コモン・ロー裁判所
人民訴訟裁判所(Court of Common Pleas)の様子(1450年頃)
https://scrapbox.io/files/60248c4f029682001c331254.jpg
人民訴訟裁判所は、12世紀末に成立した裁判所で、人民間の訴訟(common pleaといい、国王が当事者であるか利害関係を持つplea of the Crownと対立する概念)を管轄した。コモン・ロー上の民事事件のほぼすべてについて、王座裁判所(Court of King’s Bench)、財務府裁判所(Court of Exchequer)と並んで裁判権を行使するようになったが、物的財産(real property)に関する事件については最後まで専属的に管轄した。
最上段に、緋色のローブを着て頭巾(coif)を着けた7名の裁判官が座っている。(裁判官の数は通常は4名だが、1450年代に7名に増えた時期があったようである。)その下には裁判所事務官と書記がおり、訴訟記録(plea rolls)を拡げて見ている。
最下段で、紺のローブを着て頭巾を着けている5名が上級法廷弁護士(serjeant)である。彼らは、人民訴訟裁判所における弁論権を独占し、またその中から裁判官が選ばれる慣行ができたことから、強力なギルド(同業者の組合)を形成した。
中央の白いシャツを着てすねを出した状態なのが被告で、右隣に上級法廷弁護士、左隣には廷吏(bailiff)がついている。(当時は民事事件でも債務を弁済しない場合には収監されてしまうことがあった。)左から2人目で、上級弁護士に対して何かうち合わせるようなそぶりを見せているのが代訴人(attorney)であろうか。
田中英夫『英米法辞典』(東京大学出版会、1991年)、小山貞夫『英米法律語辞典』(研究社、2011年)およびLangbein, Lerner & Smith, History of the Common Law 151 (2009)を参照した
王座裁判所の様子(1450年ごろ)
https://scrapbox.io/files/60248ab1051d950022aa7caf.jpg
王座裁判所は、3つあるコモン・ロー裁判所の1つで、13世紀末に王会(Curia Regis)から分かれて成立した。もともとは国王の訴訟(pleas of the Crown)すなわち刑事事件や不法行為を管轄していたが、15世紀になると法的擬制を通じて契約など他の民事事件についても管轄権を有するようになった。
この絵は、著名な裁判官であるジョン・フォーテスキュー(1394頃~1480)が王座裁判所首席裁判官(最上段の中央)であったころ、これから刑事裁判がはじまろうとする様子が描かれている。下から2段目の中央で、背中を向け、(収監されていたため)髪が長く、右手を挙げて罪状認否を行っているのが被告人である。そのすぐ右には典獄がおり、左右には2人の上級法廷弁護士がいる。左端に並んでいるのが陪審員で、そのうち1人は廷吏の持つ紙を見ながら宣誓を行っているようである。机の周りには書記官が座って書類をひろげる一方で、一番下で足に鎖のついた未決の囚人たちが裁判の順番を待っている。
J. H. Baker, An Introduction to English Legal History (3d ed. 1990)の口絵の説明、および小山貞夫『英米法律語辞典』(研究社、2010年)を参照した。