ディスタンクシオン
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私という社会
稲妻の一撃の否定
自分の傾向性は育った環境や培われた能力に依存し、サプライズというものは存在しない
趣味という闘争
私達はその知覚や傾向の価値を押し上げるために、趣味を通じて押し付け合戦をしている
その趣味が好ましいという差異化や卓越化(ディスタンクシオン)の動機が含まれる
文化資本と階層
芸術に対する正統的性向は、それと気付かぬうちに習得されていくものであり、家庭や学校で正統的教養を身につけてゆく中で獲得される一定の性向によって可能になる
学校教育は階級格差を正当化する。学歴でいえば、それを獲得することの便益をわかっている人でないと投資できない。その投資をするにも、知的能力ではなく環境によって培われた傾向レベルで排除される。つまり、グレるのもある種当然
人生の社会学
ハビトゥスのための闘争の動機は何か。広い意味での合理性ではないか
ハビトゥスとは、性向、態度、傾向性。それまでの人生の履歴、蓄積。行為の中に蓄積された過去の履歴
規定されずに意思決定することは難しい、それでは自由とは一体なにか