自立したエンジニアとは
#仕事 で、 #自立 とか #自走 とかいうキーワードが飛び交っていた。冷静に考えるとどういう意味なのかあまり #言語化 できていなかった。 #自立 している #エンジニア ってなんだろう、ということを考えているうちにこの文書が生まれたのでここに公開( #未完成 )する。 なんでも自分でできると思っていた頃
さて、僕は #仕事 でコードを書くようになった。もう7年くらい前のことになる。 #学生 時代にある程度 #プログラミング をやっていた僕ではあったが、 #仕事 はコードを書けるだけではできないことがたくさんあることがわかった。 #セキュリティ のこととかよくわからなかったし、技術的にはLinuxサーバーのことはわかってもWebサーバーのチューニングはとくわからなかったりした。 しかしどうやら、自分は #評価 をされているらしかった。これは僕にとっては非自明なことだった。 「こんなにもできないことがたくさんあるのになぜ僕は #評価 されているのか?」 いま思うと捻くれ根性も大概であると思うが、当時は真面目に悩んでいた。自己認識から他者からの #評価 を受け入れることはできず、ずっと技術者としてまだまだであると思い込み続けていた。 できないことがあることは自然なこと
いや、あえて言い切ろう。 #自己評価 が低いことは悪いことである。邪悪である。 そもそも、できないことがあるのは自然なことだ。この世界のありとあらゆるどんな #個人 にも絶対にできないことはある。Linuxカーネルのデバイスドライバーを開発できて、シェル芸が得意で、テキストエディタのプラグインをメンテナンスし続けていて、パブリッククラウドのリリースノートに一喜一憂し、フロントエンドのアーキテクチャに精通し、スクラムマスターやプロダクトオーナーを担っているような人はいない。断言できる、そんなスーパーマンはいない。 確かにこのうちの1つ、2つをひとりでこなす人はいるだろう。しかし3つできるかどうかの時点で既に怪しい。
自立とはなにか
さて、きっかけが何かあったのか記憶はないが、僕に転機があったのは2019年のことだ。ひとりでなんでもできるようになろうとするのをやめようと僕は決めた。
あとで知ったことだが、これは #自立 という概念の自分の中での変化に相当することだった。 #エドワード・ロバーツ という人がいた。1972年に #アメリカ で障害者自立生活センター(CIL)を設立し、この施設が #障害者 の自立支援運動の起点となった。「自立生活運動の父」とも言われている。 彼はこんな言葉を残している:
人の手助けを借りて15分で衣服を着て仕事に出掛けられる人間は、自分で衣服を着るのに2時間かかるために家にいるほかない人間より #自立 している。 詳しくは #COTENラジオ で話されているので興味があれば聞いてみて欲しい。あるいは #障害者 の自立生活運動について学んでみてほしい。 自立したエンジニアとは