2022/09/09 死について
考えると怖くなるので考えないようにしている。宇宙の中の、地球という惑星のなかで、人間としてちっぽけなコミュニティで生きているけれど、死んでしまったら燃やされて灰になって自然に還るだけ。ただそれだけ。
自分がいなくても世界は滞りなく、時間が過ぎてゆく。
生命活動が終了したら自分はどこに行くのだろう。
考えることが好きだ。哲学科に行って柔軟に物事を考えることや、他人が考えていることの一端を知った。けれど死んでしまったら考えることもできず、自分にはもう二度となれず、この世界で生きることもできない。
死んだら生まれ変わるなんて幻想だと思っている。
テレビの画面がぷつりと切れるように、そんな感じで終わるのだろうと思う。自殺する人が来世は楽しく生きたいと願って死ぬけれど、何にも生まれ変わらないと思う。
終わりなのだ。無だ。
死んだらもうおしまい。何かを思い返すことも懐かしむこともできない。誰かに会うこともできない。
生命活動のシステムは怖い。
死は自分が活動を終える時にしか体験できないからだ。
事前に体験しておくことはできない。一回きりの体験。
誰にもその体験は共有できない。
だから誰もが死んだ後どうなるのかを知らない。
アプリオリでもなくアポステリオリでもない。
大学3年の講義中に考えをめぐらせて寒気がしたことを覚えている。誰しもが死のシステムから逃げられないことを悟ってしまった。生きるということは必ず死を体験するということ。
だから死の間際に後悔がないように生きよう!とは思わない。後悔がないように生きるということは後悔がないことを目的にした、目的の目的的化なので。
常日頃の○○が食べたい、のような些細な気持ちを大事にしたい。行ってみたいところへは行ってみる、欲しいものは手に入れるし、やってみたいことは絶対にやってやると決めている。
「爆発」する。ただそれだけ。
「……そうだ。おれは神聖な火炎を大事にして、まもろうとしている。大事にするから、弱くなってしまうのだ。己自身と闘え。自分自身を突きとばせばいいのだ。炎はその瞬間に燃えあがり、あとは無。──爆発するんだ。」
岡本太郎著『自分の中に毒を持て』(1988年) 青春出版社