前書き
一度空を飛んだことがある人間は、地面を歩くときはいつでも、上にある空を見て歩くようになるだろう。かつて自分がいた場所、いつか帰る場所としての空を。
-レオナルド・ダ・ヴィンチ
トーマス・ルイス医学博士はカリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)に在籍する精神医学の助教授であり、同校で愛着障害治療プログラムのアソシエートディレクターを務めていた。現在は執筆・カウンセリング・UCSFでの講義に時間をあてている。カリフォルニア州サウサリート在住。
ファリ・アミニ医学博士はUCSFの精神医学部教授である。イランで生まれ育ち、UCSF医学部を卒業後、そこで39年間勤務した。1971年からはサンフランシスコ精神分析研究所で勤務、1981年に同所長。アミニ博士は既婚で6人の子どもがいる。カリフォルニア州ロスに在住。
リチャード・ラノン医学博士はUCSF医学部の助教授である。1980年に同校で愛着障害治療プログラムを開始し、精神医学の概念と脳生理学の知見とを統合した先駆的な実践で知られる。既婚で二児の父。カリフォルニア州グリーンブラー在住。
ルイス、アミニ、ラノンの各博士は、1991年から一緒に働いている。各氏はそれぞれ別の世代からやってきた精神科医である。
アミニ博士は精神医学が神聖で犯すべからざるべきものとみなされていた世代から、
ラノン博士は精神障害に対する投薬治療の有効性を最初に目撃者した世代から、
ルイス博士は神経科学の知見とさまざまな議論を起こした各精神力動論の波に揉まれ、それらのトレーニングを受けてきた最近の世代から、
それぞれやってきた。
精神と心についての標準的な理論に対する不満から、彼らはそれの代わりになる基準を打ち立てるためにエネルギーを結集させた。この共同作業により、精神医学に携わる専門家向けの数々の学術論文とプレゼンテーションが生み出された。しかし最も強調すべきなのは、彼らの協働から最も大切な成果物が生み出されたということである。それはつまり、クリエイティビティ(新しいものを生み出す力)、喜び、友情、である。
前書き
愛情とは何でしょうか? それを見つけられない人がいるのはなぜでしょうか?寂しさとは何で、なぜそれは人を傷付けるものなのでしょうか? 人間関係とはどのようなもので、それはどのようにして、なぜ、うまく働くのでしょうか?
これらの質問に答えること、つまり心の最深部にある秘密を明らかにすることが、この本の目的です。人類は、その種が誕生してからずっと、いつでもどこでも、予想不可能で混乱した動きをする、感情の核と戦ってきました。科学はそれを解決することができていません。西洋世界ではじめての内科医といえるヒポクラテスは、紀元前450年に、感情は脳から生み出されるという説を説きました。彼は正しかったのですが、それから2,500年の間、感情と生活に対するそれ以上の助けを医学が提供することはできませんでした。心の問題はもっぱら芸術の問題 -文学、歌、詩、絵画、彫刻、踊りなど- と関連するものとみなされてきました。これまではそうでした。
最近の数十年の間に、脳に関する最新の科学知見が爆発的に増え、私達自身の、または私達の人間関係の、もしくは私達の子どもたちの、そして私達の社会に対する理解を変更しなければならないときが来ています。科学はついに、人間についてのもっとも古くからある疑問に対して、分析・透徹の目を向けることができるようになったのです。それにより明らかになった事実は、愛情が沸き起こるときに私達の内部では何が起きているかということに対する現代のいくつかの想定を、いつでも粉々にしてしまえると言えるほどです。
心に対する伝統的な理解としては、「感情(による激情)とは人間の野蛮な過去に起因する余計な残り物であり、理性による感情の征服こそが文明の勝利の証である」というものがあります。論理的ではありますがいささか疑わしい論理展開が以下のように続きます。
「・・したがって感情的な成熟とは、感情を抑制することと同義だ」。
学校では、地理や歴史の知識を教えるのと同様に、子どもたちに感情を無くす技術を教えることが許されています。よく生きるためには、変えることが難しく手に負えないやっかいな存在である感情を出し抜くことだ。伝統もそう言っています。
この本で私達は、認知と感情がどういうときに壊れるのかということと、心はしばしば他よりも優れた叡智であるということを示します。喜ばしい裏切りとして、科学 -つまり理性の右腕- 自身も、そのことを証明しています。人の脳が昔から感情を基盤とした構造になっているのは、それがかつてはそのような動物であったことのやっかいな遺産だからではありません。そうではなく、感情的な構造は人生全体を左右するキー以外の何者でもありません。私達は、見えない力と音のないメッセージとが形作る運命の元で生きています。個人であれ社会であれ、幸福に到達できるか否かは、愛の見えなさ(不可視性)、そのありそうのなさ(不可能性)、その取り返しのつかなさ、そしてそれらの複合物が取り囲む隠された世界を解読できるかどうか否かに依存しています。
人間が生まれてから死ぬまで、愛は単なる人生の一部ではなく、マインドを司る力であり、ムードを決定するものであり、体のリズムを調整するものであり、そして脳の構造を変化させるものです。身体生理学は、人との関係が個人のアイデンティティを決定して形作るものであるということを証明しています。愛情は私達が誰であるかを形作り、また私達がどのような存在になれるかを形作ります。以下のページでは、なぜどのようにしてそうであるのかを説明します。
科学が何世紀もの間眠っていた時代、人間は感情の神秘性を記録する手段として、芸術に頼っていました。この蓄積された叡智は見くびるべきではありません。この本は科学のある分野の奥深くへの探求を行いますが、そのような探求を意味あるものにするような人間性と手を携えます。研究者や経験主義者たちの意見を、詩人や哲学者や王たちの意見と結びつけます。彼ら(訳注:詩人や哲学者や王たち)が切り開いた尊敬すべき開始点はその後、場所や時間や人の気性という違いにより、ある地点からは現在の私達の意見とは枝分かれをしてしまったかもしれませんが、その両者を部分として含む全体の地平は、共通のゴールに向けて集まっているからです。
すべての本は、それがどのような本であれ、1つの議論であると言えます。
鋭く尖った矢(刻まれ、削られ、砥石で研がれた矢)が、議論のパラグラフを進め、光り輝く標的に向けて後押しします。
この本は、親の(子に対する)献身を形作る力、ロマンチック・ラブの生物学的現実、共同体のつながりによる癒やしの力などを主張していますが、それらは結局の所、愛に関する議論です。ページを開いていくと、矢は抜けてきます。それらの矢が目指していたところの感情とは、結局の所、あなた自身の感情のことです。