ある冬の日のvmPFC損傷患者
そう昔のことではないが、前頭前・腹内側部に傷をもつわれわれの患者の一人が、ある寒い冬の日に研究所に来ていた。その思者が来る前にみぞれが降り、道路はつるつるで、自動車の運転は危険だった。私はその状況に不安を抱いていたから、研究所まで運転してきたその患者に、さぞ運転はむずかしかったのではないかとたずねた。彼の答えはすばやく、そして醒めていたー上々だった、いつもと変わらなかった、ただし、つるつるの道路に合った運転方法にいくぶん注意を向けねばならなかったが、と。
それから患者はその運転方法のいくつかをざっと説明し、また、そういった適切かつ合理的な運転方法にしたがわなかったために横滑りする車やトラックがいた、とも言った。さらに患者は、もっと具体的なことも目撃していた。それは彼の前を走っていた女性のこと。女性の車は道路の凍結部に突っ込み、横滑りをはじめた。女性は、車の後部がスピンするのを徐々に回避すべきところを、パニックになって急ブレーキを踏んだので、側溝に突っ込んだ。ところがその直後、この恐ろしい情景に少しも動揺することなく患者はその凍結部を通過し、冷静に車を前方へ進めた。そしてそのときと同じ冷静さで、患者は私に事の一部始終を語った。
明らかにこの例では、彼が正常なソマティック・マーカーのメカニズムをもたないことがとてつもなく有利に作用した。われわれだったら、多くがパニックで急ブレーキを踏んでいたにちがいない。このことは、自動化されたソマティック・マーカーのメカニズムがわれわれの行動に害を及ぼすこともあるし、場合によってはそれがないことが有利に働くこともある、ということをよく示している。
さて、その翌日のことである。私はその患者とつぎの来所日をいつにするかを相談していた。私は二つの日を候補にあげた。どちらも翌月で、それぞれは数日離れていた。患者は手帳を取り出し、カレンダーを調べはじめた。そして何人かの研究者が目撃していたことだが、そのあとの行動が異常だった。ほとんど三〇分近く、患者はその二日について、都合がいいとか悪いとか、あれこれ理由を並べ立てた。先約があるとか、べつの約束が間近にあるとか、天気がどうなりそうだとか、それこそだれでも考えつきそうなことをすべて並べ立てた。凍結部分を冷静に運転し、女性の車の話を平静に披露した患者は、いま、そのときと同じぐらい平静に、退屈な費用便益分析、果てしない話、実りのないオプションと帰結に関する比較を、われわれに話していた。 テーブルも叩かず、やめろとも言わず、こういった話に耳を傾けるのは大変な忍耐がいった。しかし、ついにわれわれは患者に、二番目の日に来たらどうか、と静かに言った。すると患者の反応もまた同じように静かで、しかもすばやかった。彼はひとこと、こう言った。「それでいいですよ」
手帳をポケットに戻すと、患者は去っていった。
知的能力は正常なのに、
x 思い浮かんだ選択肢が基本的にはすぐに選択されるが、成熟した脳では悪い選択肢は抑制される
o 思い浮かんだ選択肢にピンとくる何かがない限り、いくら選択肢があっても何も選択されない ピンとこないときは、あとから理由づけして納得しようとする?