顔真卿自書中告身帖事件(最高裁昭和59年1月20日第二小法廷判決)
がんしんけいじしょけんちゅうこくしんちょうじけん
唐代の書家顔真卿の真蹟である「顔真卿自書建中告身帖」の所有者である博物館(財団法人)が、この告身帖を無断で複製し販売した出版社に対して、所有権(使用収益権)の侵害を理由に、出版物の販売差止とその廃棄を求めた民事訴訟事件。
所有権は有体物をその客体とする権利であるから、美術の著作物の原作品に対する所有権は、その有体物の面に対する 排他的支配権能であるにとどまり、無体物である美術の著作物自体を直接排他的に支配する権能ではないと解するのが相当であるとし、博物館側敗訴。
主 文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理 由
上告代理人中村稔、同熊倉禎男の上告理由について
美術の著作物の原作品は、それ自体有体物であるが、同時に無体物である美術の
著作物を体現しているものというべきところ、所有権は有体物をその客体とする権
利であるから、美術の著作物の原作品に対する所有権は、その有体物の面に対する
排他的支配権能であるにとどまり、無体物である美術の著作物自体を直接排他的に
支配する権能ではないと解するのが相当である。そして、美術の著作物に対する排
他的支配権能は、著作物の保護期間内に限り、ひとり著作権者がこれを専有するの
である。そこで、著作物の保護期間内においては、所有権と著作権とは同時的に併
存するのであるが、所論のように、保護期間内においては所有権の権能の一部が離
脱して著作権の権能と化し、保護期間の満了により著作権が消滅すると同時にその
権能が所有権の権能に復帰すると解するがごときは、両権利が前記のように客体を
異にすることを理解しないことによるものといわざるをえない。著作権の消滅後は、
所論のように著作権者の有していた著作物の複製権等が所有権者に復帰するのでは
なく、著作物は公有(パブリツク・ドメイン)に帰し、何人も、著作者の人格的利
益を害しない限り、自由にこれを利用しうることになるのである。したがつて、著
作権が消滅しても、そのことにより、所有権が、無体物としての面に対する排他的
支配権能までも手中に収め、所有権の一内容として著作権と同様の保護を与えられ
ることになると解することはできないのであつて、著作権の消滅後に第三者が有体
物としての美術の著作物の原作品に対する排他的支配権能をおかすことなく原作品
の著作物の面を利用したとしても、右行為は、原作品の所有権を侵害するものでは
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ないというべきである。
小説のような言語の著作物の原作品である原稿が、通常、美術の著作物の原作品
のようにそれ自体としては財産的価値を有しないのは、美術の著作物の場合は、原
作品によらなければ真にその美術的価値を享受することができないことから、原作
品自体が取引の対象とされるのに対し、言語の著作物の場合は、原作品によらなく
とも複製物によつてその表現内容を感得することができるところから、いきおい出
版物としての複製物が取引の対象とされるからにすぎず、言語の著作物の原作品に
ついても、有体物としての面と無体物としての面とがあることは、美術の著作物の
原作品におけると同様であり、両者の間に本質的な相違はないと解されるのであつ
て、所論のように、美術の著作物の原作品についてのみ、著作権の消滅により原作
品に対する所有権が無体物の面に対する排他的支配権能までも有することになると
解すべき理由はない。そして、美術の著作物の原作品の所有権が譲渡された場合に
おける著作権者と所有権者との関係について規定する著作権法四五条一項、四七条
の定めは、著作権者が有する権利(展示権、複製権)と所有権との調整を図るため
に設けられたものにすぎず、所有権が無体物の面に対する排他的支配権能までも含
むものであることを認める趣旨のものではないと解される。また、保護期間の満了
後においても第三者が美術の著作物の複製物を出版すると、所論のように、美術の
著作物の原作品の所有権者に対価を支払つて原作品の利用の許諾を求める者が減少
し、原作品の所有権者は、それだけ原作品によつて収益をあげる機会を奪われ、経
済上の不利益を受けるであろうことは否定し難いところであるが、第三者の複製物
の出版が有体物としての原作品に対する排他的支配をおかすことなく行われたもの
であるときには、右複製物の出版は単に公有に帰した著作物の面を利用するにすぎ
ないのであるから、たとえ原作品の所有権者に右のような経済上の不利益が生じた
としても、それは、第三者が著作物を自由に利用することができることによる事実
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上の結果であるにすぎず、所論のように第三者が所有権者の原作品に対する使用収
益権能を違法におかしたことによるものではない。原判決が、被上告人の複製物の
出版によつては上告人の原作品に対する使用収益権能が物理的に妨げられるもので
はなく、また、他人の権利の経済的価値の下落をもたらすような結果を生ぜしめる
行為であるというだけではこれを違法とはいえない旨判示するのも、その意味する
ところは、ひつきよう、右に説示したところと同趣旨に帰するものと解されるので
ある。更に、博物館や美術館において、著作権が現存しない著作物の原作品の観覧
や写真撮影について料金を徴収し、あるいは写真撮影をするのに許可を要するとし
ているのは、原作品の有体物の面に対する所有権に縁由するものと解すべきである
から、右の料金の徴収等の事実は、所有権が無体物の面を支配する権能までも含む
ものとする根拠とはなりえない。料金の徴収等の事実は、一見所有権者が無体物で
ある著作物の複製等を許諾する権利を専有することを示しているかのようにみえる
としても、それは、所有権者が無体物である著作物を体現している有体物としての
原作品を所有していることから生じる反射的効果にすぎないのである。若しも、所
論のように原作品の所有権者はその所有権に基づいて著作物の複製等を許諾する権
利をも慣行として有するとするならば、著作権法が著作物の保護期間を定めた意義
は全く没却されてしまうことになるのであつて、仮に右のような慣行があるとして
も、これを所論のように法的規範として是認することはできないものというべきで
ある。
これを本件についてみるに、原審の適法に確定した事実関係は、(1) 上告人は、
中国唐代の著名な書家である顔真卿真蹟の「顔真卿自書建中告身帖」(以下「自書
告身帖」という。)を所有している、(2) 被上告人らは、昭和五五年八月三〇日、
和漢墨宝選集第二四巻「顔真卿楷書と王・臨書」(以下「本件出版物」という。)
を出版した、(3) 本件出版物の第一部は自書告身帖の複製物である、というので
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ある。右事実によれば、自書告身帖は、書という美術の著作物の原作品として、有
体物としての面と無体物である美術の著作物としての面とを有するものというべき
ところ、自書告身帖について著作権が現存しないことは明らかであつて、上告人も、
自書告身帖に対する所有権を主張するにとどまり、他方、被上告人らは、自書告身
帖の前所有者の許諾を受けてこれを写真撮影した者の承継人から写真乾板を譲り受
け、これを用いて本件出版物を製作したものであることは、上告人においてこれを
認めるところである。そこで、前記説示に照らして考察すれば、被上告人らの右行
為は、被上告人らが適法に所有権を取得した写真乾板を用いるにすぎず、上告人の
所有する自書告身帖を使用するなどして上告人の自書告身帖に対する排他的支配を
おかすものではなく、上告人の自書告身帖に対して有する所有権をなんら侵害する
ものではないといわざるをえない。右と同旨の原審の判断は、正当として是認する
ことができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主
文のとおり判決する。
最高裁判所第二小法廷
裁判長裁判官 宮 崎 梧 一
裁判官 木 下 忠 良
裁判官 鹽 野 宜 慶
裁判官 大 橋 進
裁判官 牧 圭 次
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