『日露戦争史』
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戦争への道程
日本は清国(中国)の戦敗に驚き、列強化の必要を感じた
つまり、植民地を得る必要があると判断した
植民地候補は満州
ロシアは不凍港を欲し南下を目指し、満州を譲りたくなかった
日本はロシアに、満州の独立を認めさせたい(ロシアを撤退させたい)
ロシアは日本の軍事力をなめきっていた
開戦
1904/2/6日本がロシアとの外交断絶を宣言
2/8奇襲。海上攻撃をしかける
10日に宣戦布告。宣戦布告前の攻撃は当時は問題になっていなかったが、その後厳しくなる
日本は少ないリソースを集中させて戦争をすすめる
当初、海自と陸自はバラバラに行動していた
ロシアは防衛する土地が広かったため苦戦
内部のクロパトキンvsアレクセーエフも問題
日本は多大なる被害を受けながらも、一点集中が功を奏し成功を続ける
国内の士気は爆上がり
情報操作もうまくいった
ロシアは負けてはいなかったが、大きな戦果を上げられず
国内の士気は当初上がったが、その後下がる
戦局は一時ロシアに
ここまでは日本の成果というより、ロシアの内部問題による自滅が大きい
旅順要塞戦になると、日本の戦力不足から多大な被害を被った
クロパトキンは「今が攻める時」と士気をあげた
旅順攻略
クロパトキンから始めた攻撃に日本は絶え、それに怖気ついたクロパトキンは後退を始める
ロシアは自ら勝ちを逃した
旅順攻略に先立ち、203高地を日本はなんとか攻略
その後高地から砲撃し旅順港の船を撃破
旅順攻略
終戦
ロシアは国内からも反発を受けた
日本はアメリカに講和を結びつけるよう申し出た
同国から講和について反発があったものの、講和条約
これにより、ヨーロッパはじめ世界各国から日本の勝利に驚いた
以降の日英同盟、第一次世界大戦につながる