しっくりくる言葉を選びとる
読んだ本
https://www.amazon.co.jp/言葉の魂の哲学-講談社選書メチエ-古田-徹也/dp/4062586762
なんかちがう、それだ、という話
何と比較してるのかとか
しっくりくる言葉を選び取る
ある言葉がなじみ深い表情を帯びて立ち現れてくる体験
他の言葉に完全には置き換えられない言葉独特の表情をつかんだという感覚
ある友人の性格について、誰かから尋ねられた
最初に浮かんだ言葉は「弱い」だったが、どうもしっくりこない
繊細という言葉が思い浮かぶ。これもしっくりこないので
上品、温厚、おおらか、親切といった言葉へと次々に連想を広げていく
そして、やさしい、という言葉に至ってはじめて、この言葉がぴったりだと満足する。
そして、やさしい奴だよ、と口に出す
この種の実践において我々は、類似しつつも異なる言葉の繊細な表情や響きといったものの違いを評価し、その中で「やさしい」という言葉が際立ってくることを体験している
論点
最初の「弱い」ではしっくりこなかった。何と比べて?
「やさしい」との比較ではないはずだ、そのときまだ「やさしい」は出てきてなかった
後になってみれば、やさしいに比べて、弱いはしっくりこない
やさしいと思いついたのは、それまで念頭になかったから思いついたとき「しっくりきた」
あるものの存在に気づくためには、あらかじめ念頭にそれがあってはならない
だとしても、ぴったりの言葉を探していたとき、その言葉に対応する何か、「やさしい」という言葉ではないが、その言葉だけが帯びる独特の表情や響き、ニュアンス、魂を「弱い」という言葉のそれと比較している
やさしいが帯びる表情は、言葉なしで認識できるのか、独立して存在するのか
これを説明するために、言葉が喉まで出かかっている現象を題材に説明、ウィトゲンシュタイン
喉まで出かかっているけど、まだ出てこないじれったい状態
その後にある言葉を思いついて、喉のつかえが取れる
言葉が出てくる前にとらえていた「何か」を無意識的に捉えていたはず
これが錯覚なのではという観点もある
言葉に魂が宿る、他の言葉には置き換えられない固有性を持つものとして立ち現れてくるというのは、特定の文脈の中の話
文脈を横断して実態としての魂が存在するわけではない
ある文脈を背景に、あるタイミングで発せられた、あるトーンの言葉が、ある表情や響きをもって我々に立ち現れてくる
実生活においては、ニュアンスが立ち上がるのは言葉同士の比較という実践を積み重ねることで、なじみの言葉の表情を細かくはっきりと輪郭づけていくことができる
どの言葉がぴったりなのか、その決着をつけるのは、言葉以前の神秘的な何かなどではない。決着をつけるのは「言葉の場」であるとウィトゲンシュタインは言う
言葉の場とは、焦点となっている言葉からあらゆる方向へと打ち出され、その都度の文脈や関心に応じて測られる
キツツキと雨のやりとり 山崎努と小栗旬 映画内映画
セリフ、ゾンビと戦う村、
「皆おそれるでない、われら人間もまた、あのゾンビたちと同じように、生き場所を求めさまようだけ。ならならば我ら人間は、その英知をもって、ゾンビとの共存の道を見つけよう。そして、村に平和をとりもどそうではないか」
「おー」
監督の役者への修正依頼
『最後の「オー」の前みたいなのが・・・』
「奮起?」
『それです、奮起じゃなくてもっと静かな感じの・・・』
「決意?」
『そうです、そのほうが、・・・』
「威厳がでるのか?」
『・・・はい』
「だったら最初からいえ、そういうことは。」
言語化