使命感はどのように生まれるのか
きっかけ、贈与の本がよすぎていろいろ適用対象を考えたくなる、既存の知識をこれで統合したくなる
kayac_note でもいいかも、これは
感謝であり、ありがとう
なんども同じ話書くことになるけど、天職系の話
内発的動機、誰かにもらったから
誰かにもらった、が自分の中でストーリーとして形作られていくのかもしれない
それになればなるほど、ずっと無制限に稼働原因となっていく
後藤さん、クイキン、一生分のありがとうをもらった、
使命感をみんなとシェアできると、ミッションになるのかもしれない
個人の使命感と会社の使命感をつなげていく?
贈与フォーマットでつなげていくことは、あまりみたことがない
柴田のケース、考え方が受け入れられないことを前提に、やらせてもらってるだけでありがたいという感じ
呪いの話を加えるといいのかも
戦略ストーリーであり、因果の複雑なもの、真似したいとすら思わないもの観点
計画的偶発性とつながっている
過去のお世話になった感じ、偶然の要素
動機、等価交換でやってるけど、表向き贈与でつくってる場合と、そうじゃない場合を人は敏感に見抜く
企業の使命をみたときに、聞いたときに
偽善かどうかの話、人間関係も法人も同じ 信用できるかどうかがそこできまる
リターン目的よりは、贈与フォーマットのほうが、信頼されやすい
根拠やエピソード、個人として、法人として
贈与先の曖昧さに対して、どうするか
内発的動機であり、リターンを戦略的にもとめない
個人にリターンをもとめないための「法人」という壁をつくる
年齢を重ねると経験をつむと、受け取っている者の大きさにきがつく
それを個人でやり、組織でやる
子育てをすることで、親から受け取っていたものの大きさに気がつく
等価交換がわるいわけじゃなくて、生きてる世界観がちがうことを理解する
仕事の動機を等価交換にするか、贈与にするか
借り物の使命感を、フォーマットや言語化されることで生み出すことができてしまう
しかも、ある程度の説得性をもって。
これも「縮退」の一種かもしれない、最適化のわるいところ