ライト、ついてますか
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問題は、解くより発見する方がずっとむずかしく、ずっと面白い。
「それは誰にとって問題なのか?」という問いについて考えてみよう。この問いは 1.一方では誰が依頼主か、つまり誰をしあわせにしなければならないかをはっきりさせようとしているものであり、 2.もう一方では適切な解答を見つけ出すのに役立つかも知れないヒントを得ようとしている。
未熟な問題解決者は、きっと解くべき問題を定義する時間を惜しんで解答にとびつくものである。経験を積んだ問題解決者すら、社会的圧力にさらされると、この「急ぎたい」という気持ちに負ける。負けてしまえば、解答はたくさん見つかるが、それが解くべき問題の解答だという保証はない。
自然発生的日常的な問題を、曖昧さを含まない一つただ一つの形で定義することなど不可能である。だが一方、問題についての何らかの共通理解がなかったら、解答を出してみたところで、まず間違いなく間違った問題に対する解答と成り終わる。
「何がまずいか」をどうきめるか? まずいのは何か? そのために、何ができるか?
彼らが感じる困難とは、つまりものごとの進行のしかたと、彼らの方針、つまり彼らがものごとの進行に関して抱いている意見とのずれにほかならない。この状況を「おやおや、問題を抱えちゃったぞ!」というように表現することはまったく自然である。というのは問題とは、まさにその種のずれそのものであるからだ。
問題とは、望まれた事柄と 認識された事柄の間の相違である
問題定義に関する重要な教訓を、二つも得ることになったからである。その第1は彼らの解決方法を問題の定義と取り違えるな、そして第2は彼らの問題をあまりやすやすと解いてやると、彼らは本当の問題を解いてもらったとは決して信じないというものであった。
「全然そうじゃないんだ。問題を扱う上で本当に大事なのは、問いは決して答えられることがないと覚悟することなんだ。だがそれは、問い続けている限りはどうでもいいことなんだ。だまされて究極の解答を得たと思い込むのは、まんまとだまされて究極の問題定義、つまり究極の、真の答えを得たと思い込んだ時に限るんだ。で、そう思ったとしたら、それは必ず間違いなんだ。なぜならば『究極の解答』なんてものは存在しないからだ。」
他人が自分の問題を自分で完全に解けるときに、それを解いてやろうとするな。もしそれが彼らの問題なら、それを彼らの問題にしてしまえ
第1にわれわれは、問題がそんなにかけ離れたところから生じてきたのではどうしようもない、という気持ちに陥りがちである。
第2の理由は「自然」の無関心さである。もし問題の原因を、人、または現実の事物ないし動作に求めることができるのであれば、解決の可能性に関する足がかりが得られる。問題の源泉に手が届くことによって、または問題を作り出した張本人の動機を理解することによって、われわれは問題を解消したり、それを軽減する道を見つけたりすることができる。だが「自然」は、まさにその本性ゆえに、いかなる動機も持たない。アインシュタインがいったように、「自然はずる賢いが、悪意は持っていない」のである。自然はわれわれ人間にも、われわれの問題にも、完全に無関心であるがゆえに、もっとも手に負えない問題を引き起こすのである。
近頃、ピーターの法則というものが知られるようになった。それによれば、官僚は組織の中で、その無能の水準に達するまで昇進するという。もっと最近には、ポールの法則というものもあらわれた。それによれば、現代の組織の中では、仕事の難しさは全ての官僚の有能さの水準を超える点まで増大するという。 「問題」に対するわれわれの定義の広範さから見て、彼らの感じが正しいことは疑いがない。というのは、問題というのは人が望むところと、物事がどうなっているように見えるかとの差であるからだ。
最初に出会った問題文に飛びつき、急いで掘り下げ、苦い結末に辿り着くまでそれに固執するというのが、まさに望むところである場合もあるのだ。学校というものにとっつかまって、それもだめなものをせめて活用しようと思っている場合はそうだ。それどころか、学校以外でもそういう場合はあり得る。実際、例のブロントサウルス・タワー問題は、誰かが「エレベーターが遅すぎるから修理させなきゃ。」という結論に飛びついていたとすれば、またたく間に片付いていたはずなのだ。この「目をつぶって両足でピョン」という方式は、ぎりぎり生き延びられる程度の成功率をもっている。もしそれが決して成功しないのなら、人はついにはそれを使わなくなるだろう、学校を出てから十分に長い期間が経っていれば。