「本当」と「ほんとう」の違い
「本当」と「ほんとう」の違い
ここでいう「本当」とは、世の中で「本当」とされていることであり、「ほんとう」は「本当」のことに潜む真実です
「本当」の事のように聞こえている見えているものは、そのように伝えているだけであって「ほんとう」のことではないという
「真実」と「真実と認識されているもの」は違う、ということなのだろう
メディアでは真実ではないものを真実のように切り取って伝えている。そして、それを100%の人が信じれば、それは「ほんとう」として認識されていくのだろう
しかし、それは「本当」ではない。
これを物の捉え方に当てはめて考えてみる。先の例はある種の意図があるが、人は「本当」と「ほんとう」を混在させてしまうのではないか
人の脳は情報の再処理を何度も行うとそれがあたかも真実であるかのように誤認識してしまう。
メディアやSNSなどで何度も目にすると意図的でなくとも「ほんとう」と認識してしまうのではないか。 「嘘も100回言えば真実になる」
そしてそれこそ「本当」の誕生であるえむおー.icon
「ほんとう」と「本当」の見極め方
「上手く」話すことと「ほんとうのこと」を話すのは違います。これは言葉を考えるときにとても重要な問題です。
確かに、話が上手い人でも「ほんとう」のことを話しているとは限らない それは、私たちが「何を話すか」よりも「どう話すか」に重きを置いているからだ
これは真理ではあるが、悪いことではないと思う
結局、「どう話すか」である程度の話術ハードルを超えないと、相手の耳に聞き入れられることすらしてもらえない 話し手としては、「何を話すか」よりも「どう話すか」を意識するのは悪いことではないと思う
しかし、聞き手としてはどうか
聞き手としては、「どう話すか」よりも「何を話すか」を意識して聞きたい
その人の「ほんとう」のところを感じ取りたい
「ほんとう」のことを言う時、人は言葉に詰まったり、そもそも言葉にならなかったりする。
声が小さいからと言って嘘を話しているとは限らない。声が大きいからと言って本当のことを話しているとは限らない
むしろ「どうして彼は声が小さいのか」「どうして彼は大きな声で話をしているのか」「普段と比べてどんな違いがあるのか」などと考えてみると、違った捉え方ができるかもしれない。