2023-08-22 09:46:37
http://masui.org.s3.amazonaws.com/e/e/eecfbb4185183c588d186a47ce2eee52.jpg https://gyazo.com/eecfbb4185183c588d186a47ce2eee52
N36.03590619972222,E138.27121429972223,Z14
(OCR text)
おおがわらせぎ
世界かんがい施設遺産 大河原堰
自然の地形を活かした画期的な水路
大河原堰は玉川地区の農業用水不足を解消するため、坂本養川(さかもとようせん) が高島藩に請願し1792年(寛政4年〉に開削
された農業用水路です。 その全長は約14km、 315haの水田を潤しています。
現在も見ることができる 「乙女滝」も大河原堰の一部で、渋川の急峻な崖を一気に落下させて水の勢いを減らす役割をする人工滝です。
蓼科山 (たてしなやま) から流れ出る滝ノ湯川の水を、ここから6kmほど上流にある取水口で取り入れています。 取水口の構造は「芝湛(しばたたえ)」と呼ばれ、木や石などで築いた小堤防で河川を堰き止めていますが、全量取水ができない構造になっています。
「乙女滝」から下流は、 渋川で水を補給しながら(とい)で渡し、泉野地区を経て玉川地区に用水を運んでいます。 このように、東西に流れる複数の河川を用水路で結び、 水量の多い滝ノ湯川の余水を順々に南部の水不足地域へ送る仕組みは「繰越堰(くりこしせぎ)」と呼ばれ、当時としては画期的な仕組みでした。
堰が完成して農業基盤が整備されると、用水が安定供給され、米の収穫量が大幅に増えました。 200年以上経過した今もなお、利用者によって維持管理され受け継がれています。
平成28年11月には、地域農業発展に貢献し、 当時の技術を駆使して造られた歴史ある大河原堰と滝之湯堰が、 「世界かんがい施設遺産」として県下で初めて登録されました。
世界かんがい施設遺産って?
建設から100年以上が経過し、かんがい農業の発展に貢献したもの、 卓越した技術により建設されたものなど、歴史的、技術的、 社会的価値のあるかんがい施設で国際かんがい排水委員会(ICID) が認定・登録したものです。
※観覧施設や安全施設のない場所は、危険ですので立ち入らないでください。
①滝ノ湯川からの取水(芝湛)
取水水門は蓼科高原城の平北側の滝ノ湯川左岸に設置されています。
⑤ 角名川を渡る樋
幅120cm 深さ60cm 全長約26mの机で角名川を渡します。
茅野市役所
20
中央自動車道
⑥ 音見滝
一旦、 柳川へ落とし少し下流で再び堰へ引き込みます。 現在は小水力発電所となっています。
192
丸生戸川
大河原壇
②丸生戸川との交差部
丸生戸川の水を下流へ流す工夫がされています。
上川
北八ヶ岳総合博物館
一之湯 受益地 (456ha)
大河原堰受益地 (315ha)
152
柳川
(188)
尖石縄文考古館
血
ライン
|滝之湯|
③ 巨石を並べた水路
周囲の自然と調和した堰の様子が見られます。
大河原堰
淹之湯選
河川
高速道路
国県道・主要道路
春科湖
5 角名川
滝ノ湯川
3
現在地]
乙女
2
6
丸生戸川
| 大河原堰
← 渋川 御射鹿池
능
硬い岩のある崖を利用して滝を作り、流れを堰に引き込みます。
現在地
乙女滝
4 乙女滝と渋川を渡る樋
乙女滝で落とした流水は、槌で渋川を渡します。
坂本養川と繰越堰
坂本養川は、 1736年3月15日(江戸時代中期)に田沢村(現茅野市宮川)で生ま
れました。
当時は水不足のため、畑を水田にすることが禁じられており、 村の名主だった> 川は、 「繰堰越」の開発計画を何度も高島藩に願い出 尖石縄文考古館の養川像ていましたが、なかなか聞き届けられませんでした。
1785年になり、やっと開発を許されて 「滝之湯堰」を初めの人々も安定した生活を送れるようになりました。
水田が増え、村とし、15本ほどの堰が開削された結果、
茅野市大河原堰土地改良区