Duncan v. Louisiana, 391 U.S. 145 (1968)
争点 合衆国憲法第6修正の陪審裁判を受ける権利は、第14修正のデュー・プロセス条項により州に対しても保障されるか。
事実
被告人ダンカンは、従弟の黒人少年2人が同じ高校に通う白人少年4人と言い争っているところに車で通りかかり、従弟2人を車に乗せて走り去る前に、白人少年のうち1人を肘で突いたとして、単純暴行罪で逮捕・起訴され、州監獄への60日の収監と150ドルの罰金の有罪判決を受けた。
ルイジアナ州憲法では、死刑または重労働が科される収監刑(懲役刑)の場合のみ陪審裁判を受ける権利が認められているが、単純暴行罪は軽罪(misdemeanor)とされ法定刑は2年以下の収監または300ドル以下の罰金であるので、それには該当しない。被告人は、陪審裁判を受ける権利が認められないのは合衆国憲法(第6修正および第14修正)に違反すると主張して、連邦最高裁判所に上訴した。
判旨 ホワイト裁判官による全員一致の法廷意見、原判決破棄差し戻し。
(1.第6修正の第14修正のデュー・プロセス条項への組み入れ)
第14修正は、州が「適正手続によらずに人の生命、自由または財産を奪う」権限を否定している。この幅広い文言の意味に関する相争う主張を解決するのに、当裁判所は前にもまして指針として権利章典に目を向けるようになってきた。合衆国憲法の最初の8箇条の修正により保障された権利の多くが、第14修正のデュー・プロセス条項により州の行為に対しても保障されると判示されてきている。・・・
第5修正および第6修正により連邦の刑事手続について拡張された権利が、第14修正により州の行為に対しても保障されるかどうかを決定するための基準は、当裁判所の判決においてさまざまな言い方で表現されてきた。この問題は、ある権利が、「我々の市民的・政治的制度の根幹にある自由と正義の基本原理」に含まれるかどうかであるかどうか、それが「我々の法制度にとって基本的なもの」であるかどうか、それが「公平な裁判に不可欠の基本的権利」であるかどうかというように問われてきたのである。本件の請求原因(訳注)=上訴人の主張は、第6修正により保障される陪審裁判を受ける権利はこれらの基準を充たすというものである。他方でルイジアナ州の立場は、合衆国憲法は犯罪の重大性または科されうる刑罰の重さにかかわらず、いかなる刑事事件についても州に陪審裁判を提供する義務を課してはいない、というものである。刑事事件における陪審裁判はアメリカの司法制度にとって基本的なものであると我々は考えるので、連邦裁判所で裁かれたならば第6修正の保障の範囲内に収まるようなすべての刑事事件について、第14修正は陪審裁判を受ける権利を保障していると判示する。本件上訴はそのような場合にあたると我々は考えるので、上訴人の陪審裁判の請求が拒絶された時点で、合衆国憲法の違反があったものと我々は判示する。
(2.陪審裁判の歴史とその重要性)
刑事事件における陪審裁判の歴史はしばしば語られてきているが、我々の合衆国憲法が起草されたとき、刑事陪審は何世紀もイングランドに存在し、マグナ・カルタに由来するとされる大いなる信頼を有していた。・・・18世紀にブラックストンは以下のように記している。
「それゆえに、我々の法は賢明にも、人民の自由と国王の大権との間に、(大陪審による)正式起訴と陪審裁判という強力な2段階の防護策を置いたのである。我々の政体のバランスを維持するために、法を執行する権限(訳注)ジョン・ロックによれば、議会が立法権、国王が執行権(行政権および司法権)を持つ(二権分立)。ここでは司法権をさすを君主に与えることが必要であったが、国王が臨時に任命する裁判官によって、抑制や監督なしに行使されるならば、この権限は政体自体にとって危険かつ破滅的になりうるものであった。国王はフランスやトルコのように、自らの意思にかない満足のいくような即時の勅令を発することにより政府にとって目障りな人物を収監し、移送し、国外追放するかもしれない。しかしイギリス法の起草者は、・・・すべての刑事訴追の真相が、無差別に選ばれすべての疑いを容れない(訳注)=合理的な疑いを超える(beyond reasonable doubt))被告人の同輩および隣人12人全員一致の投票により後で確認されるべきであるとしたのである。」
イギリスの入植者により陪審裁判はアメリカに持ち込まれ、強力な支持を得た。国王が陪審裁判に介入することは大いに反感を買い、1765年10月19日の最初の植民地代表会議(印紙税法会議)においては、「陪審裁判を受ける権利はすべての植民地におけるイギリス臣民の固有かつ不可侵の権利である。」という決議がなされたのである。
1774年10月14日の最初の大陸会議でも植民地は「イングランドのコモン・ローにより同輩裁判の特権を享受する」旨の宣言がなされた。
独立宣言においては、「その職位および給与の額について国王の意思にのみ依存する裁判官」を国王が任命したこと、「多くの事件で陪審裁判の利益を奪ったこと」、「事実無根の事件について裁くために、国外に身柄を移送したこと」についての反対が述べられている。合衆国憲法第3編2節では、「弾劾裁判の場合を除き、すべての犯罪の公判は、陪審によってなされなければならない。公判は、その犯罪が行われた州でなされなければならない。」と規定されている。
合衆国憲法に権利章典がないという反対論のために直ちに制定された権利章典の第6修正には、「すべての刑事訴追において、被告人は、犯罪の行われた州および地区の公平な陪審によって行われる迅速かつ公開の裁判を受ける権利を有する」と規定されている。
独立13州およびその後に加入した州のすべての州憲法において、刑事事件における陪審裁判が保障されている。当裁判所も陪審裁判の重要性にたびたび言及しており、例えば「イングランドからこの国に移り住んだ人々はこの偉大な特権を彼らの生得的権利および遺産として、恣意的な権力のあらゆるやり方に対抗する防護策をはりめぐらせる尊敬すべきコモン・ローの一部として、持ち込んだのである。」と述べられている。
重大な刑事事件(serious criminal cases)における陪審裁判を受ける権利は基本的権利であるという今日の我々の判示に反する従来の先例は変更される。
刑事被告人に与えられた、陪審裁判を受ける権利は、政府による抑圧を防ぐためのものである。合衆国憲法および州憲法の起草者たちは、歴史と経験から、敵を一掃するための根拠のない刑事訴追、および、より上位の権威の声に反応しすぎる裁判官から身を守るためにそれが必要であることを分かっていたのである。起草者たちは、独立した司法部を設置した上に、恣意的な行為に対するさらなる保障にこだわった。被告人に彼の同輩からなる陪審により裁かれる権利を認めることは、彼に、腐敗した、または過度に熱心な検察官および従順な、偏見ある、または極端な裁判官に対する計り知れない防壁を与えることになった。もし被告人が、1人の裁判官のより訓練されて入るが同情的ではない対応よりも、陪審の常識に基づく判断の方をよしとするならば、彼にはそれが与えられる。それ以上に、連邦および諸州の憲法の陪審裁判の規定は、市民の生命や自由を左右する権限を1人または複数の裁判官に委ねることを躊躇するという根本的な判断を反映しているのだ。抑制のない権力への恐れ・・・恣意的な法執行に対する防御として重大な刑事事件において陪審裁判を受ける権利に我が国が深く肩入れしていることは、第14修正のデュー・プロセス条項による保護に値し、それゆえ、州によって尊重されるべきものである。
もちろん、陪審裁判には弱点や誤用の危険性もあり、訓練されていない素人に民事・刑事の手続で事実認定を行わせることが賢明であるかどうかについては長く議論されてきている。特に、刑事陪審については、陪審は適切に証拠を判断することができず、事実問題を判断することができない、陪審は予測できず、行き当たりばったりであり、さいころの目とたいして変わらないとの批判もなされている。しかし、刑事事件における陪審の最新かつ最も包括的な研究によれば、陪審はほとんどの事件で証拠を理解し妥当な結論に達しており、裁判官と異なると思われる結論に達した場合でも、それは陪審が創り出され、現在用いられている目的のためであると結論づけられている。
(3.州側の反論について)
ルイジアナ州は、第14修正で陪審裁判を保障すると、陪審なしのすべての公判の無瑕疵性に疑いが投げかけられると主張するが、我々は連邦および州で普通に行われている陪審裁判の放棄や軽微な犯罪について陪審裁判なしに訴追するという実務に憲法上の疑義があるとは考えていない。
ルイジアナ州は、たとえ重大な刑事事件について陪審裁判を認めなければならないとしても、本件被告人は単純暴行罪(という州法上の軽罪)で裁かれ、60日の収監刑に処せられたにすぎないので、有罪判決は有効かつ合憲であると主張する。
しかし、問題は、2年以下の収監および罰金という法定刑を持つ犯罪が、州が陪審なしに裁くことのできるものであるかどうかである。合衆国憲法の起草者は、確立されたコモン・ロー上の実務を変更する意図はなかったこと、連邦法では軽微な罪が収監6ヶ月および罰金500ドル以下と定義されていることなどからすると、(本件で軽微な罪と重大な罪との間にはっきりとした線を引くことは必要でないものの、)2年の収監刑を科されうる犯罪は、軽微な罪ではなく重大な罪である。結論として、被告人には陪審裁判を受ける権利があり、それを否定したのは誤りである。
(フォータス裁判官の補足意見がある。)