『勉強の哲学 来たるべきバカのために』の読書メモ(meganii)
https://gyazo.com/84a1f0a8bc7c9468abcdafd12819b3bd
目次
はじめに
第1章 勉強と言語ー言語偏重の人になる
第2章 アイロニー、ユーモア、ナンセンス
第3章 決断ではなく中断
第4章 勉強を有限化する技術
結論
補論
参考文献
あとがき
第1章 勉強と言語ー言語偏重の人になる
https://gyazo.com/77b8fd59cfc47616a2cf63741b3da7e9
勉強とは、かつてのノッていた自分をわざと破壊する、自己破壊である。 p20
目的、環境のコード、ノリ
https://gyazo.com/dfe268eefc98aa0d5920ddf77545b324
「周りに合わせて生きている」とは環境のコードによって、目的的に共同化されているという意味
環境的な制約=他者関係による制約から離れて生きることはできない
でも環境依存的に不自由だから、行為ができる
無限の可能性のなかでは、何もできない。行為には、有限性が必要である。
有限性とつきあいながら、自由になる。
あれもこれもと無限に選択肢がある状態では何もできないというのはわかるmeganii.icon
ノリとは、環境のコードにノッてしまっていることである。
自分は、環境のノリに、無意識的なレベルで乗っ取られている
https://gyazo.com/078ca09de96a16ea6917c78342ce32f7
「言語」によって環境に属しながら(その場にいながら)距離を取る
自分とは、他者によって構築されたものである
https://gyazo.com/f8ee5cfedc3b8a70fd433870ed32d9e5
❌「裸の自分がない」 = 「個性」がない
⭕個性的な存在ではあるが、100%自分発の個性はない
個性とは、私たちひとりひとりが「どういう他者とどのように関わってきたか」の違いなのです。
個性は、他者との出会いで構築される。自分の成分としての他者が、自分の「欲望」や「享楽」の源泉になっている。 私たちは個性的だが、個性とは「他者依存的」なものである。
言葉の意味は、環境のコードのなかにある
https://gyazo.com/e80224fcaeb4e144d15830c7f0cdb74d
言語を通して、私たちは、他者に乗っ取られている。
言語は、環境の「こうするもんだ」=コードのなかで、意味を与えられる
言語習得とは、
環境のコードを刷り込まれること
ある環境において、ものをどう考えるかの根っこのレベルで「洗脳」を受けるようなこと
言葉ひとつのレベルで価値観(イデオロギー)を刷り込まれている
話す言葉によって性格が変わるというのもよく聞くが、言語とコード(文化)が紐づいているとするならわからんでもないmeganii.icon
「言語の他者性」
言語それ自体は、現実から分離している。
言語それ自体は、現実的に何をするかに関係ない、「他の」世界に属している。
https://gyazo.com/bf3f92875d74dd8f0f60854bd0726127
言語によって構築された現実は、異なる環境ごとに別々に存在する。言語を通していない「真の現実」など、誰も生きていない。
https://gyazo.com/fedbbb8c73c77f042552ac6eebabec5b
色眼鏡でものごとを見るとはいうけれど、そもそも誰もが「現実」を直接見れていないmeganii.icon
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言語は、私たちに環境のノリを強いるものであると同時に、逆にノリに対して「距離をとる」ためのものでもある
二つのノリがぶつかる狭間から、言語の世界へ
https://gyazo.com/4005fe5d845f4374a52820a182604a01
違和感のある言葉と出会う→言葉の用法=意味は変更可能なのだ(器官なき言語)→言語は現実から切り離して自由に操作できる、言語操作によって無数の可能性を描くことができる。
https://gyazo.com/b4579d6263520fe0359c2d4f8123ce8d
自分を言語的にバラす、そうして、多様な可能性が次々に構築されては、またバラされ、また構築されるというプロセスに入る。それが、勉強における自己破壊である。
https://gyazo.com/10eff7557f7a1f75be28a5d748f02927
言語の不透明性に気付き、言語をわざと操作する意識をもつようになることこそが、どんな勉強にも共通する、一般に重要なことだと思うのです。
プログラミングにおける「変数」とか「オブジェクト」とかの言葉も最初は文字と音としか認識できなかったけど、だんだんとそれらの概念がわかってくると別の文脈でも自分の言葉で言えるようになってくるmeganii.icon
自分の言葉で書く(話す)のは、一度自分の中でバラバラになった後でしか使いこなせない 深く勉強するとは、言語偏重の人になることである。
https://gyazo.com/33064e892d3eaf580368413f24b05a92
第2章 アイロニー、ユーモア、ナンセンス
https://gyazo.com/ec66d2e3cc6fa83ead5e078a84c756c1
言語を玩具的に使うためのテクニックは大きく2つある(p.61)
ツッコミとボケ(この本ではアイロニーとユーモアで説明する)
「コードの転覆」
そもそも不確定なコードをますます不確定にすることを、「コードの転覆」と呼ぶことにする。アイロニーとユーモアはそのための技術である。
https://gyazo.com/c2bce86381d1c720da01e48eee064ce3
自分のこれまでのあり方に対するコードの転覆を考えられるようにする
これまでの自分のノリに抵抗する別の自分を、言語的につくり出す
自分自身に対抗して、じぶんでわざと、もうひとりのキモい自分を言語的に作り出す
本書での例meganii.icon
ケーキバイキングでのアイロニー
「クリームが滑らかだね」「メロンがいい香り」など無難な感想を言い合っている中、「そっちのはおいしい?」という質問に対して、「・・・おいしいって答え以外、許されているの?」「おいしいってそもそもどういうことよ?」など「おいしい」と言えることの根拠に攻撃を向けている
芸能人の不倫報道についておしゃべりをしている中でのアイロニー
「イメージが台無しだわ」「子供もいるのに」など、不倫した芸能人を非難する方向(「不倫は悪だ」という価値観、環境のコード)の中、「でも、そもそも不倫って悪いことなの?」「不倫=悪とする根拠は?」という疑問を投げかける
ナンセンスという第三の極
https://gyazo.com/2a33c7d9f6f562d6ccfe7ba70950bf2e
ナンセンスがどういうことなのかを理解できると、かえって「普通」がなんなのかがわかるようになる
極端を知ることで、そこまでは行かない手前をよりよく知るということです。(p.75)
https://gyazo.com/7328b10dc3c4034e0fef1601cd85da45
アイロニーの過剰 → 「超コード化による脱コード化」 → 「言語なき現実のナンセンス」
拡張的ユーモアの過剰 → 「コード変換による脱コード化」 → 「意味飽和のナンセンス」
縮退的ユーモアの過剰 → 「コードの一部へとコード全体が縮減」 → 「形態のナンセンス」
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深い勉強、ラディカル・ラーニングの進展の流れ
(1)アイロニーから始め、その過剰化をせずにユーモアへ転回する
(2)ユーモアの過剰化を防ぐために、形態の享楽を利用する
(3)享楽の硬直化を防ぐために、アイロニカルにその分析をする
第3章 決断ではなく中断
現状把握から問題化へ、キーワード出しへ
https://gyazo.com/2fe59ce263f5245baec2cb74e1637053
勉強のきりのなさ
https://gyazo.com/a1f8e5863318d1ba1bc09aa1c08824f4
勉強の対象、範囲を有限化するための3つの方法
(1)環境のノリに合わせる:保守的な有限化
(2)アイロニー:決断による有限化
(3)ユーモア:比較の中断による有限化
p.141
https://gyazo.com/2c9ca3018d63d9198e1a60a11d1fbe6b
「決断」することはよいことだと思っていたが、中身が空っぽのまま、盲目的に、無根拠で結論を出すのは、たしかにヨクなさそう。あくまでも比較の中断、「仮固定」の状態であるというのが大事。meganii.icon
背景や根拠がまるっと抜け落ちて、それ自身が神格化する
信頼に値する他者は、粘り強く比較を続けている人である。p.148
https://gyazo.com/1add79f8018bfcf040f3230ac853636e
こだわりの変化
出来事から直接にこだわりが結実したのではない。こだわりとは、出来事が、ある環境のなかで言語を通じて意味づけされ、機能をもつようになった結果である。p.152
https://gyazo.com/b4021904aa47a162faa057d31d46b4a5
こだわりの環境依存的な面――こだわりの「殻」――を分析してバラし、発端にある無意味な出来事――こだわりの「核」――の方へと戻ろうとする、出来事と出会い直そうとする。 p.153
https://gyazo.com/6fc352bfb527f06ba08dc3c43e568f7b
「原体験」と呼ばれるものに近いのかなmeganii.icon 来るべきバカへ
https://gyazo.com/17fc38ab6b7e8294bac47c9ab6d4694a
https://gyazo.com/9657017da4794b1b6d685f1fa8b391bc
第4章 勉強を有限化する技術
meganii.iconここからはTipsなので読みやすい
専門分野に入門する
読書は完璧にはできない
rashita.icon非常に刺激的な本なのでぜひ。
積みましたmeganii.icon
教師は有限化の装置である
授業を聞くときのポイントは、多くを吸収しようとすることよりも、教師が「いかに工夫して少なく教えているか」に敏感になることです。情報の有限化がポイントなのです。 教師は、まずは「このくらいでいい」という勉強の有限化をしてくれる存在である。p.182
専門書と一般書
信頼性、学問の世界
情報の比較を続けている、つまり、勉強を続けている人たちは、何らかの「知的な相互信頼の空間」に属している。それは「研究」であり、最もシビアに言えば「学問」です。p.188
信頼性の――絶対的ではなく、相対的な――根拠とは、その著者・文献が、「知的な相互信頼の空間から信頼を受けているかどうか」である。p.188
読書の技術――テクスト内在的に読む
難しい本を読むのが難しいのは、無理に納得しようと思って読むからである。p.191
納得よりも先に、使われている言葉の種類や、論理的なつながりなどを把握してほしいということです。それは、テクストの骨組み、「構造」を分析することです。p.191
自分の実感に引きつけないで読む、というのは、あるテクストを「テクスト内在的」に読むことである。それは、テクストの構造=設定における概念の機能を捉えることである。p.192
そのためにはどうすればよいか?
言葉に対する自分の実感をゼロにして読むことなどできません。つまり、私たちは、自分が属する環境から完全に離れて言語を使うことはできない。そこで、自分のこれまでの言葉づかいをベースにするが、その効力を半分に抑えて、残り半分を、テクスト内在的な新たな意味に置き換える、という気持ちで取り組むのはどうでしょう。p.192
そういえば、自分がわかっていることに近づけて、引き付けて無理矢理理解しようとしてしまっていることが多いと感じたmeganii.icon
二項対立を把握する
言語のアマ・モードとプロ・モード
ノート術――勉強のタイムライン
書く技術――横断的に発想する
アウトライナーと有限性
中断によって、一応の勉強を成り立たせる。
どんな段階にあっても、「それなりに勉強した」のです。完璧はないのです。
しかし、中断の後に、また再開してほしい。中断と再開を繰り返してほしい。
そして、勉強を続けている者同士の相互信頼に参加してほしい。 p.214
三日坊主になりがちなので、肯定してくれる言葉がありがたいmeganii.icon Sei.icon 勉強の哲学は好きな本の1つです。このメモは力作・傑作ですね。凄い👍
ありがとうございます!!meganii.icon