目標設定
これの話
https://anchor.fm/em-fm/episodes/Re8-e1kbcdk/a-a85cs4f
目標設定ってそもそもなんなのだっけ?という課題提起
ノルマだったり人事評価のためのものだったりになってしまっている組織が多い
本来は違う
なんでお仕事においてやった甲斐を感じられないことを我々はやっているのか
本来の目標設定の定義や意義ってなんだっけ?というものが空洞化してしまっているケースが多い
やらなくちゃならないものになってしまっている組織が多い
達成したらお給料上がるんだっけ?とか達成してもお給料上がることが確約されてるんだっけ?とかも組織や現場でマチマチ
なんとなく”やるもの”としてコストの高い儀式的な行為になってしまっているが、その実を捉えきれてない組織が多い
目標設定の歴史から本来の意義を知る
そもそもの目標設定をするモチベーションとはなんだったか
従業員の創造性を向上させたいとか
従業員の生産性を向上させたいとか
人間の尊厳を重視したいとか
↑こういうのがあった
過去に、工場の現場で100個のものを作らさせるような"ノルマ"ではなく、創造性を発揮させて物事に取り組ませたほうが人間性にかなってるよねというムーブメントから 目標設定を活かす ということが提唱されてきていた
一方で現代は”ノルマ”的な側面が強すぎる
なんでだっけ?本来当初はそうではなかったはずなのに…
ドラッカーのマネジメントだったりMBOだったりといった目標設定の概念と文脈が日本に輸入され文化に適用されていく過程で、本来の目標設定にあった本質が抜け落ちてしまったと考えられる
MBOには本来 『MBO&セルフコントロール』ということがくっついて言われていた
&セルフコントロールのセルフコントロールとは
『従業員が不可能じゃないけど挑戦的な目標を、従業員自らが納得の上で設定し、その達成に向けて仕事をすることで、生産性やモチベーションや創造性や主体性が伸びたりするよ』という観点
この観点が本来MBOにくっついていた
でもいつのまにか &セルフコントロールの部分が欠けてしまった
どうしてこんなことが起こってしまったか
欧米の成果主義の概念が同時に取り込まれた時代だったからかもしれない
MBOが『成果主義のための人事制度のフレームワーク』のような捉えられ方をして浸透してしまった
人事制度における 成果を確認するための手段 に成り下がってしまった
こうなると目標設定によって賞与や給与がダイレクトに決まってしまう
創造性的でチャレンジングな目標設定をするより、簡単な目標を設定するほうがおトクになってしまう
如何に簡単な目標を難しく魅せるかや、騙し合いや、謎のネゴシエーションばかりに意識が持っていかれてしまい目標設定自体が形骸化する
目標設定によって本来得たかったものが全然得られない状況になっていく
目標設定と人事評価が密接になりノルマになってしまうくららいっそやめた方がいいというケースも少なからず出てくる
いい目標設定とは
そもそもクリエイティブな目標を設定するとどういう良いことがあるか
(リフレーミングは思考の枠組みを移動させる術)
小さなことの積み重ねによってゴール認識のレベルが上がっていって、結果的に行動が変わっていってゴールに近づいていき成長や成果を得られる
目標に対して「将来的にそうなっていることが当たり前だよな」と自分ゴトに捉えられている状態に思考の枠組みが移動することが目標設定によって得られるメリット
目標設定の内容は 行動が変わる ものであるべき
目標設定は行動変容アプリでないといけない
「行動が変わらないような目標設定ならやらないほうがいい」すらある
じゃあどういう方法で行動が変わるような目標を立てるか
遠くのありたい姿・状況から逆算して、どういう状態になっていればいいかとなにをするかを考える方法論
3年後にこうありたい
じゃあいまから1年後にはこういう状態だね
じゃあいまから半年後はこういう状態でないといけないね
じゃあ3ヶ月後にはこういう行動ができているはず
じゃあ1ヶ月後までにはこういう状態
じゃあ毎週こういうことをやろう
みたいな感じで、未来から逆算して道を引く方法論
例
有名なエンジニアになりたい
有名な人になるにはスター2000持ってるようなOSSやってる人?
半年後には勉強会で発表している人として認知されている?
じゃあ毎月1回は登壇してるかな
じゃあ毎週技術トレンドを追ってブログへアウトプットしてるかな
みたいな感じ
「今日・明日やっていく行動が昨日より変わっていく」目標設定であることが大事
いい目標はゴールテープと戦略的ストーリー性を持っている
ゴールテープとは
定性的な目標
例
どこどこの業界のリーディングカンパニーになる とか
顧客から最も愛される企業になる とか
ゴールテープではない例
顧客価値の向上
売上利益の最大化
↑これらはどこまで行ったら達成なのかが不明瞭
方向を指し示しているだけでは意味がない
戦略的ストーリー性
何をやってなにをやらないかが定まっている
選択と集中がなされたストーリー性のこと
定量的な目標
数値目標とも表現されたりする
例
「リーディングカンパニーの定義とは」
「業界シェア5割を取る」 とか?
↑1段階ブレークダウンしている
定量的な目標は定性的な目標を補完することが目的
定性的な目標を具体化するために定量的な目標を立てるべき
定量的目標を掲げると定量的な目標に引っ張られがちになる人々が出現する問題が起こる
定量的目標に対する反意・疑義が出てくる
『「業界シェア5割を取る」ことだけが本当にリーディングカンパニーの定義なのか?』とか
「そもそもシェアだけが大事なのか?」「別のビジネスでもリーディングできるのではないのか?」とか
リフレーミングが効きすぎてしまう状態に陥っていく
定量的目標に『クリックレート250%上げよう』とあれば
「クリックレートあげるためにEvilな施策をすれば事実上容易に上げられるよね、数値目標ハックできるよね」という意見が出てくる
『ハックできてしまうじゃないか!』という意見が出るのは思考のリフレーミングが起こるが所以
リフレーミングが起こっていること自体はいいこと
思考の変化が起こっている証拠でもあるので いい目標 といえる側面はある
ハック手段が出てきたら定性目標に立ち返って「そのハックをやっても本質突いてないからやるのはよくないよね」と検査のうえでリジェクトすればよい
そもそも 「ハックできない単一の強固な指標があるはずだ」 という考え自体が幻想
極論、売上100億を上げたければ 「100億円の不動産買って99億で売れば、利益は-1億だが売上は100億になる」
「やればできてしまうけど、やる意義がないので普通はやらない」というハックの選択肢はありふれている
『ハックできてしまうじゃないか!』という意見は あらゆる数値目標はハック可能 という前提を理解していないから出てくる
定量的目標がハックできてしまうものである以上、手段を検査する必要がある
手段を定性目標に照らし合わせていく作業を繰り返すことが重要になっていく
健全化指標・健全性目標
「維持することで健全性が測れるような目標・指標」
例
売上目標に対する顧客満足度
リリース回数や納期目標に対する障害発生率やデプロイ成功率
健全性目標をなぜ用いるか
「定性目標・定量目標・健全性目標の三層構造で適度にリフレーミングを起こし、方向性は定まっておりかつ行動を変化させるが、行きすぎずやりすぎない丁度いい目標を起こす」のが狙い
定性目標と定量目標がガッチリしすぎるとリフレーミングが効きすぎてしまい、ある一定の健全性が損なわれてしまうということが起こることがあるから
リフレーミングが効きすぎると、目標に貪欲なあまり冷静さを失った行動や将来的な価値に対するネガティブな行動に足を踏み入れがち
健全性目標は基本安定しているのがデフォルトなので、安定しなくなったときに「なにかおかしいことが起こっているな」と検査するためのものであるべき
定性的目標と定量的目標に健全性目標を加えることによって、無理のないバランスの取れた目標を立てられるのがあるべき状態
3つの目標で力関係を引き合いバランスを取るイメージ
目標をたてることは悪いことではない(はず)
将来像からバックキャスティングして目標を立てている
だから行動が変わる変える必要がある
行動が変わらなければ目標の意味がない
「いい目標を立ててクリエイティブにチャレンジしようぜ」
結局目標を立てて至りたかった姿はこれではないか
人事制度・人事評価・お給料を増やすためにはどうすればいいかというものとは本来関係がない
これらと目標が結びついているくらいならいっそ目標設定なんてやめてしまったほうがいいまである
個人目標と組織目標
この2つはそもそもキレイに揃わないことも多い
OKRはこれに有効という体ではあるが、本当だろうか チームの目標から個人の目標にブレークダウンするとなると、狭い範囲の目標しか出せない
目標制度を組織で管理していくこと自体難しくない?という観点もある
コミュニケーションを経てチームやPJのことを掘り下げていくとか、あるいは事業的観点でトップダウンで目標や課題が抽出されて可視化されるとこまではできるものの、それをメンバーひとりひとりが自分ゴトにするのは非常に難しい
この難しさは目標制度で解消できるものではない。Cyclicに目標設定を繰り返していけば自分ゴトになっていくかというと、そんなわけはなくピープルマネジメントをナメすぎているとすら感じられる
目標制度は必要なのか?メリットあるか?という側面を結果的に覗いてしまう
目標制度のいい部分も当然ある
定期的に自分たちのやりたいことや野望を考えて言語化するプロセス自体はとても大事
ただ、制度をうまく着地させるためのソフト面が今の我々には圧倒的に足りていない
運用が最大のポイント
こっちにコストをかけないといけない
でも一方でハードの部分(制度)の策定ばかりにコストをかけてしまう傾向にある
個人目標と組織目標と目標制度をどうアラインメントするかがマネジメントの腕の見せ所 という視点もある
目標ってそもそも難しい
かっこいいことや、かっこつけた事ばかりを並べるよりも、根源的な欲求から探っていったほうが人間として正しいという観点もある
高級車に乗りたいとかモテたいとか自由な時間がほしいとか、そういう卑近なことから逆算したほうがいいのかもしれない
夢とか将来のことを"ピュアに"言える状態がなんだかんだでいいのかもしれない
社会人になって夢とか欲求を語れない、潰される、会社とそぐわないという経験をあまりに我々は経験しすぎている
「満たされたい欲求とはなにか」を探っていくことが大事
バックキャスティングしていく上で一緒に適切に目標を設定していける存在が求められるので、マネージャーはそういう存在で居続ける必要が一定あると考えられそう
ソフト面(プロセスだったり運用)よりハード面(制度だったりフレームワーク)が重視されがちだけどそうじゃない
目標設定を完了させることが目的ではない
目標をどう立てていくか・目標に向かう上で不明瞭なものをどう明確にしていくか、どう調べていけばいいかという『明確にしていくプロセス』が大事
極論、最終的な目標はなんでもよい(という観点もある)
組織や個人がやりたいことをある程度言語化できればよい
出たとこ勝負でやってみて、期末に振り返るという行為がやっぱり大事ではないか
1natsu.icon これアジリティの話っぽい
目標設定にも不確実性がある。というか、目標設定に不確実性がないほうがおかしい
期初の目標設定が完璧に遂行できる・遂行されたら利益になるかなんて、予測しきれない
ハード面の謳い文句を信仰しすぎて不確実性の認識が疎かになってしまう例かも
ソフト面が結局の所大事
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1natsu.icon
やっぱり目標設定って組織の勢いやメンバーのテンションを向上させられるものでないといけないと感じる。
目標が自分たちの首を絞め始めたら検査をして原点に立ち返る行動をしないといけないと感じる。