木下藤吉郎
#人物
木下秀吉。羽柴秀吉とも。のちに豊臣秀吉と名を改める。
農民から大名にまで上り詰めた人物であり、『戦国一の出世頭』と現代に伝わる。
はじめ「木下藤吉郎」と名乗り、今川家に仕えていたとされる。今川氏の凋落後は徳川家康に仕えるも、そののち(1554年頃から)織田信長に仕え、頭角を現していく。
稲葉山城乗っ取り事件後、龍興に城を返上し栗原山に閑居していたという半兵衛を三顧の礼で織田家に勧誘したと伝わる。
この『三顧の礼で織田家に勧誘した』という説は、三国志をモデルにした創作だという指摘もある。
このとき、半兵衛は秀吉の天賦の才を見抜き、信長に直接仕えることは拒否したが、秀吉の家臣となることは了承したという説がある。
嫡男・竹中重門の著した豊鑑には、信長が秀吉の要請を受け、牧村利貞、丸毛兼利とともに与力として秀吉の下につけたことが記されているという。
信長の草履取りをしていた際に、冷えた草履を懐に入れて温めておいたという逸話が有名。