の関係は、中宮定子と清少納言を思い出しました
『枕草子』を世に出し清少納言の才能を後世まで伝えた、中宮定子の功績
『ダブル』で才能とどう向き合うかというのを見ての読み直し 力を持った女性に無茶苦茶にされるのが好きなんじゃねという嗜好を感じずにはいられません
アニメ
『リコリス・リコイル』
原案が『ベン・トー』のアサウラ
空気感が似ている
『シティーハンター』と同じ文脈で捉えるとすんなり入ってきます
『風都探偵』
『仮面ライダーW』の続編