第3章 アルキメデスの原理
他人の心の中の世界をどう感じるか
「水の中にしずめられた体は、体が押しのけた水の重さと同じ上向きの力を受ける」
上のアルキメデスの原理それ自体は
数学の定理
触ると冷たい真実
シラキューズの王ヒエロ二世がアルキメデスに以下を命令
王冠が純金かもしくは合金が混じっているかどうかの調査
アルキメデスは風呂に向かっているときにアイディアが浮かんだ
以下の2つを比較する
王冠を水に沈めてそれが押しのけた(溢れ出たぶんの)水の量
王冠と同じ重さの純金を水に沈めてそれが押しのけた水の量
もし両者に違いがあれば、王冠と比較用のおもり(純金製)との密度の差を表す
違いがあれば、王冠は少なくともまったくの純金ではない、といえる
これは、その原理とアルキメデスの「エウレカ!(わかった!)」という発見の声とで有名
エウレカ!と裸のままで飛び出したという逸話
ここでこの話に注目したのは、王冠や黄金やアルキメデスの賢さに触れたいのではなく、彼の熱く純粋な情熱について触れたいから
プルタークの話:
アルキメデスの奴隷たちは、休みのときでも仕事に駆り出され、彼の背中を流したりからだに油を塗らせられた。そんなときでもアルキメデスは、問題を考えるための図から目を話そうとしなかった。奴隷たちがオイルと香料をアルキメデスのからだに塗っているときも、彼は自分の体に図を書いていたところ、突然彼は書いていた図を持ちながらなにかに引き寄せられたようになり、恍惚として我を忘れた状態になりました。
彼のエレガントな定理と同じように、彼の感情を動かした大きな力もまた、それから何世紀もたった現在の我々を揺り動かすものです。
彼の(良くも悪くも)有名な定理は、その定理自体の知的な水準ではなく、彼がそれを発見したときの興奮によって有名なものとなっています。
この定理の背後にある本当の定理:
「世のほとんどの人は、その定理の数学的な意味・深遠さを理解することはできないが、彼があふれるばかりの喜びを体験したということは理解できる」
このような喜びの爆発は
場外ホームラン
太平洋に沈む夕日の色
生まれたばかりの赤ちゃんの目
を見たときに生まれるような種類のこと
2千年経っても1回の心臓の鼓動がそれを伝えてくれる
アルキメデスの感激が私達に親しく感じられるのはなぜか
それが残した物理学は退屈なものだとしても
この疑問に答えるために以下を知る必要がある
感情とは何か?
それはどのように発生するのか?
どこからくるのか?
何のためにあるのか?
感情の表面的な目的は単純
活気づいてウキウキさせること
何かや誰かに憧れること
喪失を悲しむこと
尊敬したり忠節を誓うこと
怒りや復讐に燃えること
愛すること
それらが、私達の生活に活気と意味を与える、白い漆喰(訳注:塗装面)になる
しかし感情はそれ以上のもの
それは私達がする全ての行動の根っこ
それが表す見た目以上に複雜な、全ての行動の元になる消せない痕跡・始祖
感情は
魅惑、情熱、献身、という形をとり、特定の人や状況に私達を惹きつけてやまないものである一方、
恐れ、恥、罪悪感、嫌悪という形をとり、他人をはねつけ撃退するものでもある 最も小さな大脳新皮質のかけらでも、そのパルス信号は感情の(始まりの)核を持つ。
正義というベニヤ板の下には復讐心と何かへの畏敬の念が横たわっている
これら全てのケースで、感情は人間を駆動するものであり、常についてまわる先導役なのだ
私達の社会は感情の重要性を甘く見ている
社会は大脳新皮質と共同戦線を張っているので、文化全体が
分析を直感よりも上に置き、
論理を感覚よりも上においている
物事の認識は富に結びつく
水道からインターネットまで、それが生活を楽にしてきたものだから
しかし現代のアメリカは、感情を認知の次に耕す(訳注:plow)べきものとみなしている
その認知とは、
その論理から恩恵を受けることができるが
コストの掛かる作業であり、幸福を妨げ、自然に対する理解や生きることの重要性について人々を誤った方向に導くことがある
このような着実に進行している不均衡は、人が思っている以上に害を与えている
科学は感情の奥深くにある目的を解明しつつある
多様な知覚と助けになる動機づけの向こう側にある目的
長く使われてきた(訳注:そして古びてきている)感情の説明:
二人の人間がお互いに考えを伝え合うことを可能にする
感情は愛を伝えるメッセンジャーである
光輝く暖かな信号を運ぶ自動車
人間にとって深く感じ取ることとは生きることと同義
この章ではそれがなぜかを探求する
ほ乳類の隠された社会
進化の研究に人生を捧げた最初の科学者はチャールズ・ダーウィン 彼は「種の起源」を書いた後、進化と自然選択に関する以下の3つの本を書いた:
動物と植物の家畜化・栽培種化による多様性の獲得
人類の血統とセックスによる自然選択
人と動物の感情表現
最後の一冊は1872年に発行。
タイトルから分かるように、ダーウィンは感情を、適応による組織進化の結果によるものとみなしていた。
それは以下のような多くの適応と同様のものとみなした。
鉤爪
足
(昆虫の)針やトゲ
うろこ
翼
自然選択は、感情を選択した
その理由は、それがその他の全ての適応と同様、生存確率を高めるから
生存に有利な組織的特徴を持つ生物は遺伝子を次の世代に渡せる確率が高い そのような特徴を持たない生物は古生物学の教科書の中に消えてしまう
ダーウィンの考え:
感情はそれを持つ人が生まれつき備えているので、一生にわたり永続するという身体的な特性を持たざるを得ない
ダーウィンは、感情の下に横たわる生物としての有用性を確信し、その分析に着手した
ガラパゴス諸島のフィンチという鳥についての詳細研究とおなじくらい慎重に人の感情を研究した結果、ダーウィンが出した考察:
驚いたときに眉毛を上げること
眼球の動作範囲を向上させ、視野を広げる
なにかにぎょっとしたときに息を飲み込むこと
その後に続くかもしれない突然の逃避を準備する
社交界の名士がなにかを皮肉るときに唇をすぼめて上に向けること 犬が敵に牙を見せて威嚇することの名残り
感情の起源についてのダーウィンの仮説は、その後ほとんど深く考察されることはなかった
その他の仮説は、今の私達には突飛なものに見えるだろう
しかしダーウィンの「感情は生物学的な機能を持つ。つまりそれは動物が生き残るための何かをする」というアプローチは間違っていない。
不幸なことに、感情に対するダーウィンの進化論的アプローチは早死にした
20世紀のはじめに、以下が起こったから
行動科学が心理学に取って代わった
精神分析が精神医学を支配した
この2つの分野から見た感情への距離は、地球の生物が進化して月に到達しなければならないくらいの距離があった
ダーウィンのアイディアは、何十年もの間、窓際に押しやられていた
その期間の間に優勢的な理論であった心理学と精神医学は、科学というよりも哲学であった。つまり:
議論は終わりのない堂々巡りであり、
検証されることは稀であり、
人体の生物学とはほんの僅かの接触点しか持たなかった
しかし1960年代なかばに、多くの科学者が感情に関するダーウィンの理論を見直し、後世に伝えることが可能な(訳注:これが遺伝と進化の理論であることに表現をかぶせてある)神経医学的な基礎を持つ知識として復活させた
感情についての新しい科学
感情、人間の起源、愛についての視点を再構築するもの
単なる感情表現ではない
今から30年前に感情を研究していたポール・エクマンとキャロル・イザードは、それぞれ別々に研究していたが、それぞれダーウィンの感情についての進化理論の中心となる考え方を検証した。
顔の表情表現はどこでも同じ
それは地球上のどこでも、どんな文化でも、どんな人間でも学んできたもの
怒ったときに口角をあげる人はいないし、
驚いたときに目を薄く開ける人もいない
怒った人が怒っていると感じられるのはワールドワイドな事象
幸せな人、ムカついている人もまた同じ
エクマンの説得的な検証
ニューギニアの文字をもたない部族について多くの映像を記録して研究
結論:
その部族はアメリカ人と同じ感情表現をする
着ている服、見た目、社会慣習、地域の気候と環境は違くても
それどころかその部族は別の文化に所属する人を見たことがなかった
しかしその顔の表情は「全体的に非常に類似」している
エクマンは他人の表情を読み解く能力についても同様の類似性が見られると報告
アメリカ人の3つの写真を部族の人に見せる
怒っている顔
幸せそうな顔
不安そうな顔
そして以下の話に一致する顔を選んでもらう
彼女の友だちが来た
彼女は戦おうとするところだ
そのニューギニアの人々は、前者の話に合うものとしては幸せそうな顔を選び、後者の話にあうものとしては怒っている顔を選んだ
エクマンが見つけたこと:
文化の違いは表情として現れる感情表現の方法を規定しない。それは人間の共通言語である
感情が生得的なものである証拠は、(訳注:アメリカから見て)南太平洋よりも近くにもある
生まれつき(訳注:先天的かつ非遺伝的、congenital)目が見えない赤ちゃんでさえ、母親と楽しそうに笑う
つまり、話すことも、歩くことも、立つことさえできない発展途上の生き物(訳注:赤ん坊のこと)が、笑うということがどういうことかを見たこともないのに、顔の筋肉を収縮させて笑い、幸せを表現できるということ
その知識は生まれつきのものに違いない
この盲目の赤ちゃんの笑いは、脳の感情構造が祖先から受け継がれてきたことを表す
エクマンが明らかにしたのは以下
感情表現は洗練されたコミュニケーション形式である
他人の内部に起こっている複雜な感情を読み取ることを可能にさせる
それは部族の違いや話し言葉の違いに左右されない
私達は全員、自分の心の内部についての情報を、それを感じ取ることができる他人に向けて、表情として伝えることができる
感情が系統発生的な歴史を持つということは、その前駆的なものが別の動物で見つかるに違いないということ
私達に最も近い親戚(訳注:サル科の動物)は、私達に似た表情を持ち、それを表す。
https://gyazo.com/8794372778f2af336a18d2c5e3c7a434
アカゲザルの表情の図
人以外の動物が表情を持つということは、その動物が感情(主観的な感情体験)を持つということを意味するか?
これは、科学的には、最近までバカにされてきた疑問
現在では、動物も少なくともその種の感覚を持っているということを示唆する科学者がいる
このことは、動物愛護活動家の間に、狂乱的な議論を引き起こした
「同じ細胞原形質を持っている者同士の等価性(訳注:ややこしい表現だが、同じ生き物であれば同じ権利を持つのではないかという思想、という意味)」
動物愛好家のマーク・デールは次のように書いた
「動物が意識、知性、意思、感覚を持つのではないかという疑問は、以前からずっと、多くの人にそのとおりだと思われてきた」
彼は人間以外の種から同意書をとりつけるべきだったかもしれない
動物は彼ら固有の満足について何かしらの意識を持つのかもしれない
しかし本当にそうかどうかは、私達が知る限り、議論中である
動物の主観性が存在するか否かを検証するためには、本書の範囲からそれた数々のデータに基づいて検証する必要がある 例えば、ある動物が例えば恐れについて人間と同じような反応をすることはよく知られている
もしある動物が
怖がっているように見える(=恐れの表情を顔に出す)
怖がるという動作をする(=恐怖で凍りついたり、身震いしたり、逃げる動作をする)
のであれば、通常の人も、冷静な科学者も含めて、その動物が恐れていると結論づけるだろう
動物愛護の精神に同意するにせよしないにせよ、その2つの考えの間の溝を埋める証拠は提出されえない
なぜなら、
主観性とは、その本質的な定義から他者に移転することができないものだから(訳注:他者に移転することができないようなものこそを主観性と呼ぶ、ということ) どんなにある種の人たちが、その実証可能範囲を超えて、他者の感覚を理解できるという感覚を訴えたとしても
この本の後で説明するように、そのような一般的に見られる想定はときおり正しくないことがある
科学は、将来世代のために驚くべき技術を可能にしているが、
しかしハリネズミやヤマネ(訳注:リスに似た小動物の一種)の内的な感覚世界に直接アクセスできるような技術は、将来にわたりその技術群の中には含まれないだろう
感情を持つ仲間として、人間以外の種を感情クラブの名簿に入れるとしたら、どのような生物を推薦するべきだろうか?
それが大脳辺縁系に由来するものであるから、感情はほ乳類に属する
蛇、トカゲ、亀、魚、はそれがどんなに可愛くても、感情によるメッセージを受け取ったり発したりすることはできない
彼らは大脳辺縁系をもたない
感情の進化的な流れとして、
それは初期の爬虫類に起源を持つ。
それが私達の豊かで繊細な物質(訳注:脳のこと)の前触れとなったと考えられる
それは恐れのこと
恐れはおそらく辺縁系の一番古くからある感情
最初の爬虫類がなにかにぎょっとするという動作に起源を持つ
何かを恐れておっかなびっくりすることは、ほ乳類にとって以下の利点がある
危険物(生物であれ無生物であれ)がひしめく世界の中を安全に探索すること
その危険とは、鋭い牙、暗い洞窟、長い爪、断崖絶壁、などのこと
また、何かを気持ち悪く感じることも、ほ乳類にとって危険を避ける手段になる
パストゥールの細菌学が静かに実現化した例として見られる、目に見えない食べ物の腐敗、ゼラチン状の分泌物などの危険を避けることにつながる
そのような、外界に対する好悪の感情が進化した起源としては、少なくとも「Mephitis mephitis(訳注:スカンクの学名)」という縞模様のスカンクが生存上非常に有利な立場にあったということまで遡ることができる
ほ乳類に支持されて進化した次の感情としては、単純な交渉で発生する「怒り」が挙げられる
怒りはほ乳類にとって戦いの準備をさせ、相手に敵がいるぞという警告を発する機能を持つ
嫉妬は、子孫の再生産の機会を奪うものが現れるかもしれないという警告を哺乳類に向けて発する
その後に生まれる下記の各種の感情は、各自が集団の中でどのような状態にあるかという感覚を正確にさせるという機能がある
軽蔑や蔑み、誇り、罪悪感、恥、屈辱など
最も新しく、他のほ乳類と共有することが難しそうで、大脳新皮質の抽象性が必要なもの それは宗教という感情
宗教的感覚は、人間以外の動物には手が届かないものと考えられている
また、ピタゴラスの定理やニュートンの重力法則などの単純で優美な法則を実現化したときのスリル・喜びについても同様 これらの感情は、それらの感情について考えることをまったく必要とせずに働く
何年も、私達の病院の患者達はペットについて以下を話す
彼らが苦しく辛いとき、ペットは彼らのそばに来て、彼らを慰めてくれる
私達の病院の医療トレーニングチーム(心の問題については助けになるより障害になる場合がしばしばあるが)は、これについて懐疑的
つまり、犬や猫が、その小さな脳で、人間の感情のような複雜なものを認識できるわけがない、と。
もしそうなら、アルマジロが足し算や引き算ができるようになることも期待できるんじゃないか、と冗談を言う者もいる
しかし、犬や猫はほ乳類
つまり、それらの大脳新皮質は原始的であるが、一方、大脳辺縁系はすでに成熟している
犬や猫が人間と同様の大脳辺縁系を持つということは、飼い主のある種の感情を感じ取り、それに答える能力を持つに違いないということ
従って、ある人が
彼の猫は彼が最悪の一日を過ごしたときにはベッドの下にかくれているよ、と言ったり
彼の犬は彼の悲しみを感じ取り、彼を慰めてくれるよ、と言ったとしても、
彼がペットに度を超えて擬人的な要素を見出している、とは必ずしも言えない
つまり、相互関係というのはあまりにも簡単で、
直感的な洞察力の高い人間は、犬が疲れているか、満足しているか、こわがっているか、反省しているか、遊びたがっているか、敵意を持っているか、興奮しているか、ということを言い当てることができる。
大脳辺縁系をもたない動物ではそうではない
亀、金魚、イグアナの内部状況を読み解いてみてください
共通の系統発生履歴を持つ動物同士は、身体の構造にも多くの共通点を持つ:
手首や足首などの構造
したがって、感情の受け取り方や発し方にも共通点を持つに違いない
ほ乳類全体にはさまざまな感情言語の変奏形態があり、
そのうちのいくつかは人間には理解できない(訳注:犬の遠吠え、ゴリラのドラミング、尻尾がある動物が尻尾で行う仕草など)
しかし、大脳辺縁系を共通してもつ我々に比較的近いものが、その中にはある
音楽とかげろう
感情の形態は、神経細胞の形態の同一性に起源を持つ。
感情科学の目的は、この原始的な構造を解き明かすことである
それを解き明かせば、愛の出自を解き明かすことができるようになるだろう
人間は道具をつくる動物なので、ものの耐久性に興味を持つ
パルテノン神殿の柱やピラミッドのブロックは人を感動させる
人の感情は、それが動かすものの大きさに比べて、戸惑うほど小さな持続時間しかもたない
感情は精神の「かげろう」のようなもの
容易に生み出されるが、生まれたと思ったらすぐに死んでしまう
ハイスピードカメラで顔の表情を記録したところ、
刺激的なできごとが起きたミリ秒以内に表情の変化が起こり、
そしてすぐに消えてしまった
通常の感情が起きる場合の様子を図示する
横軸が時間、縦軸が感情の強さである
https://gyazo.com/c95ee3501cbff22a590bd31ab9a133da
感情は、楽器の音が余韻とともに消え去るときのような特性を持つ
ピアノの鍵盤を叩いたとき
楽器の中にあるハンマーが弦にぶつかる
弦が振動し、その弦が固有に持つ振動を発生させる
振動が収まるとともに、音が徐々に途切れ、やがて静かになる
感情は、これに似た道を取る:
ある出来事が、それを感じ取るキーに触れる
内部の「感情の音階」が鳴る
そして静かになる
(「心の琴線に触れる」「私の中に音を鳴らした」という表現があるのはそのためだ)
感情回路は、音を鳴らすことはないが、顔の表情(や他の効果)を発生させる
神経細胞の興奮の程度が、ある一定の(謎に包まれた)限度を超えると、それが「感じ取られた」ということになる
このときに、なにかの感情が発生したということを自覚した、ということが言える
神経細胞の活動が減少すれば、感情の密度も減少する
しかし、その感覚が消え去った後でも、感情の回路に残りつづける活動がある
ある種の感情はハムレットの父親の幽霊のように突然人生のドラマに現れ、登場人物を正しい方向に導き、虚空の中に消え、それが以前には存在していたことを漠然と思い出させる
https://gyazo.com/cf8387a655fc6f8a90e8f614331fcdfc
感覚
認識のしきい値
気分(ムード)は、
神経活動の音楽的な側面により引き起こされ、
意識的に聞こうとしても聞くことができない下部構造です(訳注:振動数が可聴域以下という意味か)
私たちの用法では(Ekmanの言い方を引用すれば)、
気分とは、特定の感情を受け入れる準備をさらに拡張したものです
ある感情が一つだけの音であり、はっきりと打たれ、一瞬だけ空に放たれただけの場合であれば、
気分は、そのあとに続くほとんど聞こえない音響のようなものです。
感情回路において神経活動が消え去るレベルが意識により記録されることはほんの少しあるか、もしくはまったくありません。 そのため、ある日に起きた挑発的な出来事は、私たちの意識下で、いつか感情的な反応として現れる日を待っている可能性があります。
ある男がコーヒーを自分の体にこぼしてしまった場合、彼の苛立ちは比較的短時間しか続かないでしょうーおそらく何分か、何十分か、というところでしょう
その感情を意識しなくなっても、怒りの回路には引き続き居残っているある種の活動状態があります
彼は「イライラした気分」という状態に入るでしょう
それはつまり、いつでも怒りの状態に入れるという状態、
その怒りの回路が唯一残す、目に見える証拠です
もし彼が、そのすぐ後に、茶の間においてあった息子のスケートボードにつまづいたとすれば、彼の怒りはより速く、より大きく発生するでしょう
それは、その災害の大きさにふさわしいレベルを超えた怒りになるでしょう
神経ニューロンの興奮特性により、感情はゆっくりとさるものであるため、その感情が再び呼び起こされるのは、以前よりも容易なものとなります
この様子を下記の図に示します
https://gyazo.com/ff039667483b7670b6641f9548cec4d6
こぼれたコーヒー スケートボードへのつまづき
感情が一時的な儚いものであるとすれば、午前中ずっと悲しい様子だったり、一日中イライラしているような人を、どのように説明できるだろうか
これを説明するために点描画法を例に取ります
長く続く感情が与える滑らかな印象は、しばしば短い感情の繰り返しによって作成されます。
この反復的な感情を引き起こす最も一般的な原因は、その感情を認識する人の認知能力です。
それにより、
すでに起こった経験が再度循環され、
あたかもその経験が再度起こったかのように、その経験が引き起こす感情を繰り返し再体験します この「できごとが起きた後にそれを思い出して興奮する」という人間の好みは、感情が及ぼす生理学的な影響を何倍にも拡大する可能性があります
例えば、怒りは短期間の血圧上昇をもたらします
しかし怒りの原因となる出来事を何度も心のなかで煮込んでしまうことは、血液型がA型の経営幹部に慢性的な高血圧をもたらすでしょう。
仮説を何度も繰り返すという大脳新皮質の性質は、致命的な間違いを呼び寄せることがあります
大脳辺縁系は、実際の経験と新皮質が作り出したイメージとを区別することができないため、身体に感情の経験を繰り返し発生させます
身体はそのように繰り返される感情の行進に持ちこたえるようにはデザインされてはいません
ある種の脳の調節機能により、ある1つの感情が燃え上がり、通常の感情に見られるような急速な減衰を伴わず、ずっと消えない場合がある
大うつ病はそのような病気の状態の1つであり、硫酸のような絶望が数週間または数か月にわたって心を永続的に支配し、時には競合するすべての感情、思考、および動機を消し去ります。
双極性障害の末期に見られる躁状態は、感情が永続的に続くめずらしいもう一つの例です。
この場合、抑えられない感情は多幸感と快活さとに向かう傾向があります。
脳が単一の感情に支配されてしまい動けなくなる原因をまだ誰も知りません。
そして多くの場合、それを解き放つことは簡単なことではありません。
感情的な出来事
鱗とワイヤー
2億年前を想像してください。
孵化したワニが、湿ったシダの張り出した葉の下で動かずに休み、その鱗上の皮膚が泥と黒い葉に埋もれています。
顎が分かれ、小さな歯がむき出しになり、目のまばたきはなく、その様子は石で彫られた彫刻のようです。
体の左側では、大きな動物がジャングルに垂れ下がった枝の間をくぐり抜け、歯ぎしりのような音を立てます。
そして、短い脚をバタバタさせ、その若い爬虫類は対面する池に飛び込んで消えます。 今のところ、それは生き残っています。
それでは、時間を介在する時代から現在へと回転させましょう。大陸が割れて地球全体を滑り、氷冠が伸びて後退し、数え切れないほどの種が存在するようになり、再びウインクします。しかし、数百万年にわたってワニが所有していたワニの脳は、本質的に変化していません。私たち自身の頭蓋骨にある爬虫類の脳は、その原始的な状態に耐えることができず、後に続く2つの脳とのコミュニケーションを順応、変更、学習しました。それにもかかわらず、感情の原始的な前駆体である爬虫類の脳の表現は、まだ私たち自身の中に含まれています。爬虫類の脳は人間の脊髄の上部に位置し、球形のカエルがユリのパッドの上にしゃがみ込んでいるように見えます。ここでは、感情的な反応の原始的な種を含む、重要な身体機能の古代のコントロールセンターを見つけることができます。
「夢は私達を別の夢に導きます。幻想に終わりはありません。 人生は糸でつないだビーズのようにムードを連結したものであり、私たちがそれを通り抜けると、そのビーズの一つ一つは、その多彩な色で世界を色づけます。気質はそれらのビーズを結びつける鉄のワイヤーです」 1844年にこれを書いたラルフ・ウォルド・エマーソンは、感情がハードウェアとしてしばりつけられていることをはじめに提案した人物として記憶されるべきかもしれません。
彼は正しかったのです。
生まれ持った感情からは、逃れることができません。
子宮から外に出た最初の日から、ある赤ん坊は鳴き声を上げ、別の赤ん坊は静かなままです。
ある赤ん坊はすぐになだめることができますが、別の赤ん坊はどうやっても泣き止むことがありません
ある赤ん坊は新しいガラガラに手を伸ばし、別の赤ん坊はそのガラガラには見向きもせずに背を向けます
ロバート・クロニンガー医学博士の説:
爬虫類脳の中心にある感情制御センターが生まれ持った気質を決める
この細胞の集合体が、感情の背後で音を発生させる
この古い脳が、その上に乗っている新しい脳が生み出す多様な色の結晶に灯りを灯すフィラメントになる
怒りの構造
一部の人々は、生まれつきリスク回避的です。
彼らは、
消費よりも節約
突撃よりも回避
手放すよりも取り返す
ことを好みます
彼らは心配しがちな気質を持っています
クロニンガーによれば、このような心配性的なトーンは、爬虫類の脳の縫線核(raphe nucleus)によるものです
何かを心配することは生まれつきの恐れの傾向です。
将来の害を想像し、逃げることが正解となる場合に備えて身体が逃げる準備を活性化します
爬虫類脳はたいてい、その鱗に覆われた体の中心にある恐れをまとった状態で働く それは生存機会を最大にするための妥協である
大きすぎる恐れは抑制される
とはいえ恐れが小さすぎると向こう見ずな結果を招く
先史時代のワニは
時々外で冒険するために十分な大胆さを求めていた
しかし何かあれば一瞬で池に戻る用心深さも必要だった
私達の文化は個人に不安や心配事がないことを理想とするが、
ほとんどの人は適度な恐れの感情を持っている
アーノルド・シュワルツェネッガーとブルース・ウィリスは、心臓の止まるような恐怖に直面してもクールに冗談を言う役を演じる役者たちです
私達は彼らの強がりにも見える勇敢さを自分たちの勇敢さと同一視して、実生活では味わえないようなスリルを感じることができます
このようなある種の(訳注:勇気や向こう見ずさの)欠落に私達は感謝するべきです
ジャングルにおける進化の過程においては、毎分ごとのレベルでさまざまな危険があったに違いありません
私達の祖先のうち、不安を非常に感じにくい人たちの多くは、蛇に噛まれたり、牙で食われて流血したり、木から落ちたりしたでしょう。
そのような早死には、遺伝子プールを、不安を感じやすい方向へと動かす役割を果たしたでしょう。
現代の新生児のうち、不安を感じにくい新生児たち(ストレスや物珍しさや脅威への感情的な生理レベルが通常より低い子どもたち)は、成人した後に犯罪を犯す確率が平均を上回ることが知られています
人が犯罪を犯す性質の一部は遺伝によるものと長い間思われており、その原因の一部は、彼らの爬虫類脳の中の不安を感じる部分が「低い」からです。
不安は人がリスクの高い行動に走ることをやめさせます。
有害な結果を引き起こすことに対してためらいや恐れを感じたことがない人は、危険だから近づくなと言う警告を十分に感じ取ることができません。彼らは、通常なら絶対に恐れたり避けたりするべきことを自分たちは今まさにやろうとしているということに、自分たちで気がつきません。
DNAのシャッフルとヒト遺伝子の再結合により、不運な人たちは極端な気質を先祖から受け継ぎます。ほとんどの場合、彼らの一風変わった気質は彼ら自身の役には立たないでしょう。
私達の祖先が安全なシダの木の下から飛び出す前に、恐れを感じ取るという爬虫類由来の脳の部位が、行動することへのためらいや逃げることへの選好を生みだし、彼らの命を救ってきました。
私達の生活における危険の意味は変わってきましたが、根底にある神経のメカニズムは変わっていません。これらの心配に対する回路はまだ同じ動きをします。その動きにより人々は以下を想像します:
将来の危険を想像すること
起こり得る脅威から逃げ出すこと
そして心臓、肺、汗腺は、突然の危険に備えて温まり始めます。
残念ながら、このような危険応答の1つとして古くからある、髪を逆立てるという反応については、現代人はほとんど経験しません。
神経アラームが突然鳴ると、パニック発作を引き起こします。パニック発作は恐怖の爆発であり、以下を伴う:
胸の圧迫感、心臓の動悸、手のひらの汗、胃の締付け
そしてそれは、恐れによる強迫観念によりさまざまな(訳注:病的な)予期と計画をもたらします。
不安が問題を引き起こすようになると、多くの人は不安の元となっている問題から目をそらそうと(訳注:無駄に)努力をします。
しかし不安は爬虫類脳に起源を持つため、意志でそれに対抗することはほとんどできません。
賢い精神分析家が、この神経自動システム(爬虫類脳から恐怖というメッセージを発するシステム)に対して以下の言葉を残しています:
「あまりにも頭(訳注:で考えること)から離れているため、頭が存在するのかどうかについてさえ知ることができない」
しかし、このように心配しがちな気質を持つ人の全てが、その生涯続く不安により人生全体を破滅させてしまう、というわけではない。
何らかの恐ろしい意志の力を呼び出して、このような気質をもとに戻せる、というわけではない。
しかしこの後の章で見るように、感情による影響という巧妙な方法で、パニック状態の野獣を飼いならすことさえできる
爬虫類脳の中にある脳の感情回路は、心配事の種と同じように、行動の傾向を広く生み出す。
これは神経システムの働きが、動物が環境を感じ取り、命を落とさないようにする反応を生理的に素早く準備するためである(例えば若い爬虫類が近くにいる捕食者に気が付き、サンゴ礁の安全な場所に滑り込むなどの行動)ということを、これまで垣間見ることができた。
しかし爬虫類の感覚の範囲は限られている
爬虫類脳だけでは、生理学的な変化を大雑把に解釈することしかできない
それが、大脳辺縁系の登場により、神経組織は生理現象と膨大に拡張する周りの環境との調整を行えるようになってきた
そして、進化は哺乳類を「存在するもの(訳注:人間のこと)」へと導き、全く新しい種類の神経応答 ー愛の親密な状態ー を生みだした。
世界を繋ぐ橋
1792年、ロンドンの王立動物学会にいたジョージ・ショーは、オーストラリアからある動物標本を受け取った
この縮こまった棘のある動物、小さなヤマアラシのような動物は、突き出た鼻を持っていた。
これが進化の最も重要な交差点、ほ乳類の誕生に関わった動物であることに、ショーは気づかなかった。
受け取ったこの動物はハリモグラ
分類上はほ乳類
しかし最も爬虫類的な哺乳類、もしくは最もほ乳類的な爬虫類と考えられる
ハリモグラは
トカゲと同じように、低い位置をのしのし歩く
基本的には単独行動し、交尾するときだけ群れに加わる
交尾により、革のようにしなやかな卵を生む
メスはその卵を体の横に置き、広げて伸ばした体の皮 ーオープンエアーの子宮ー に挟む
卵から孵るほ乳類は、19世紀の科学分類によれば、爬虫類とほ乳類との分類という概念を混乱させるものだった
当時の専門家のほとんどは、単孔類(訳注: monotreme=単孔類のことで、カモノハシとハリモグラの2種のみ) つまりハリモグラが分類学上属する種 ー が卵から孵るという考えを認めなかった
1884年、自然科学者ウィリアム・カードウェルが証明
ハリモグラが卵から孵る、その卵の殻をやぶる瞬間を肉眼で観察
「卵から生まれる単孔類」という電報で報告
https://gyazo.com/9c2f7de145934bdac2bbc6cc49673f28
オーストラリアハリモグラ
1億5千万年前から1億年前までのどこかで、単孔類は爬虫類としての生活から決別する形で生まれた
明らかに初期の動物分類学上の分類とは離れる(訳注:爬虫類やほ乳類という名称からくる卵生・胎生の分類)が、
ほ乳類と爬虫類とを分けたのは、新しい脳の部位 ーつまり大脳辺縁系ー だった
ハリモグラは、最も原始的な子宮を持つだけではなく、最も原始的な辺縁系をもっていた
全てのほ乳類のうち、ハリモグラだけが、ある辺縁系が持つ機能を欠いていた:
それは、睡眠中に夢をみること
現在の辺縁系は、夢を見るためのベッドとしてだけではなく(訳注: 原文は is not only the seat of dreams という文学的表現)、先進的な感情の統制センターになっている
辺縁系の原始的な役割は以下の2つをモニタリングし、調整すること
外界
体内環境
前者は、目で見ること、音を聞くこと、触って感じること、匂いをかぐこと、により入ってくる情報
後者は体温、血圧、心拍数、消化プロセス、その他の多くの身体データ
辺縁系はこの2つの情報の流れの合流点にあり、外界に適応するように生理状態の調節を行っている
これら(調節機能)のいくつかは、すぐに変化するもの
汗、呼吸、心拍数など
それ以外の機能は、もっと長く続く
内分泌腺の分泌が以下を決める
免疫機能
新陳代謝
大脳新皮質は、後からやってきた新人だが、それもまた、辺縁系の指図を受ける
それが言語のような象徴作用、戦略や計画を練ることなどの行動のトーンを決定する
また、辺縁系が指揮を執る大きな脳の変化
純粋にコミュニケーションの役割を担う、顔の表情をつくること
顔は、筋肉が直接皮膚に接続している唯一の場所
表情を作ることの唯一の目的は、一斉におこる表情の嵐を伝達すること
例えば以下の状況を想像してほしい
一人の男性がバスに乗り、サンフランシスコ繁華街の金融街に向かっている
そのバスに、タトゥーが入って頭をスキンヘッド(このあたりでは珍しいことではない)にした若者が乗ってくる
若者は通勤客を睨みつけ、そして最初の男とぶつかる
この状況は辺縁系を呼び覚まし、この出来事の重要性を伝え、生理状態を「そのとき」に向けて準備させる
私達が見守る最初の男の辺縁系は侵入者の顔の表情、彼の瞳孔の開き具合、彼の体の姿勢と歩き方、そしておそらく彼の匂いまで感じ取る
辺縁系は、他者の意図を読み取る
これは不注意によるものか、彼は攻撃的か、有効的か、性的な行動か、彼はおとなしいか、冷淡か、など
辺縁系は、祖先から受け継いだ強固な認知形式と、過去の似たような状況の経験を組み合わせ、結論に達する
このケースの場合、男性は若者に敵意を持ち、この状況に対応するため、おそらく怒りという装備で対抗するだろうことが私達には想像される
辺縁系がいったん感情の状態を決め打ちすると、それは大脳新皮質に届けられる
そしてそれが意識的な認知(こいつは自分を誰だと思っているんだ?)を産み付ける卵となる
同時に、辺縁系からの出力が新皮質の運動野に達すると、それは行動指針を決定づける
一方その頃内分泌系に到達した信号は、ストレスホルモンの放出を引き起こす
それは体全体に影響を与え、その効果はその後何時間あるいは何日もに渡って続く
辺縁系からの指示は大脳下部に到達し、顔の筋肉を動かして怒りを表す表情を作れという指示を与える
目は細くされ
眉は引き下げられ
唇は結ばれて口の端は下に下げられる
辺縁系から爬虫類脳へと、心臓血管の機能を変更する指示が出される
心拍数は上昇し、腕と手に血液が集まる
なぜなら怒りの到来は戦いにつながるかもしれず、辺縁系は殴り合いに最も適した生理機構を備えているから
これら全ての大作戦は、バレリーナのつま先立ち回転と同じような速度と優雅さで行われる
一瞬で自分の関心事であることを認識し、
その2秒後には怒りがやってきて、眉をひそめ、こぶしをにぎりしめる動作が始まる
ここでこの好戦的な若者のすぐ後ろに女性がいたとしよう。
彼女はこの一部始終を見ていて、若者にあわれみと嘲りの表情を見せたとしよう
「この頃のバスの中って、いつもこんな様子なの、分かる?」とでも言いたそうだ。でも彼女は言わない。
この通勤者の辺縁系は、それでもなお、彼女の目と表情に宿ったメッセージを認識するだろう。感情の受け取り方が鈍い個体には、この2つ(訳注:若者と男性の間のにらみ合いと、女性と男性の間の哀れみ)の行動は全く同じに見えるだろう:
ほんの束の間、動いている人間が別の人をちらっと見た、というふうに
しかし小さな違いが感情に影響する度合いは大きい
辺縁系の感受性は秒以下の単位で働く精度が高いものなので、一見同じように見えるもののなかから、起こっていたかもしれない戦いと、同情的なコミュニケーションとを、区別することができる
独房への監禁
辺縁系は知覚した感覚を集めて感情との関連性に基づいて分類し、それを他の脳の部位に送る、ということを一日何千回も繰り返している
殆どの場合このステップには間違いがないが、辺縁系はたまに正しく動かない場合がある
健康で正常な感情を持てているかどうかは、それがこんがらがってしまったときに何が起こるかということにより調べることができる
人間はコミュニケーションの海の中で生きている
それは巧妙なネットワークであり、殆どの場合その巧妙さが知られることはない
辺縁系は、内部にある暗号化装置であり、受け取ったメッセージの復号化を一瞬で行うことができる
この複合処理を詳細化して検討すると、情報伝達の不足などにより何が起こるかということを知ることができる
何年か前、私達はエバンという名前の16歳の高校生を受け持った。
彼の母親は、彼に友だちが非常に少ないことを気にして、彼を精神科医に会わせた。
他の子達は彼をいじめ、彼があまりにも子供っぽいので彼を仲間はずれにするというのだ
エバンと会ってみて言えることは、彼へのいじめが誘発される理由もわからなくはない、ということだ。
エバンは愛想がよく友好的だったが、社会的な振る舞いは不適切で不快な感じがした。
例えば私達が握手をしたとき、彼は私の近くに寄りすぎていて、声も大きすぎた。
彼の声は奇妙に平坦な感じがし、
彼のアイコンタクトはまばらな感じで、
彼の服装のスタイルはカリフォルニアの10代の若者としてはあまり見られないものだった:縞模様のシャツにきっちりとした青のネクタイをつけていた
エバンによれば、彼は仲間の中で目立って突出することを本当に望んでいない、とのことだった。
彼は自分が仲間はずれにされることについて、本当に困惑しており、状況を改善するためになにができるかを本当に知りたがっていた。
彼の好奇心は旺盛で、成績は良かった。
しかし彼をもっと知っていくにしたがい、彼には社会的なコミュニケーションのやり取りを直感的に把握することが全くできないということがわかった
つまり、服装、マナー、挨拶のスタイルを理解できないということ
彼は一度、女の子にペロペロキャンディーをあげていっしょに遊びに行こうと誘った。
彼女はそれをジョークだと思って、ついには怒ってしまった。
彼は彼女の反応を見て、非常に落胆した
彼の説明によると、彼は他の人を観察して、友情の証としてプレセントを贈るということを理解し、そのプレセントにはペロペロキャンディーが含まれると理解していた、とのことだった。
恋人たちは花やキャンディーや詩を贈り合い、ペロペロキャンディーは子どもや誕生日を祝われる人に贈られるということを、私達のほとんどは知っている
しかしペロペロキャンディーがなぜロマンスの表現であってはいけないのか、説明できる人はいるだろうか。
このような暗黙のルールは確かに恣意的なものだが、多くの人はそれを簡単に理解できる
この少年は、社会的なお約束を自然に理解する能力に欠けていた
そのお約束は、非常な努力を傾けたにも関わらず、つねに彼の手からこぼれ落ちていた
彼はもしかしたら、人間同士のやり取りに関する具体的なガイドラインを受け入れることができたかもしれない
例えば「人と話すときは『このくらい』の距離をとるものだ、と多くの人は考えている」といったような風に。
しかし彼は、人とのやり取りの「本質」を掴むことができなかった
彼は他人の不快感を読み取ることや、状況に応じて距離感をつかむことができなかった
それは、辺縁系が正常に発達した人間にとってのみ可能なことだ
感情の表現は、彼にとってはよく理解できない象形文字のようなものだった
辺縁系は、彼にロゼッタ・ストーン(訳注:エジプトの象形文字を解読するきっかけとなった石の板)という感情生活をもたらすはずだったが、それは失敗した
彼は、失われた世界、社会的には盲目な人間としてこの厳しい社会に留め置かれたままとなっている。
ウイーンの小児科医であるハンス・アスペルガーは1940年代にこのような症状を記録し、今ではその症状は「アスペルガー症候群」と呼ばれている
アスペルガー症の子どもは知的には優れているか卓越している
しかし感情的には不器用で、繊細な社会的やり取りについては音痴であり、それはときには彼ら自身の感情についてさえそのような無感覚さを表す
若い女性のアスペルガー症の患者に、彼女を不幸にしているものは何かを尋ねたところ、彼女は即座にその質問について指摘した:
「幸せや不幸せという言葉が人にとって何か重要な意味を持つことはわかりますし、誰かがその言葉を使っているのを聞いたこともあります。しかしそれがどのような意味であるかについてはわかりません」と彼女は言った。
「私の知る限り、そのどちらも経験したことがありません。私はあなたの質問に答えるだけの基礎を持っていません」と続けた。
私達はうろたえ、彼女が関連を持てるような他の感情の領域を探そうとした。
私達の一人が彼女に「遊ぶ、ということについてどのように理解していますか?」と聞いた。
彼女は一分ほど考え、悩んだ末にこう聞き返した「それは何の反対、と理解すれば よろしいでしょうか」
接触の終わり
脳進化の最後にやってきた大脳新皮質は抽象思考を統括するものであり、その恩恵で人類はさまざまに進歩した 言語、問題解決、物理学、数学、など
感情という機能は、多くの仮説を必要とはしない
相対性理論を打ち立てるには、新皮質的な才能を天才的に持つ人物が必要
しかし以下には天才の出現を待つ必要はない
誰かを失ったあとにそれを悲しむこと
混雑した部屋を横切る際に、愛する人を見つけて興奮すること
新皮質は感情を生みだしはせず、感覚と、自身の抽象性という機能とを結びつける役割を担う https://gyazo.com/3433d406e5d540eba4aae0321e97b3fe
大脳新皮質
異なる声の中で
大脳新皮質は、その抽象性を編み込み解きほぐすという力により、言語を作り出す
言語ーメッセージを運ぶための恣意的な文字の列
感情を持つことは辺縁系の領域だが、その感情を言葉として声に出すことは、大脳新皮質の管理下に置かれている
このような種類の努力(訳注:感情を言葉にすること)は、しかし翻訳上の問題を引き起こす
このようなギャップを埋めるための神経メカニズムの一つとして、詩の韻律がある
詩の韻律
新皮質が、その乾いた概念を感情に関連付けて表現するために借りてきた形式
2つある言語センターは、新皮質の左の側頭部にある
https://gyazo.com/53e7a4e6620d1bfa95793ea1bd503cda
大脳新皮質の左側の側頭部にある言語野
ウェルニッケ野は、外から入ってくる会話のうち口笛のような空気音とカチッと言うクリックのような音を意味に翻訳する
ブローカ野は、ぐるぐる回る考えを固定した言葉に変換する
ウェルニッケ野を損傷した人は、
何を言われているかを理解することができなくなる
しかしその場合でも自分自身は声を発することはできる
一方、ブローカ野を損傷した人は
話せなくなるが、
話を聞いて理解することは以前と同じようにできる
https://gyazo.com/863a327863a52f5b3b177b136e64d697
大脳新皮質の右側側頭部にある感情言語センター
脳の右側面の同じ位置には、感情的な動きについて同様の動きをする部位がある
これらの部位にダメージをうけた人は、非言語コミュニケーション障害(aprosodia)と呼ばれる症状をしめす
その症状とは、
話されていることの感情的な意味を理解できなくなる
また別の人は
話し言葉の中に感情的なニュアンスを込められなくなる
これはひどい症状となる。というのは、詩の韻律においては、正しい語順と文法を持つ文であっても、それらは韻律次第で容易に反対の意味になるから
皮肉やあてこすりは、すべてこの用法があるからこそ存在している 「その髪型、いいですね」という言葉は、音の韻律なしでは非常に多くの意味を持ちうる
以下の文からはどんな意味でも引き出すことができる
「一緒に寝たい」
「あなた、バカみたい」(訳注:バカにする場合、親しみを込める場合、傍目には愚かしく見える英雄的な行為を称える場合など)
10代の若者と生活したことがある人は、1つの音節 ーああ、うん、おう、そう、など— が、同意、軽蔑、熱中、無関心、やその他1000ぐらいの隠された意味をもつことを知っている。
右側頭部のウェルニッケやを損傷した人は、少ない言葉が表すかもしれない無限の意味をそれぞれ見分けることができない
右のブローカ野を損傷した人は、言葉に感情を込めることができない
通常は言葉に様々なグラデーションを持つ感情をこめるはず(着色パレットの上の感情を意味というフェルトにつけてうっすら色をつけるはず)だが、彼らの話す言葉は鈍く不明瞭なものである。
その言葉は、何かを怖れたり、はしゃいだり、情愛をこめたり、といった響きを持つことができず、したがって感情を流暢に操りその声色をきいて話者の内心をさぐる私達人間存在にとっては、コミュニケーションを成功させることはほとんど不可能となる。
右側頭部の新皮質に傷害をうけることは公平に言ってまれではあるが、何百万人もの人々が日々、Eメールの利用によって、非言語コミュニケーション障害の状態に陥っている
夜には全ての猫が灰色になるのと同様、Eメールにおいては全てが非言語コミュニケーションに対する障害となる
なぜならこのメディアは、感情的な声の調子を伴わない、短く切られた文章で構成されるからである
これがeメールにおいてすぐに誤解が生じる理由であり、
また他のメディアに比べてインターネットでは嘘が容易につける理由である
声の調子という手がかり、アイコンタクト、表情、などを欠くE メールコミュニケーションにおいては、人々はでっちあげた自己像で感情的なごまかしを容易に行う
その理由とは、単純にそれが可能だからである
人間が感情を必要とする傾向は抑えられないので、感情を表すためのアイコン、「エモティコン(顔文字)」が生み出された
エモティコンは、句読点やカッコなどの記号を使って感情を表す
これは、心のなかで90度傾けて読み取る必要がある
喜びと悲しみは戯画化されて以下のように伝達される
:) :(
Eメールが爆発的に人気となり、エモティコンも広がった
200以上あるエモティコンは、例えばいたずらっ子の茶目っ気を表現する以下のもの
>:-)
から、驚きを表す以下まで、幅広い。
エモティコンの隆盛は以下の理由による
新皮質の先進的な象徴表現ツール(訳注:言語)が持つ以下の特徴
耐えられない曖昧さをもたらす
辺縁系の生き物間のコミュニケーションの成就を妨げる
しかしエモティコンがどんなに精巧に作られてもそれが実際の以下の感情を表現することはできない
ノスタルジア(故郷や古い事物への郷愁)
嫉妬
手の届かなかったものに対するせつなさ
ねたみ
デジタル化が進んだ世界で、Eメールは会話の代理となる便利なツールではある
しかしそれは以下のような豊富な世界を運ぶことはできない
感情によって色付けされた会話と顔の表情
このような過程で失われる辺縁系の情報は、非常に大事な部分
大手の通信情報会社は、何十億ドルもの金額をビデオ通話の競争に投資している
情報圧縮技術を使っても、複雑な情報を送るには多大の通信量が必要
このことは、辺縁系に繋いた消火ホースとなり、以下の分別をする助けとなるかもしれない
軽蔑の中に自責の念を見つけ、
恐れの中に喜びを見つけ
賞賛の中に憤慨を見つける
大きな成功
ほんの少しの新皮質しかもたない動物 ー犬、猫、オポッサムー でさえも感情を持っている
世界で最も興味深く認知能力をもたない人間の幼児もまた、感情を持つ
幼児は感情を読み取り表現することの達人である
それは顔の表情を生まれつき読み取る能力を持つということである
人間の顔の表情よりも幼児の気を引くものはない
赤ちゃんは顔の表情を好むという生まれつきの性質を持つ
彼らは顔を見つめ、じっと凝視し、飽くことなく見続ける
彼らが本当に探し求めているのはなんだろうか
最近の研究によれば、幼児はその凝視する顔の表情を読み取っているという
乳幼児の好みについての研究では、幼児が凝視する時間を計測する
なぜなら幼児は、慣れ親しんだものよりも新しいものを長く見る傾向があるからである
生後数日の幼児であっても、感情表現を読み取ることができる
乳児にとってなぜそれほど母親の表情を読み取ることが重要なのか
「透明な崖」という検証実験がその答えを教えてくれる 半分は通常の素材、もう半分は透明の強化ガラスでできたテーブルの上に幼児を乗せる
乳児から見ると、強化ガラスが始まる場所は崖であるように見え、そこから落ちたら危ないものであるように見える
強化ガラスの透明なプラスチックは、目に見えないが物理的なサポートである
乳児は強化ガラスの性質を学んでいるわけではないので、見た目には落ちそうだけど触ると硬いという状況で、どうするべきかどうかの確信を持てない
この乳児はどうやって状況を切り抜けるだろうか
普通の赤ちゃんは、その「崖」まで這っていって危ないかもしれない状況を見ると、母親の顔を見る ー そしてその表情によって崖の危険性を判断する
母親が温かい眼差しで見守っていれば、赤ちゃんはそのまま這って進む
母親の表情の中に少しでも警戒心がにじみ出れば、赤ちゃんは止まって泣き始める
母親は、彼女自身が自覚していてもいなくても、感情という普遍的な言語を使って、赤ちゃんにこの世界がどのようになっているかを教える
感情の現れは生まれつきのものであるため、
文化と種の間をつなぎとめるだけではなく、
母親と赤ちゃんの間にある発達の差というギャップに橋をかける存在である
感情は、母と子の間に何年も続く共通言語となり、
それは子どもが話す能力、つまり新皮質が生み出す曖昧な象徴能力を獲得するまで続く
幼児は、起こるかもしれない危険をさけるためだけに母親の顔をチェックし続けているわけではない
もし母親が顔の表情を凍りつかせたら、赤ちゃんはすぐに怒って泣き始めるだろう
赤ちゃんはどのような表情を求めているのだろうか
母と赤ちゃんのそれぞれに2台のビデオカメラを向け、お互いに顔は見えるが、実際に対面しているわけではない状況を考えよう
リアルタイム(訳注:テレビでいえば生中継)であれば、母と子はお互いに見つめ合い、笑いあい、両者は完全に幸せな状態だろう
しかしそれが録画だとすると、赤ちゃんはすぐに動揺し始めるだろう
赤ちゃんが求めていたのは、母親の表情そのものではなく、母親の「同時性(synchrony)」つまりお互いの表情に反応し合うということである
母親の顔をリアルタイム表示に戻せば、赤ちゃんの落ち着きは戻ってくる
ビデオの通信が遅延し始めれば、赤ちゃんは再び不満を表す
幼児は、感情反応のわずかな時間的変化を感知することができます
このような洗練された能力は、六ヶ月の間は一人で立つこともできない生き物(訳注:赤ちゃん)が持つ能力です。
比較的少しの能力しかもたない小さな生命(=乳児)が、他の生命の皮膚の下にある小さな筋肉の動き(=表情)に、それほど固執する理由は何でしょうか?
答えは辺縁系脳の進化の歴史にあります。
動物は、特定の情報ニーズを処理するための神経システムを高度に発達させています。
コウモリのソナーシステムは、真っ暗な夜でも小さな虫を見事にとらえることを可能にします。 甲高いエコーの不協和音の中で、彼らは私達には見えない世界を見ることができます。
ある種のウナギは、複雑な細胞構造を持ち、付近の電気的な変化を正確にマッピングできます。 ウナギは、筋肉が放出する電気のパターンによって、獲物や他の魚を認識します。
大脳辺縁系は、物理的な世界、つまり他の哺乳類の内部状態を検出し分析することに特化した繊細な物理的装置です。
感情は辺縁系をもつ生き物の社会的感覚器官です。
視覚は電磁波の波長を読み取り、聴覚は空気の圧力波の変化を感じ取ります
その一方で感情は、哺乳類が周囲の哺乳類の内部状態と何を求めているかを感知することを可能にします。
爬虫類の脳は、外界を感知し、変化する環境に合うように体内生理を変えることができます
それは感情の芽を含んでいます。
哺乳類では、感情は非常に洗練されたレベルに跳ね上がりました。
若いワニは、揺れる葉の背後にいる可能性のある捕食者の存在を感じることができ、その能力を動員して脅威を回避することができます。
しかし哺乳類は、高度な神経センサーを無生物に対して使用するだけではなく、他の動物の感情反応に反応するという進んだ使用能力を獲得しました。
哺乳類は、他の哺乳類の内部状態を検出し、状況に合わせて自身の生理機能を調整することができます。
その調整により自身に起こった生理変化もまた、他者(その他者もまた自己調整能力を持つ)によって感知されます
爬虫類の神経応答は、初期の、そして小さな感情の音に過ぎませんが、
哺乳類は完全な声量を持つデュエット、2つの流体間の相互浸透、2つの生命体間の相互感知、お互いの脳の状態を変化させること、ができます
ほ乳類は、新しい脳により、私達が「辺縁系の共鳴」とよぶ能力を発達させた
それは2つのほ乳類がお互いの内部状況について同調しある能力
相互作用と内的適応の交響曲
感情的な反応を持つ別の生き物の顔を見るという多層的な体験を引き起こすのが「辺縁系の共鳴」
ボタンについた2つの穴(訳注:糸通しの穴のこと)であるかのように目を認識する代わりに、辺縁系へつながった光の入り口を見ることは、深い体験をもたらす:
感覚が何倍にもなり、
向かい合わせの鏡により無限に反射する像のきらめきのような光を作り出す
アイコンタクト(目の接触)という言葉は、それが何メートルも離れて起こるものであっても、(訳注:「コンタクト=接触」という言葉を使った)暗喩ではない
私達が他者との見つめ合いを経験するとき、2人の神経系は、触知可能で親密な並走を達成する
親しみを示すこととその予期は、辺縁の共鳴による神経同調なので、人々はその不在を不安に思います。
サメや日光浴中のサンショウウオの目を調べてみても、応答反応も認識の兆候も全くありません
これらの眼の背後にある冷たさは、哺乳類の背筋を凍らせます
辺縁系の登場前の神話上の生き物として知られる
メデューサ(視線で獲物を仕留める)が蛇の冠をかぶっているのも、
バジリスク(ヒキガエルや蛇により雄鶏から生まれた想像上の生物)がトカゲのような見た目をしているのも、偶然ではありません。
これらの物語は、元となる爬虫類から怪物を作り出したものです
これは、ほ乳類がそれらの爬虫類の目の中に感じるような冷たさ、鈍さ、活動的な辺縁系の動物の生き方から影響されることの少なさ(immune=感染しない性質、免疫性)などの力を表したものです
心のギャップを埋めることができる動物にとって、辺縁系の共鳴は共同体への扉です。
辺縁系の共鳴は、無言の調和状態として、私たちの社会でいたるところに見られます
母と幼児の間
少年と犬の間
レストランのテーブルで手をつないでいる恋人の間
この心と心の間に存在する残響は、私達の体の一部であり
腎臓や肝臓が静かに機能するように、気づかれることなくスムーズかつ連続的に機能します
辺縁系が生み出す状態は心の各状態を飛びながら移動するので、感じるということは考えることとは違い、伝染するものです
ある人が独創的なアイディアを生みだしたときに、近くにいた人が同じアイディアを生み出せなかったとしても、そこに驚くことは何もありません
しかし辺縁系が生み出すものは、感情の同調を引き起こします
それが、同じ映画でも映画館で見れば衝撃をうけ、茶の間で見ればそうでもないという理由です
それは画面の大きさやスピーカーの大きさの問題ではありません
(直線的な考えしかもたない電機メーカーは大画面や大音量を目指していますが)
物語という魔法、本質、共同性、増幅性を引き出すのは、それを見る多くの観衆です
この辺縁系の喚起力というべきものが、
群衆に感情の波を投げかけ、
ばらばらに散らばった個人を1つにまとめ上げ、
群衆をパニック状態に陥れたり、
憎しみによるリンチを引き起こすものです
感情を感じ取るという古くから知られた作法に対する信頼(訳注:faith , 信仰ともいえるが宗教的なニュアンスを避けるため信頼と訳した)に再び火をつけるために、科学を必要とするというのは、奇妙な皮肉に見えます。 この古いスキルは、私達自身の一部ではありますが、今ではあまり信じられていません
静かに耳を傾けるという機会をもたず、それを見落として一生を過ごす人もいます。
心理セラピーという実践は、その実践者に、予期しないいくつかの付加給付をもたらします。以下はそれらのうちの1つです
現代の社会がかつてその全てに関わっていたが忘れてしまったようなプロセスへの参加を促します
それは、他の人達と何時間も部屋に座って、何の目的も頭に浮かべずに、ただ参加するということ
それを行うことにより、あなたには別の世界が開け、新しい感覚に開かれるようになります。
その世界とは、人間の生活が始まるよりも前からある力により築かれた世界です