人権について
1948年、国連が世界人権宣言を採択した。 #フランス革命 後はなかなかうまくいかなかったが、2度の世界大戦を経て我々は人権教育をしているのが普通という社会に生きている。 我々は強くそれをインストールしていて、だからこそ男女が平等でない、公正でない場合に平等であれと思う。それはまさに、人は生まれながらにして平等であるからだ。
でも、本当にそうか?
例えば、起業家に女性が少ないという話がある。たぶん、事実そうだ。データは見てないけど。
社会規範がこの男女の傾斜を再生産をしているのであれば、正すべきであるという主張は理解できる。
しかし、そもそも性による社会の役割分担がない社会が仮にあったとして、その社会では起業家の男女比は50:50になるのだろうか?
これが僕が先にあげた、人は生まれながらにして #平等 であるというのは本当にそうか?という疑問の意味だ。 そもそも、別に人は生まれながらにして #平等 ではあるかもしれないが、生まれた瞬間からすぐに #平等 でもなんでもなくなる。 どの国に生まれるのか、どの家に生まれるのかで本当にとんでもないほど違う。
#日本 に生まれても、僕みたいにまぁ貧乏とはいえマイホームくらいは何十年ものローン組めば買えるよね!!くらいの家庭と、両親が逮捕されて兄ちゃんが万引きしてきたもやしを兄弟でわけて食べるような小学生時代を過ごすのは全然違う。 じゃあ後者の育ちの人が起業家になれるか。知らんけど、たぶん難しいんじゃないか。
そして、じゃあどんな育ちの人でも起業家になるべきなのか、というのは別にそんな必要もないのではと思う。
では、女性起業家が増えるべきかどうかもわからなくなってくる。
同じように、大学の女性の枠とか企業の管理職登用とか、さまざまな場面で #女性 が少ないところに #女性 を増やそうという活動がある。 でも、そもそも「(空想上の)性による社会規範が存在しない社会であれば、男女比は平等ないし女性比率は現在の社会よりも高まる」という仮定自体がそもそも幻想ではないだろうか。
そもそもそんな #社会 が存在していない以上、それは極めて論理的でない仮定である。つまり、男女比は平等に近づくべきであるというのは #イデオロギー なのだ。 誤解してほしくないので書くが、僕はこの #イデオロギー を批判しているわけではない。むしろ、僕もこの #イデオロギー の通りの社会を実現するべきだなと思っている。 しかし、それはあくまで #イデオロギー ですよね?とも言っている。 #イデオロギー でしかないのに、真理であるとか、「論理的に考えればこのほうがいい」と説得してかかったりするのはおかしくないですか?と言っている。 ---
#人権 という概念はとても意味があるものだと思うのだが、僕は最近、 #人権 という概念が却って人類にマイナスに働くことがあるのではないかということをぼんやりと思っている。 物事には全て二面性があり、完全なる善や完全なる悪はやはり存在しない。
#人権 もまた、自由の名の下に我々に「選択」の義務を押し付けている。そしてその結果、例えば人類が種として滅ぶとかそういうことが起きてもおかしくはないなと思っている。本当にそうなるのかはわからないけど。 SF小説が書けそうな妄想だなと思っている。誰か書いて。人権概念が浸透したからこそ人類が絶滅しかけている社会。