アメリカ法の基礎と概説:質問とコメント
授業の内容について、質問やコメントがありましたら、自由に書き込んでください(ただし、前の人が書いたものは消さないでください)。私の答えの下に、追加で書き込んでもらっても構いません。
2022/09/20の授業について
Q1:ルイジアナ州の人と他の州の人が民事裁判になったら、どちらの法律が使われますか?
Y. Nakamura.icon :アメリカの州は主権国家であり、それぞれ異なる法制度、裁判所を持っています。従って、どちらの州の法が適用されるかは国際私法の問題になります。
Q2:本日の講義において、イギリスでは刑法典がなく刑法も判例法として形成されているというお話をうかがい、罪刑法定主義との関係でそれがどのように正当化されているのか(イギリスでは罪刑法定主義という一つの考え方をどのように理解しているのか)とても気になりました。
Y. Nakamura.icon :英米の刑法の教科書に「罪刑法定主義(Principle of Legality / Nullum crimen sine lege)」と書かれていないことは新鮮な驚きです。『アメリカ刑法』(ヨシュア・ドレスラー著、星周一郎訳)という本もあるので、「コモン・ロー上の犯罪(common law crimes)」というところを読んでみるとよいと思います。
Q2の2:私は、今回の授業でも触れられた英米法における罪刑法定主義について、疑問を持ちました。それは、罪刑法定主義には、派生原理がいくつかありますが、それらについては、どのように機能しているのかというものです。遡及処罰については、判例法を採用していようと通用するように思えますが、実際にはどのように機能しているのかがとても気になります。
Q3:日本は法の支配とは言いつつ、上級国民の方がいらっしゃったり、法律違反でなければ何をしてもよいはずの中で、倫理的に問題があるというような批判が多いように感じ、日本は法のさらに上に慣習法のようなものが強くあるように感じます。これは私だけの感覚なのかわからないため、先生はどのようにお感じになっているかなどお聞かせ願いたいです。
Y. Nakamura.icon :日本のことを他の国と比較して考えてみると、3種類の社会規範(道徳・宗教・法)のうち、道徳がとても強い国ではないかと思います。それがよい方に出た例が、交通マナー(モンゴルと比べると明らかです!)やワールドカップの後のゴミ拾い、悪い例が過労死や過労自殺、「生活保護バッシング」といったことになっているのでしょう。
Q4:そもそも大陸法はユスティニアヌス法を元としていたので、古代ローマが淵源だと思っていました。ですが、近代と聞いて最近にできたのだと感じました。
Y. Nakamura.icon :大陸法の淵源は確かに古代ローマにありますが、ローマ帝国は滅亡してしまい、ローマ法を近代に入ってからドイツの学者などが研究して、議会制定法の形で復活させたということができると思います。
Q5:帰納法についてですが、私が調べた限り帰納法というのは、共通項から1つの答えを導くという「複数」から1つという推論法だと思っていました。判例法は帰納法的な思考と言ってましたが、過去の似た事件「1つ」から本件ではどうなるか、ということなので、厳密に言えば帰納法的ではないような気がしました。ですので、「複数」の判例から経験則的に1つの答えを導くと言える場合のみ帰納法と言うのではないか、と思いました。
Y. Nakamura.icon :その通り、共通項を整理してルールを導くのが帰納法です。図示すると以下の通りになります。
(原告の請求が認められた事例)(認められなかった事例)
× × × × × × × × × ×
↑ 「主要な事実」が同じだといえる先例はどれか?
(新しい事件):×
Y. Nakamura.icon :「同じような事件を同じように扱い、違う事件を違うように扱う(Similar cases should be treated similarly, different cases should be treated differently.)」ということを繰り返していくと、判例が集積されていきます。ここで、「原告の請求が認められた事例」にみられる共通点や「認められなかった事例」との相違点を分析することによって、抽象的なルールが生まれてきます。
Q6:なぜ日本は立憲君主制でないのにも関わらず国会法や内閣法についてはアメリカ法の影響を受けているのか疑問に思いました。
Q7:英米法は民法典がないというお話をお聞きした上で、その点についてどのような法整備がされているのかさらに詳しく知りたいです。
Q8:授業内で特に関心を抱いたことは、人の支配・法治国家・法の支配についてです。 ・・・ ここで、法の支配というのは、今の日本もとっているもので、また立憲主義的な国家における支配の特徴であると考えますが、この法の支配にも何か問題点等があるのか疑問に思いました、教科書にも法の支配を上回るものは記載されていないため、これが一番良い支配の仕方だと捉えていいのでしょうか?それとも他にも現代社会の問題に対応するため、新しい支配の形が生まれているのか等疑問に思いました。
Y. Nakamura.icon :これはみなさんに是非考えてもらいたい問題だと思います。「法の支配」は国家主権ということを前提にしているので、それを超えるような問題(例えば、・・・)にはうまく対処することができていないように見えます。
2022/09/27の授業について
Q9: 軍隊を持つ権利について1点疑問を感じました 。 先生は講義の中で「軍隊を持つ権利や課税権といった重要な権利のみ連邦政府に認めて重要でない権利を州政府に認める」と仰ってました。でも8条のときに「アメリカはよく戦争をする。その際に州政府の下にある軍隊が行かなくて良いわけではない」というように 州にも軍隊を持つ権利がある、 ということを前提とした言い方をされてました。軍隊を持つ権利は果たして連邦政府だけに認められているのでしょうか。それとも州にもあるのでしょうか。
Y. Nakamura.icon : アメリカの連邦制(Federal System)は、州(State)を基盤として成り立っています。「重要な権利のみ連邦政府に認めて重要でない権利を州政府に認める」と言うと、まず連邦政府の権限を決めて、残りの権限を州政府に渡しているようなニュアンスですが、そうではありません。まず、州政府は民事法、刑事法など人々の生活を規制する包括的な権限(police power)を持ちます。しかし、連邦政府ができたことにより、全米で対処することが必要な「重要な権限」については連邦政府が持つことになった、そしてその権限は合衆国憲法に書いてあるものに限られる(「制限された政府 limited government」)、ということです。軍隊を持つ権限については、合衆国憲法ができる前は、それぞれの州が持っていました。合衆国憲法ができた後にそれがどうなるかということが問題になります。合衆国憲法第1編8節12項から14項で連邦の軍隊を作ることを認めています。しかし、第10節に州が軍隊を保持することを禁止する規定はなく、逆に第8節16項や第2編2節1項は、州が軍隊を持ち続けることを前提としており(州の軍隊を「民兵 Militia」と呼んでいます)、さらに第2修正も、各州が軍隊を持ち続けられることを保障したと考えられます。第2修正について、全米ライフル協会や現在の最高裁の多数意見は、「個人が武器を持つことを保障している」と解していますが、条文の文言や歴史的経緯を精査すると、州が集団的に武装することを認めたものと解するのがより説得的です。
Q10: 日本の裁判官制度について学んだ際に、最初から裁判官となるのではなく、検事や弁護士を選んだ放送が、その後裁判官にシフトしたりあるいは兼任したりする非常勤裁判官もいるということを知りました。これは、様々な分野から裁判官になることで、より幅広い視野からの司法判断が期待でき、しいては裁判の質の向上にも寄与することがねらいであったと思います。そうすると、実際には、英米法と大陸法の裁判官の仕組みとしてはあまり違いがないように感じたのですが、この理解は正しいでしょうか。また、そうすると、長年弁護士等として働いた人しか裁判官になれないというよりも、日本のように、さまざまな人が裁判官となるのとでは、幅広い視野からの司法判断と裁判の質の向上の面では、日本の方が優れているようにも感じてきました。この点、先生はどちらの方が優れている等、何かお考えを聞きたいと思いました。
Y. Nakamura.icon : 2020年のデータで見ると、日本の裁判官の数が2,798人であるのに対し、弁護士から裁判官となった人の数はたったの65人とのことです。これは全体の2.3%であり、少なすぎるのではないでしょうか。毎年、数名の弁護士が裁判官になっているようですが、逆に裁判官をやめて弁護士になっている人はもっと多いのではないかと推測されます。
平成の司法改革のときに、日本も本当の意味での「法曹一元」を実現すべきという声があったようですが、弁護士にとっての「第2のキャリア」として魅力的に映るような、裁判官の待遇の改善には残念ながら結びつきませんでした。
日本のような「官僚」裁判官と、英米の「弁護士の大先輩」裁判官と、どちらが幅広い視野から判断ができるか、答えは明らかではないでしょうか?
Q11: アメリカの司法試験は州ごとに実施されていると思うのですが、裁判官や検察官に任命されるとその州における裁判官、検察官になるということであって、他の州の裁判官や検察官にはなれないのでしょうか。アメリカの憲法の仕組みに直接かかわる部分ではないのですが、気になったため質問させていただきました。
Y. Nakamura.icon : それぞれの州は主権国家ですので、ある州の裁判官や検察官になった場合には、別の州(=国)の裁判官や検察官になることはできません。また、連邦の裁判官や検察官の資格も別です(州と連邦の「利益相反」ということもありうるため、兼任は認められていません)。
Q12: 日本では判例の意見にある程度拘束され判例の判断に伴って法律・条令が改正されることもしばしばあるため、判例の拘束力は強いように感じていますが、アメリカでは判例の考え方がそのまま法になるため、判例の拘束力は日本と比べて強いのか、それとも弱いのかという点です。アメリカは判例法主義であるため判例の拘束力が強いように感じますが、具体的に判例の拘束力がどこまで及んでいるのかという点が特に気になりました。先生の意見をお聞きできたら嬉しいです。
Y. Nakamura.icon : これは興味深い質問です。日本では、判例には法的拘束力はないが、最高裁への上告理由になる(民事訴訟法318条1項、刑事訴訟法405条2号)という「事実上の拘束力」説が通説です。しかし、民法177条における「背信的悪意者排除論」や譲渡担保、共謀的共同正犯など、判例法であるとしか説明できない法的概念がかなりたくさんあることに、みなさんはもう気がついていると思います。
私は、日本の最高裁判例の扱いは、英米よりも強力ではないかと疑っています。英米の判例はまず、その事件の事実関係に対する判断ですが、日本では、むしろ「抽象的な理由づけ」こそが判例であると理解されているように思われるからです。そのよい現れが判例を条文のように整理した「判例つき六法」でしょう。
Q13: 英米では裁判官になるための条件として、弁護士としての経験・知識が優れていなければならないというシステムがあるとお話しされていましたが、原則として司法試験での上位合格者が裁判官になることができるという日本のシステムと比較して、中村先生は英米と日本のどちらの方が優れていると考えるのか教えていただきたいです。
Y. Nakamura.icon : 1回の試験の出来・不出来よりも2~3年間の「教育のプロセス」を重視するというのがロースクール導入の趣旨でしたね。英米の場合には、弁護士になってからさらに何年もの経験を積まなければ、裁判官になることができません。さて、あなたは裁判の当事者となったときに、日本の裁判官と英米の裁判官のどちらかを選べるとしたら、どちらの裁判官に判断をしてほしいですか?
Q14: アメリカ憲法は世界で最も古く、これまでに何度も改正されてきたと文献で呼んだのですが、アメリカは日本と違って国民審査によらず、「連邦議会の両院の3分の2の賛成による修正の発議」と「3分の2の州議会が要求し、連邦議会が招集する憲法会議による提案」という2つの方法によって憲法が改正(修正)されるとされていますが、①なぜアメリカの憲法改正は国民審査によらないのか、②日本国憲法に比べてアメリカ憲法の改正は国民審査が不要な点で容易なのではないかと感じたのですが、①と②について先生のご意見をお伺いしたいです。
Y. Nakamura.icon : アメリカ合衆国憲法が作られた当時、①連邦制の必要性と、②直接民主制への懐疑という2つの理由により、国民審査ではなく、「4分の3以上の州議会(または憲法会議)での承認」が要件とされたと思います。連邦制ということについては、連邦議会上院に見られるように、どのように各州の政治的影響力を維持するかということが大きな問題となっていました。他方で、当時大きな影響力を持っていたモンテスキューの考えによれば、直接民主制はとても小さな国でしか実現できないし、欠点も多いと言われており、代表民主制の方が優れていると考えていました(『ザ・フェデラリスト(The Federalist)』という本がありますので、是非読んでみてください)。そこで、それぞれの人民に直接投票させるのではなく、州議会に集約させるという方法を選んだのだと思います。
憲法の改正のしやすさですが、「州議会の4分の3」はかなり厳しい条件であって、この条件をクリアするためにはどの州でもその有権者の過半数がその改正に賛成していなければ実現できないのではないかと思われます。従って日本国憲法と比較した場合に改正が簡単だとは思いません(第2次世界大戦後に成立した5か条の改正をみても、どうしても必要がある場合に改正が行われていることが分かります。)。
Q15: 確かにアメリカは、もともと独立した州によってできた連合体であるため、他国からの侵略を防ぐなどの重要な部分については連邦政府に頼るという共和制を保てているのはとても感心できる点であると思いました。しかし、特にアメリカは多種多様な民族がいるため今後、各州の権力が強くなることで国の分断も十分に考えられると思います。このような事態が起こらないほど、連邦政府の権力は最終的には強いものなのでしょうか。この点について中村先生の見解をお聞きしたいです。
Y. Nakamura.icon : その通り、連邦制は、連邦と州との力のバランスをとることで成り立っています。これまでの歴史を概観すると、連邦の権限がどんどん大きくなってきたというのが事実です。しかし、過去には南北戦争のように連邦が2分する危機もありましたし、最近、「レッド・ステイト(= 共和党支持者が多数を占める州)」、「ブルー・ステイト(= 民主党支持者が多数を占める州)」と言われるように、人々の政治的な分断はとても大きくなり、また、妊娠中絶の権利を否定した合衆国最高裁の判例のように、「連邦で決めてしまうのではなく、それぞれの州に任せるべきだ」という考え(「州権論」といいます)も強く主張されるようになってきているところです。多様な民族がいたとしても、法や政治の基本原則で一致できるならば、お互いの違いを認め合って共存できるというのがアメリカ合衆国の基本理念(アメリカ合衆国の貨幣には"E Pluribus Unum"という言葉が刻まれています)のはずです。アメリカには独立当初からアングロサクソン系の白人だけでなく、黒人や先住民も住んでいました。今後一番心配されるのは、連邦議会議事堂襲撃事件に見られるような政治的分断と先鋭化だと思います。
Q16: 法曹一元制度について、相当期間経過すれば弁護士の中から、裁判官に選任されると思うのですが、仮に相当期間内 に弁護士にやり甲斐を感じた場合、裁判官になるを拒否すること(拒否する権利)は可能なのでしょうか。また、アメリカなどは、それぞれの州が主権国家であることからすれば、仮に、上記ような権利が存在し保障されているのであれば、州によって保障されている場所と保障されていない場所があるのでしょうか。
Y. Nakamura.icon : アメリカで裁判官になるには、大統領や州知事に任命される場合と、選挙に立候補して選ばれる場合があります。任命された場合にも、もちろん辞退することは本人の自由です。
Q17:日本の法曹三者は裁判官、検察官、弁護士の順で偉いというような風潮があるような気がするのですが、英米では法曹間の上下関係のようなものはあるのでしょうか。弁護士として相当期間経験を積むとなると現状維持を考え、裁判官になろうと思う人が少なくなり、裁判官の人数が増えないように思いました。
Y. Nakamura.icon : 英米では、裁判官は法律家の中の長老格、大先輩ですから、とても尊敬されています。アメリカでもそうですが、イギリスはさらにその傾向が強く、政治的な改革のための調査や報告が必要な場合には、元裁判官をリーダーにした委員会が組織されることがよくあります。
英米では、裁判官になるのは法律家としての「第2のキャリア」と考えられていると思います。「法律事務所のボス」として現状維持を考える人が裁判官になりたくないという傾向はどの国にもあるでしょう。
日本の「官」(=裁判官・検察官)と「民」(=弁護士)との間にみられる「差別」意識に似たものとしては、イギリスのバリスタとソリシタの間に存在するものが興味深いです。詳しくはこちらの記事(バリスタとソリシタの関係)を読んでみてください。 Q18:今年はモンゴルと日本の外交関係樹立50周年とお聞きしました。中国も9月に50周年を迎えたため、日中関係が悪い中でも多くの友好行事が開催されました。モンゴルでは、そのような行事などは開催されているのでしょうか。
一例を挙げると、8月22日に日本とモンゴルの踊りのフェスティバルが国会前の広場で開催されました(私も行ってきました)。こちらに動画がありますので、興味があればご覧ください。→https://www.youtube.com/watch?v=E_G3ywMWQT4
Q19: 疑問に思ったことは、授業の最後の方にお話されていた、アメリカでは大統領に人事権があることです。人事権まで大統領にあると、自身の人事を考えて大統領に対抗することをやめ、結果として大統領の権限が大きくなり、権力のバランスが崩れるように感じました。
そのため、なぜアメリカは大統領に人事権まで認めているのか疑問に思いました。
Y. Nakamura.icon : 「任期付きの国王」とも言われる大統領の権限は、日本の首相と比べて大きいのは確かですが、公務員(行政官)についてどのような制度をとるか、および政党の力関係によって、権力のバランスの取り方が違ってくるように思います。日本や大陸法の国々では官僚制(キャリア・システム)を取り、「永田町(国会)のメンバーが替わっても、霞が関(官庁)は替わらない」というのが原則です。日本のように自民党が「万年与党」(=「一強多弱」)の状態で、首相(官邸)が選挙候補者の公認権を濫用するだけでなく、さらに官僚の人事にまで過剰に介入することになると、政府や自民党をチェックする者がいなくなってしまいます。しかし、アメリカでは二大政党制を前提に、政権(大統領)が替われば、その手足となる行政官も替わる(スポイル・システム、「猟官制」)というしくみが取られているのではないでしょうか。オバマ政権からトランプ政権に替わったときに首になったとしても、またバイデン政権になったときに戻ってこられるのなら、自分の信念に従って仕事をすることができるでしょう。
Q20: 授業の予習の際に、イギリスでは、法曹一元とはいっても、弁護士そのものはバリスタ(法廷弁護士)とソリシタ(事務弁護士)という二元的構造をとっているのに対して、アメリカではアメリカ型民主主義の影響もあってソリシタの線において統一化され、文字通り法曹一元の制度を定着させるに至っているということを学んでいたが、弁護士そのものをバリスタ(法廷弁護士)とソリシタ(事務弁護士)という二元的構造をとることと、ソリシタの線において統一化することのそれぞれのメリット・デメリットがあるのかが気になった。
Y. Nakamura.icon : 日本は、弁護士の他にも法的サービスを提供する職業として、司法書士や行政書士等がありますが、弁護士という仕事自体が2つの職業にわかれているのはイギリス以外にはないと思います。イギリスにおいては、現代的な視点で見たメリット・デメリットというよりも、中世からのギルドの歴史の中で、法廷に立って弁論を行う「花形」と書類の作成や顧客との相談を行う「裏方」の仕事が別々の職業に分化していったこと、そして伝統の重みにより生じる「プライド」によって2つの職業が現在も維持されているのだと思います。Q17で紹介した記事(バリスタとソリシタの関係)を読んでみてください。 Q21: 私は、今回の授業で、イギリスの個々の国家と連合国家の役割は、どのようになっているのか疑問に感じました。
というのも、アメリカは、イギリスのように連合国家が上位にある形態を避けようとした結果、州政府と連合国家が対等な関係に立ったと聞きました。その際に、イギリスを構成するそれぞれの国の役割としては、何が残されているのか、アメリカのように個々の国のみが行える権限というようなものはあるのか疑問に思いました。
Y. Nakamura.icon : 連邦政府が強くなりすぎると、州政府と連邦政府との関係が、独立前の植民地とイギリス本国政府のようになってしまい、州政府が連邦政府から圧迫されるおそれがあるということが懸念されていました。そもそもイギリスは連邦制国家ではないので、「イギリスのように連合国家が上位にある形態を避けようとした結果」ではありません。
Q22: アメリカ合衆国憲法の中にも日本と同様適正手続や法の下の平等が規定されていました。この点について、適正手続の解釈や法の下の平等の解釈は日本国憲法31条や14条1項と全く同じ意味なのでしょうか。解釈の違いは多少なりともあるのでしょうか。個人的に、日本国憲法が戦争前後でアメリカからの影響を強く受けているので、法解釈というレベルでも合衆国憲法と全く同じ解釈だと思ったので疑問に思いました。
Y. Nakamura.icon : 同じような条文があったとしても、その条文を解釈するのは個々の裁判所・裁判官ですから、解釈が異なってくるのは当然のことです。法の下の平等(14条1項)について述べると、合憲性の審査基準について、アメリカでは「疑わしい区分」(=人種)または「基本的権利」(=選挙権など)について異なる取り扱いをした場合には、厳格な基準が適用されるというのが確立した判例法です。しかし、日本でこの点について判例・通説と呼ばれるものは存在していません。松井茂記先生は、アメリカの影響を受けた学説を唱えていますが、芦部信喜先生は、「二重の基準論」を拡張し、精神的自由権の場合には厳格な審査基準、経済的自由権の場合には緩やかな審査基準でよいという説です。
Q23: 合衆国憲法の改正について1点疑問に思いました。権利章典を見ていると、例えば「第16修正所得税 1909年7月12日発議、1913年2月3日成立」とありました。ということは、発議から成立まで期間の制限は厳密に設けられていないのではないか、と思いました。少なくとも第16修正では約4年の間があるので、州政府がYesかNoはっきりするまでなら4年でも何年でも期間に関しては猶予されているのでは、と思いました。
Y. Nakamura.icon : 「憲法改正案が発議されてから、いつまでに承認されなければならないか」という質問ですね。この点については、1992年に成立した第27修正という条文がとても興味深いと思います(何と発議されてから〇〇〇年以上経っています!)。改正案自体に、承認の期限が書かれている場合はよいのですが(例、Equal Rights Amendment)、それがない場合には、「合理的な期間内に承認をすべきだが、合理的な期間内に承認がなされたかどうかは連邦議会の決定すべき政治的問題であり、司法審査の対象とならない」と述べた1939年の判例があります。詳しくはこちらを読んでみてください。Evan Andrews, The Strange Saga of the 27th Amendment (2017),