去年書いた服装の話
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服装がわからなくなってから幾星霜、仕事はコーディネートを毎日考えるのが手間だし、ある考え方があって黒一択になった。あれだけ学生時代は黒コーデを馬鹿にしていたのにね。思考の削減というのと、まとまりがある点で黒はよい。
日常生活も黒が浸食してきていて、黒×何かという合わせが多くなってきた、黒は嫌いじゃないけど何かつまらない。
アクセントがない。セットアップが好きだから青×青だったり緑×緑だとか単色の合わせは全然出来るけど、複数色の着こなしができなくなってきている絶望感。わからなくなってきているからこそ色々な服を着られるチャンスなのかもしれない。
けど自分の信念に合わない服は着たくないしお金の無駄、という頭ごなしな否定。
できるだけローリスクハイリターンな服の選び方をしていきたい、消費するだけの、ファストファッション的な服の選び方はもう卒業したい。流行も今年の色もどうでもいい。率直に言えば、(信念に則りながらも)他人とは違う存在でありたいという欲望が根底に、絶対的なものとして在る。
服を着るということは自分の存在を可視化することだから、他人と同一視されるような存在にはなりたくないのだと思う。
一方で、仕事では他人と同じブランドの服を着て(=制服化されて)レジ打ちという役割の中に人格は閉じ込められなければならないので、つまり店員という記号に落とし込められる個人の存在は他人と同一視されてしまうので、仕事において他者とは違う存在でありたいという欲望は叶わない。
だからこそ毎日同じ色の服を選び取ってそこに個人の思想を持たないということは理にかなっていると思う。
古着も最早ファストファッションと何ら変わりはないよね。安価で手に入れやすいし、新品か古いかの違いしかない。
そこに信念はない。vintageが廃れていくのも無理はない(金のある人間だけが選び取ることのできる信念のひとつ)。
ちゃんと勉強したことはないからわからないけど、もしかしたら存在の問いだけではなく社会体制もまた、服にまつわる問いに絡まっているのかな。きっとそうだよね。Sex Pistols のパンクファッション、グランジファッション等等。
信念。身体のラインを隠すものであるか。性差を感じさせないものであるか。上記2つを満たした上で所有したいと強く思うものであるか。
自分にとって何かを買うときの最後の壁は所有したいか、所有するだけの価値があるか、ということだなあと
書きながら思った。「所有」は価値なのだ。有意味でも無意味でも価値自体の価値は変わらないので。
(「所有」の問題点、それは物だけではないということ)。